キリマンジャロを描いた話(5)
image view: Kilimanjaro National Park_ Tanzania, United Republic of_ キリマンジャロ国立公園_ タンザニア連合共和国 2013年9月の日記より
キボハット(4,703m)から山頂(5,895m)まで、一晩で1000m以上の高度を登り切る。そして同じ高度を降る。キリマンジャロ登山はこの工程が最も辛い。
●2013年9月10日夜23時
空は満点の星だったが、鼓動が乱れていてイマイチその美しさを満喫する気分にはなれなかった。数時間の仮眠のおかげで体調はよさそうだ。
4,000mを超えたあたりから鼓動が早くなり息があらくなってきた。このキボハットは、高度4703m地点。トイレに行くだけでも少し息があがるうえ、寒い。なるべく外に出たくない。
この登山で松田が最も気にしていたことは、服装。
マイナス10度の山の上というものがどれくらいのものなのか。カナダでマイナス20度を体験した時の記憶を元に
このキリマンジャロは1か月で巡る世界一周の行程の中にねじ込んだ。その中で巡る世界遺産の中でこのキリマンジャロの頂上付近のみ寒い。キリマンジャロの他には、インド、トルコ、エチオピア、スペイン、アメリカを巡る。その他の地域は基本的に夏なのだ。荷物は最低限で巡りたいと考えていただので、夏服の重ね着で挑むことに決めていた。
スキーウェアやフリース等のゴアゴアしてかさ張る装備は一切持って来なかった。それは今回は一ヶ月間の世界一周の途中で、気温の高いその他の国で不必要な荷物の増加を避けたかったからである。こんな時に頼りになる装備を揃えているのがMont-bellだった。松田はゴアテックスの防水ジャケットとズボン、そして世界最軽量の薄手のダウンジャケットに持って来た全ての夏服を重ね着することで、寒さを凌ぐ予定だった。
【山頂アタックの服装】
●頭部…
薄手のニットキャップ、タオル&スカーフ(マフラーの変わり)、ヘッドランプ
●上半身(持っていた全ての服を着た)…
ヒートテック長袖、タンクトップ×3、半袖シャツ、長袖シャツ×2、ウルトラライトダウン(mont-bell)、ゴア防水ジャケット(mont-bell, フード付き)
●手…
薄手手袋(mont-bell)、雪山用手袋(mont-bell)
●下半身(持っていた全ての服)…
ヒートテック、夏用ぺらぺらズボン×2、ゴア防水パンツ(mont-bell)、
アルパインクルーザー((mont-bell), 防水)
寝袋から出ると凍えそうな寒さだったので、すぐに上記の装備に着替えた。テンションのせいもあってか、寒さはほとんど感じることはなかった。
でも心臓の鼓動が早く、かなり息苦しい。
じわじわと高山病が襲ってくる。
午前0時、てっぺん目指して出発した。あたりは当然真っ暗だ。ここからはひたすらゆっくり暗闇の中を歩き続けるだけ。
もちろんわざわざこの時間に出発するのは頂上からご来光を見るためである。昼間に出発していて、山頂や絶景が見えているならば、あるいはもう少し鼓動も安定したかもしれない。鼓動のペースが以上に早い。
ここに来て、岡本さんの疲れがピークに達していた。
松田と岡本さんは歩くペースが違ったので、アストンの提案で、グループを分けることになった。松田はサブガイドと供に2人で頂上を目指す。
「山頂で会おう!!」
松田と岡本さんはこの地点で別々に頂上を目指すことになった。5,000m付近までは余裕があった。それでも止まって休憩すると体温が下がって危険なので、ひたすら歩き続けた。
5,000mを超える看板が見えた。その付近から上にいけばいくほど、本当に呼吸をするのが困難になってきた。頭痛は少しずつ激しくなり、吐き気もする。
どこか頭上からなにか見えないもので押さえつけられているかのような感覚だった。アストンと違ってサブガイドのフバルは身長が高く、足が長くてペースが早い。ゆっくりの歩調が分からず、自分でペースを作って行く。
このあたりで感じた高山病を例えると、忘年会でお酒をものすごくたくさん飲んで帰宅する時の駅から家までのあのふらつく感じに似ている。目がうつろになってきて、ふらついてこけそうになることもあった。
体温的には問題なかったので、動いているためかだんだん顔が暑くなって来た。
「あつー!!」
といってフードを脱いだ。本当に息が荒くなってきて、もう帰りたいと思い始めていた。フバルはその様子を見て
「君は100%辿り着けるよ」
といった。息苦しくて涙目になっていたが、
松田はその言葉を信じることにした。
息を切らしながら闇の中を進んで行く。
心が今にも折れそうだった。