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冨永愛さんの本を読んで。


惹きつけられる表紙

「これがお母さんの今の精一杯なんだよ」
息子の寝顔を見て今そう感じている。

歯医者に連れて行って、ご飯を食べさせてお風呂に入って、寝る前に一緒にYouTube見ながら有酸素運動して。
その間、理不尽に叱って泣かせて自己嫌悪に陥って「なんでダメ母なんだ」と気持ちはどん底で。

一昨日、冨永愛著「愛なんて大っ嫌い」を一気読みした。表紙見た途端すぐ読みたくなった。
惹きつけられた。
見た目だけでなんだか近寄りがたい雰囲気と、「私とは違う」と勝手に思い
なんだか怖い雰囲気・・・と本当に見た目だけでスルーしていた。

読み始めの数ページから号泣した。
家で読んどいてよかったな、心からそう思った。
中盤は仕事のことや恋愛のことなどが書いてあり普通に読めたけど
生い立ちから両親のこと、息子さんのことが書いてあるところを読むと本当に耐えきれずまた号泣・・・。
私より年下だが、家庭環境がなんだか似ている。
両親は離婚し、こう言ってはなんだかネグレクトに近い環境で育っている。
生きるか死ぬか、みたいな瀬戸際にいつも立たされている。
愛がわからず、喉から手が出るほど親から愛されたいのに満たされない。
だから愛し方もわからない。
どう生きていけばいいのか。
誰も教えてくれないから自分で飛び込むしかない。

痛いほどわかった。環境や立場さえ違えど「自分でどうにかしないと進路が絶たれる」という過酷な状況は散々味わってきた。

誰もかまってくれない、見ていてくれないという失望感が絶望感に変わるのは一瞬。
どん底に落ちて落胆してる暇があるならとにかく動く、みたいな。
どうせ誰も見てもくれてないし、みたいな。

自己肯定感なんて植え付けられてない。
カラカラに乾いた心を異性や仕事で埋める。富永さんは実際どうかはわからないけれど・・・。

大人になって自立した富永さんが憎むべき存在の母を「許した」瞬間。離婚して出て行った父と何十年ぶりに会った時に発した言葉。。。
苦しんでもがいた先にあった、息子さんという「光」。
もうずーっと号泣(笑)
隣で私の息子がいるのにズビズビ泣きながら読んでる母。。。(息子はチラチラ私を見ながらSwitchしてました)

一気読みしたので、読んだあとはずっしりとした満足感と、富永さんに対する敬意と
好意と・・・。とにかく好きになりました😃
以前記事にした村西とおるさんもそうだけど、私の中で表紙見てピンときたものはハズレなしです。

人ってイメージだけで判断してしまいがちで、
いまだにその癖が抜けない。

富永さんの原体験というか生きるエネルギーとなっていたのは「怒り」。
クラスメートから揶揄され虐められ
1人だった頃の復讐心。
家族に対する「怒り」。
仕事先での理不尽な扱い。これも怒り。

でも・・・
理由なく怒ってるんじゃないんだよね。
根底には必ず「愛されたい」という自然な欲求がある。
愛されたいと願うのにそれが叶わない。本当は「自分は愛されるべくして生まれた存在なのだ」と誰もが満を持して生まれてくるのに
いろんな状況がそれを許してくれない。
「どうして」という失望と怒り。
わかり過ぎた。

悲しくて、わかり過ぎてただ泣いた。
会ったこともない、芸能人である冨永さんの「1人の人間」としてみたら
「そうだよね、愛されたかったよね」って心から共鳴できたから。


芸能人になっても世界的に名が知れ渡っても1人の人間で1人の女性で。そんな彼女を垣間見ることができて、本を知ることができてよかったです。

話は戻り。
子を放っておく親も心の底から許すことができない。
富永さんは今はどうなのかな。本当に心の底から母を、父を許せているのかな。
葛藤の中で生きてはいないかな。
わからないし、聞くこともできないけれど聞いてみたい。

私は・・・愛することができてない。ただ時間が来たらそつなく家事をこなし育児をし・・・。
でもそれで「よし」と思い生きている。
よくやったじゃん、今日も。って、少しずつ自分で自分を褒められるようになってきた。
夫に冷たく当たってしまう自分、息子に子供のように泣き喚き塞ぎ込んでしまう自分。
みっともない自分を出しまくっている。
でも・・・そんな自分も私なんだと半ば諦めのようなこれでいいって認めているような
気持ちになって、今日を生きている。

「生きているだけで◎」
一つでも他人に何かできた自分、偉い。
そう思って眠りにつくことにします。

おやすみなさい。








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