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『真面目なエッセイ』泣く日? なくす日?<今日は何の日?>

7月9日は「泣く日」だ。「全米感涙協会」ってところが制定したらしい。

「全米感涙協会」って・・・

全米、ってついてるけど日本の団体だそうで、怪しさ満点だけど、こちらの記事によると結構真剣に<泣く>を極めようとしているようだ。


簡単には泣けるもんじゃない

「泣く日」って言われたって、ねえ、じゃあ泣きましょう、って皆で一斉に泣く、というわけにはいかない。

山口県防府市には「笑い講」っていう神事があって、市の無形民俗文化財にも指定されている。

いよいよ「なんのはなしですか」になってきたけれど、<笑い>は羞恥心のリミッターを外して大声を出すとそれなりに何とかなる気がするのだ(もともとリミッターがない人もいらっしゃるようだけれど)。ポーズから入る、というやつですね。

でも<泣く>に関しては、そんなにうまくいかないんじゃないか、とおもっている。
以前役者さんで、悲しい演技の際には身内が亡くなったときのことを思い出す、みたいなことをおっしゃっていた方がいた。小説でも似たようなセリフを読んだ覚えがあって、それによって感情をコントロールできるようになったとか。

僕は性格が淡白なので(やっぱり豆腐が好きだからかなー、朝は納豆もいいよねー、あと焼き鳥とかぁ〜、枝豆とかぁ〜・・・あ、そのタンパクじゃない? ですよね・・・)、自分に直接関係のある出来事では泣かないけれど、テレビドラマの感動的なシーンとかだとすぐに込み上げてきてしまう。映画にしてもそうだけれど、あれは絶対に泣かそうと仕掛けているので、それに簡単に引っかかってしまうのは癪に触るのだがこればかりは仕方がない。最近泣いたことありますか、と聞かれて、ほら、あのドラマのあのシーンで・・・と答えるのも嫌だし、

え、そこで泣く?

とか返された日にはもうあなた・・・

でも、泣こうとおもって泣くわけじゃないので、そういう意味ではやっぱり難しいだろうな。


7月9日を「なくす日」に

そこで考えた(というより、単におもいついただけだけれど)。「なくす日」というのはどうだろう? 7月8日が「な(7)<ん>ぱ(8)の日」なのだから、7月9日が「な(7)く(9)<す>日」でも・・・(別に「ナンパの日」に遺恨があるわけではありません)。

「なくす日」だからって、この日に傘をなくそうとか、スマホをなくそうとかそういうわけではない(わざわざ日を決めなくても、なくすときは無くすしー、むしろ傘なんて、持ち出すたびに無くすしー、あれは手元には付かないもんだとおもってる)。


ぜひなくしてしまいたいものを、この日に無くしては、とおもうのだ。忘れてしまいたい記憶とか、ストレスとか。方法はそれぞれで考えていただくとして、この日を境にそういったものを自分から切り離す、気分だけでもそんな日があってもいいのでは、とおもうのだけれど、いかがだろう?
ま、泣いてもすっきりするかもしれないけれども。


7月9日は「森鴎外の忌日」

そして、7月9日はまた「森鴎外の忌日」
実は森鴎外はあまり詳しくない。『舞姫』は好きな作品だけれど、はっきりと『山椒大夫』は嫌いだ。なので、あまり語れることはないのだが、辻邦生さんがエッセイの中で次のように書かれている。

森鴎外訳『諸国物語』が日本の近代文学史に果した役割の大きさは到底論じつくせない。芥川龍之介の初期短編が直接ここから生れていることを見ても、散文の質の高さと、物語の鑑賞選択眼の卓抜さは驚くべきものだ。
(略)
鴎外は晩年にわれわれが百年かかって立った地点にすでに到達していたわけだ。(略)<リアリズムと告白>中心の小説が終ろうとしている今、幻想性豊かな作品を選んだ鴎外の、近代小説を越えて放っていた視界の広さにあらためて打たれる。

『永遠の書架にたちて』 新潮社/「Ⅳ出会いと思索から」近代文学この一篇 より

まるで手放しの賞賛ぶり。改めて、森鴎外も読んでみないと、と、・・・おもう? かも。


7月9日はぜひ「なくす日」で!




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