見出し画像

病に勝つ環境、負ける環境 病気に勝つ人負ける人⑩

こんにちは、子だくさん美容師イシちゃんです

オリンピックもあっという間に過ぎてしまいましたね

メダルの有無に関係なく、世界のトップを競うステージに立てるような人たちは本当に凄いんだということを改めて学びました

このオリンピックは良くも悪くもいろんなことが話題となりましたが、計らずも最後にお伝えする事と、今回のオリンピックで悪い方で話題となってしまった話の部分とが重なってしまいました

というのも、僕は一貫して「免疫を高めるためにはどうするか」ということをお伝えしているわけですが、今回お伝えする事は、オリンピックに限らず、

「どこかで、どこかの誰かを叩く」という風潮は
他の人の免疫をさげることにつながる

という内容だからです

どういう事なのかという話をする前に、いったん、今の僕達をとりまく環境についてザっとまとめてみます

10回目スライド 1枚目

この中で、免疫をいかに高めるかという話と直接的に関係する事はパンデミックであるという状況です

しかし、実はその他の環境も免疫から健康という視点に拡げれば、密接な繋がりがあります

10回目スライド 2枚目

日本の清潔さに対する意識は、世界と比べても高いと思います

今回のパンデミックをうけて、至る所で消毒を行う事からも分かるように、不潔さと健康リスクは関係しています

こうした事は比較的わかりやすいのですが、分かりにくいのが社会環境といったことと免疫の関係です

ストレスによって体調が崩れることがあるということは多くの人が知っている事と思います

ストレスによって体調が崩れるのは、免疫やホルモンバランスが乱れるからです

ここで、思い出して頂きたいのですが、健康というのは、

過不足なく快適に過ごせる状態

だということです

「快適に過ごせる」には環境も重要というわけなのですが、それらの関係を分かりやすく図にするとこうなります

10回目スライド 3枚目

ただ、

ストレス

と一言で言っても、

快ストレス
不快ストレス

の2種類があります

健康の定義に照らし合わせるなら、快ストレスも過剰になれば健康を損なう場合があるということです

具体例として、面白く語っている動画があるので、引用しておきます

こうした事は、西野さんに限った話ではなくて、誰にでも起こりえることだということです

【過不足なく】というのが、実はかなり肝になるんですが、快適さを維持した適度なストレスというのを分かりやすく言うと

肩に力が入らない程度のやる気やモティベーションを維持できる状態

ということです

不快ストレスが過ぎるとやる気を失いますが、悔しさとか、失敗をバネに「次こそは!」という状態は【過不足ない】状態です

また、快ストレスが過ぎると、西野さんのような事例もあれば、スポーツ選手などでも時折あるように、やる気がみなぎり過ぎて、「オーバーワークの末のケガ」というような事もあります

快ストレスによって、体の不調をきたした場合は、割と素直にそのバランスを戻しやすいと思うのですが、注意が必要なのは不快ストレスに対する対処法です

実は、この10回の投稿における各回の話の進め方が既にその方法となっています

①現状分析⇒現状理解
②問題の明確化
③強みと弱みの分析
④ソリューション

つまり、ストレスと上手に付き合うために、冷静に状況を整理するということです

10回目スライド 4枚目

ストレスをコントロールしようとした場合、当然ですがそこに対象との関係性が発生します

つまり、

・自分でできること
・自分の力が及ばないこと

に分けて考えるということです

こうした話をすると

「それができないから困ってんだろ!」

といったツッコミをする人が出てきます

しかし、少し厳しい事を言うと、そういう人は「デキないから困っている」わけではありません

「やらない」選択を無意識に行い、
「やらない」理由を感情のみに押し付けて
「やらない」理由を正当化している

だけなのです

有名な書籍に、ヴィクトール・フランクルが書いた「夜と霧」というのがあります

これは著者が、いわゆる強制収容所で体験したことを、心理学者としての視点から体験記としてまとめ上げた1冊です

その中で、氏は

「典型的な「被収容者」になるか、あるいは収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決める事なのだ」

と述べています

ここで言われている【典型的な被収容者】というのは、現代社会で例えると

・イジメのターゲットにされるのが怖くて傍観者になった人や、イジメに加担した人

のことです

自分が【典型的な被収容者】にならず、自分でコントロールできる事とそうでない事を分けて考えられるようになるためには、マインドセットが必要です

10回目スライド 5枚目

「人は環境の中でしか生きられない」と言うのは、いろんな人が言ってることでもありますが、昨年、興味深い報告がハーバード大学からありましたので、ご紹介します

どのような報告かというと

健康や幸福に本当に必要なものは何か?

