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DX読書日記#5 『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』 伊神満

はじめに

以前読書日記#3で取り上げたオライリー&タッシュマン著の「両利きの経営」は、個人的には、分かりづらいだけでなく、いろいろと違和感のある本でした。

組織学習論における「知識の探索」と「知識の活用」の関係を、「新事業」と「既存事業」に読み替え、さらに、「破壊的イノベーション」と「持続的イノベーション」に読み替えているように見えますが、この読み替えが有効なものなのか、何か価値のあるものなのか、よく分かりませんでした。
既存事業や持続的イノベーションにも「知識の探索」はありますし、新事業や破壊的イノベーションにも「知識の活用」はあります。
また、新事業においても持続的イノベーションはありますし、むしろ必須といえるでしょう。
知識やリソースの共有や移転を論ずるだけであれば、このようなフレームは不要です。混乱するだけとも思いました。

また、オライリー&タッシュマンが主張するリーダーシップの重要性に関しても(これは他の組織学習論の専門家にはない特徴のようですが)、もう少し分析的な説明がほしいところです。
極論すれば、世の中の全ての問題は誰かのリーダーシップの問題に帰着可能です。その意味では、この本は何も言っていないのと一緒に見えました。
その一方で、リーダーシップに関する処方箋は具体的過ぎて奇妙で、内容的にも陳腐に感じるものでした。

最大の違和感は何といっても「『両利きの経営』こそが『イノベーションのジレンマ』の解決策のひとつ」という、この本の謳い文句です。

クリステンセンは「イノベーションのジレンマ」への解決策として、新事業をスピンアウトすることを提案しましたが、それは新事業と既存事業の間のカニバラーゼーションを考えたときに、同一組織において、新事業参入の意思決定が必ずしも容易ではないからです。

自身の論文の中では、スピンアウトと両利き組織それぞれの有効となる条件を示しておきながら、この本の中ではそれは明示せず、スピンアウトだけを無条件に否定しており、とうていフェアとは思えませんでした。

そもそも、スピンアウトか両利き組織かといった、組織デザインの問題は、全く関係ないとは言いませんが、「ジレンマ」の本質とは関係ないし、「ジレンマ」を解決してくれるものでもない、というのが個人的に思っていることです。

というわけで、「両利きの経営」のことを考えると、ついモヤモヤしてしまうのですが、今回は、少しスッキリしたいと思い、以前から気になっていた本書『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』(2018年)を読んでみることにしました。

本書の概要

本書はイェール大学准教授で産業組織論が専門の伊神満先生の本です。
イェール大学での「イノベーションの経済学」という授業がもとになっているそうです。

内容はクリステンセンの「イノベーターのジレンマ」の実証分析です。
邦訳の「イノベーションのジレンマ」ではなく、原書のままの「イノベーターのジレンマ」となっています。

てっきり堅い本と思っていたのですが、楽しく自由な語り口に驚きました!

こんな感じです。

『イノベーターのジレンマ』は賢い人間の書いた良質な本であり、まだ読んだことがない人は是非読むべきだろう。
(中略)
だがしかし、それでもやっぱり「既存企業は失敗した。なぜならバカだったからだ」という説明では舌足らずである。
「失敗者は、失敗につながるようなバイアスを抱えていたからこそ、失敗したのだ」
というのは、ほとんどトートロジー(同義反復)であり「後付けの経営学」に過ぎない。
成功者を持ち上げることも、失敗者をバカと呼ぶことも、一種の思考停止だ。そんなことは誰にでもできる。
本書はむしろ逆である。時間をかけて、じっくりロジック(論理)を考えてみよう。しっかり定量的なデータを集めてみよう。そして論理と現実とを丁寧に接続して、真の意味での「実証分析」をしてみよう。

『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』から抜粋

以下は本書の流れです。

本書のロードマップ

3つの理論

①共喰い
②抜け駆け
③能力格差

3つの実証作法       ※本書で実際に使用するのは①と③
①データ分析
②対照実験
③シミュレーション

ジレンマの解明
①需要
②供給
③投資

ジレンマの解決
①個人・企業
②社会・人類

『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』から抜粋、編集

最初に、「イノベーションにまつわる論点をはっきりさせるため」3つの経済理論を説明しています。

3つの理論

①共喰い
・新製品を投入しても旧製品と「共喰い」して利益は大して増えないかも、いまいち「やる気」がでない
・新参企業はゼロからのスタート、全てが利益の純増に繋がる、「やる気」もでる

②抜け駆け
・新参企業に先駆けて新技術を独占してしまえば、新たな参入を未然に防止できる
・既存企業こそが真っ先に新技術を買い占めてしまうはず

③能力格差
・没落した既存企業に欠けていたのは「やる気」なのか「能力」なのか

『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』から抜粋、編集

そして、この3つの仮説が錯綜して綱引き状態にあるとし、

①既存企業は「共喰い現象」のせいで「置換効果」に後ろ髪を引っ張られている
②一方で、未来のライバルに対する「先制攻撃」として、「抜け駆け」イノベーションに打って出るインセンティブにも、駆り立てられているはずだ
③そして、純粋な研究開発能力においては、既存企業と新参企業のどっちが優れているのか、その答え次第で「共喰い」と「抜け駆け」のパワー・バランスも変わって来る

『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』から抜粋

この綱引き状態にある、3つの理論的「力」を測定していきます。

ちなみに、本書の実証分析のアプローチは「構造解析」というもので、「本格的な構造解析の教科書」はこの世には存在せず、本書のような内容が読めるのは、日本語、英語、一般書も含めて、世界で唯一この本だけとのことです!
少し得した気分になりました笑

5つの研究ステップ(構造解析アプローチ)
①需要の分析     ・・・ 需要関数の推計=「共喰い」の測定
②供給の分析     ・・・ 利潤関数の推計=「抜け駆け」の測定
③投資の分析     ・・・ 埋没費用の推計=「能力格差」の測定
④反実仮想(解明)  ・・・ シミュレーションによるジレンマの解明
⑤反実仮想(政策)  ・・・ 政策効果のシミュレーション

『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』から抜粋、編集

「共喰い」の測定では、新旧製品間の需要の弾力性(交差弾力性)を測定しますが、回帰分析での相関関係では正しい結果は得られません。
本書では、操作変数法により、価格→数量の因果関係のもとでの需要の弾力性を測定します。

私が実際に使用しているのは、「ロジット型の離散選択モデル」と呼ばれる分析道具である。1970年代にカリフォルニア大学バークレー校のダニエル・マクファデン氏が基礎を固め、その功績で2000年のノーベル経済学賞を受賞した。「差別化財」の需要の分析手法は1990年代以降、実証・産業組織論の代表的ツールとなる。

『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』から抜粋

「抜け駆け」の測定では、抜け駆けの原因となる、「ライバル企業数に対する個別企業の利益に及ぼす影響」として利潤関数を推計していきます。
不完全競争のゲーム理論の、クールノー(数量)競争か、ベルトラン(価格)競争かを、諸々の「状況証拠」から、クールノー(数量)競争と特定し、さらに、クールノー方程式から、費用関数の導出、利潤関数の導出と進みます。

「ゲーム理論を補助線として活用」し「直接目には見えないもの」を「現実のデータから逆算」する手法は、1980年代に、スタンフォード大学のティモシー・ブレスナハン氏や、ノースウェスタン大学のロバート・ポーター氏が開発した。この発想と分析手法は、現在も、産業組織論の実証研究において中心的な役割を果たしている。

『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』から抜粋

「能力格差」の測定では、「イノベーション能力が高い」=「新製品の投資コストが低い」として、新製品に投資するか、しないか、あるいは、市場から撤退するかの動学的な投資ゲームの分析となります。

活用した「動学モデルの実証分析」の枠組みは、専門的には「動学的な離散選択」(dynamic discrete choice)モデルとして知られる。
以前イェール大学にも勤務していたジョン・ラスト(John Rust)氏が80年代に書いた代表作「GE社製バスエンジンの最適な取り換え:ハロルド・ザーカー氏に関する実証モデル」(1987年、エコノメトリカ誌掲載)という論文で特に有名だ。
(中略)
ラスト氏本人は「俺はただ、ベルマンとマクファデンの先行研究をくっつけただけだよ」と事も無げに語るが、過去30年間これ以上の研究は存在しない。
ちなみに数学者リチャード・ベルマン氏は1950年代に「動的計画法」(dynamic programming)を打ち立てた。最短乗り換えルートの検索などの形で、今も身近な基礎技術だ。
いっぽう計量経済学者ダニエル・マクファデン氏は、1970年に「離散選択」(discrete choice)問題を経済学的に煮詰めてノーベル賞を獲った。6章で使った「差別化財の需要分析」はその応用であった。
本章の分析はラスト氏の手法を「ゲーム」に拡張している。私のモデルの特徴としては「非定常・有限期間・不確定・不完備情報で逐次手番の動学ゲーム」ということになる

『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』から抜粋

ここまでの推計作業を終えた構造モデルを利用することで、「もしも共喰いがなかったら」「もしも抜け駆けがなかったら」「もしも能力格差がなかったら」といった、架空の条件で(反実仮想)シミュレーションすることができます。