といった話です
これを75年にわたって追跡調査をし、研究していたというのです

研究前は、経済力とか、地位や名声とか、仕事などいろいろな事が言われていましたが、実際には

素晴らしい人間関係

であるということが分かったのです
それ以外に相関関係が見当たらなかったというのです

しかも、これは主観的なものだということです

例えば、SNSを開けば人の人間関係の【ごく1部】が数字で示されています

フォロワーやフォローの数が多いと、何となく

この人すごいんだろうなぁ

と客観的な印象を抱きがちですが、本人が数字に見合った「素晴らしい人間関係」を自覚できず、主観的に【孤独】を感じていればその人は幸せではないということです

反対にSNSのアカウントを持っていて、フォロー、フォロワー数が少ない人でも、本人が、「素晴らしい人間関係」を自覚していれば幸せと感じているということです

加えて、この調査結果によると、主観的に孤独を感じるほど、素晴らしい人間関係が欠如した人の健康度は低く、緩やかに自殺するということまで報告されていました

「緩やかに」というのは、自暴自棄になって自堕落な暮らしをしたり、不摂生な生活を続けて健康を損なわせたり、ひねくれて他者からの優しさを素直に受け取れなくなったり、そういう人のことを指すようです

例えば、

今をトキメク大人気芸能人の急な自殺

といったことが起きてしまうのも、その人が主観的に孤独を感じているということです

こうしたことからも、人は環境の中でしか生きられないということが分かります

つまり、孤独を感じる環境では生きていけないということです

ですが、どこにいても、どんな環境にあっても、大なり小なり、何らかのストレスがあるものだという認識は必要です

【過不足なく快適な状態】が健康なのですから、「ストレスゼロ」はありえないことになります

すでに「ストレスゼロ」を感じているという人は、

「健康を損なう程の強烈なストレス」にさらされてはいないが、「何らかの些細なストレス」は無意識に受けている

という状態です

例えば、「蚊に刺された事に気づかない」くらいのストレスはあるということです

そのような環境の中で暮らしていく中で、【典型的な被収容者】に陥らない為のマインドセットがこのようなものになるということです

10回目スライド 6枚目

こうしたことを踏まえて、改めて「健康」というものを考えると、いかに平和が重要かという事が分かります

ここで言う「平和」とは、単に「戦争状態にない」ということではありません

犯罪や、いわゆるブラック企業など、僕たちが抱える課題は山ほどあります

家庭における夫婦喧嘩や、兄弟喧嘩、親子喧嘩も「白熱した議論」というレベルなら時には必要ですが

・男尊女卑
・価値観の押し付け
・DVやモラハラ、虐待、ネグレクト

が含まれるようなものは喧嘩ではなく、「平和」とも程遠いです

今回のオリンピックでも度々起きた騒動にしても同じです

・火種となる人
・火種を大きくする人
・炎上に加担する人

というのは、平和から離れています

それが目に入ってしまった人

の健康を損なう場合もあれば、叩かれた側の健康を損なうこともあるからです

そして、炎上に加担する人も、火種を大きくする人も本質的には【典型的な被収容者】と同じです

人間誰もが炎上に加担するわけでもなければ、火種を大きくしたいわけでもありません

この【典型的な被収容者】の状態は、真の健康という視点で社会の側から見たらウイルスや病原菌と同じです

それがヒトと呼ばれるのか、ウイルスなのか、細菌なのか、見た目と呼び名が変わるだけの話で、

健康を害する何かという意味では本質的には同じです

こうした人は、自身が孤独にさいなまれ、病んでいる状態である事に気づいていないことが多いです
むしろ、そういう自分を正当化しようとすらします

それは目に見えないウイルス同様、知らず知らずのうちに自分の心と体をむしばんでいる状態なのです

今、僕たちが本当の意味でパンデミックから解放されるには、

免疫を高め、健康であること

が必要不可欠です

そして、それは誰もが思っている事のはずです

であるなら、本質的な解決を本当に心から望むのであれば、他人の免疫を下げ、健康を損なわせるようなことはしないことも大事だということです

自分は感染しなくても、他の誰かが感染し続ける限りパンデミックは終わらないからです

これは、人類史上最も難しい課題だと思います

ですが、1人1人が自分にできる事とそうでない事を分けて考え、本当の意味で素晴らしい人間関係を築くことができたなら、自ずと近づいていくものだと思います

第1回の記事で、茨城のり子さんの「じぶんの感受性くらい」を引用しましたが、今回お伝えした事は自分の感受性を守る事にも繋がるはずです

そうやって、1人1人が自分の感受性を守り、磨き続けていく事で、人類史上成し得なかった平和と、真の健康が手に入るのだと思います

そんな茨木のり子さんの詩を最後にご紹介して終わりたいと思います

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ

最後までご覧いただき、ありがとうございます

全体を通してごらんになりたい方は、是非こちらの全体版をご覧ください



この記事が参加している募集

よろしければサポートをお願いします あなたから頂いたサポートは今後のより善い記事の取材のために有効に活用させて頂きます