本書では、具体例として、クリステンセンが分析した、同じHDD業界のデータを分析し、「ジレンマの解明」における「とりあえずの結論」として、次の3点を挙げています。

①既存企業は、抜け駆けの誘惑に強く駆り立てられている
②既存企業は、イノベーション能力も、実はかなり高い
③にもかかわらず腰抜けなのは、主に共喰いのせいである

『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』から抜粋、一部編集

世界で唯一の「構造解析」の本にしては、この「とりあえずの結論」は、オチがないというか、普通過ぎて拍子抜けです。
具体例として取り上げた業界もかなり地味です。最近のデジタルサービスを対象にした分析も見てみたかったと思いました。

ですが、ここからの著者による「ジレンマの解決」の主張は、経済学者ならではの視点を提供するもので、世界唯一の「構造解析」の本を、それ以上に素晴らしいものにしています。

著者は「ジレンマの解決」にあたり、「問題を解決するには、まず問題そのものを定義する必要がある」として、

問いは何か?
その問いには、世の中の誰が関心を払うべきか?

『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』から抜粋

について定義します。

本書における問いとしては、

問いは何か?
・なぜ既存企業のイノベーションは、新参企業よりも遅いのか?
・そのメカニズムを支配する3つの理論的「力」は、各々どれくらい大きいのか?

『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』から抜粋

この問いに対し、世の中の誰が関心を払うべきかについては、

その問いには、世の中の誰が関心を払うべきか?
・「競争とイノベーション」は、全人類が関心を持つ(べき)であろう。
・当事者企業と業界関係者、および株主だけでなく、ユーザーとなる他業界や、消費者にも影響する。
・また、知的財産権に関するルール、産業政策、貿易政策、競争政策、独占禁止法といった政策分野を(本来)どのようにデザイン・運用する(べき)かという問題に、直接関わってくる。
・そして「技術の盛衰」が「産業の盛衰」に繋がる以上、「失業」や「人材不足」のような労働市場の諸問題は、最終的には「創造的破壊の歴史的プロセス」を震源地としている。
・さらには教育と研究という「投資」(知識・技術・その利用法などへの「投資」)への予算配分も、中心的課題となる。

『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』から抜粋、一部編集

さらに、

もう少し大所高所に視点を上昇させると、
・私たち(の政府)全体の収入・支出という観点から見て、各種政策は有意義と言えるのか?
・私たちの長期的な生活水準(の決定要因である技術革新)をいかに向上・促進できるか?
といった、「政府の存在意義の根幹に関わる問題」とも無縁ではない。

『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』から抜粋

最後に、著者が本書を要約してくれています。

私たちの発見は、次の3点に要約される。
①既存企業は、たとえ有能で戦略的で合理的であったとしても、新旧技術や事業間の「共喰い」がある限り、新参企業ほどにはイノベーションに本気になれない。(イノベーターのジレンマの経済学的解明)
②この「ジレンマ」を解決して生き延びるには、何らかの形で「共喰い」を容認し、推進する必要があるが、それは「企業価値の最大化」という株主(つまり私たちの家計=投資家)にとっての利益に反する可能性がある。一概に良いこととは言えない。(創造的「自己」破壊のジレンマ)
③よくある「イノベーション促進政策」に大した効果は期待できないが、逆の言い方をすれば、現実のIT系産業は、丁度良い「競争と技術革新のバランス」で発展してきたことになる。これは社会的に喜ばしい事態である。(創造的破壊の真意)

『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』から抜粋

既存企業については、

目に見えるものばかり見ていると、大事なものに気付かない。
いま目の前にいる者(既存企業)ばかり見ていると、これから生まれてくる世代(新参企業、または企業となる以前の存在=起業家)のことを失念してしまう。
だがイノベーションというのは本質的に未来の話であり、将来世代の話なのだ。
諸行無常も盛者必衰も、決して悪いことではない。

『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』から抜粋

とのことでした。

おわりに

本書は、途中難しいところもありますが(そういった箇所は読み飛ばすよう著者から何度も勧められます笑)、とても楽しく、痛快な本です。
内容は盛りだくさんで、世界唯一の「構造解析」の本ということもあり、「お得感」はかなりのものです。
なにより、イノベーションに関して、既存企業とは異なる、株主や個人、社会、政府等の多様な視点の存在について気づかせてくれるのは、なかなか得難い経験ではないかと思います。
少しでも興味を持たれた方には、是非、お読みいただきたい、超お奨めの1冊です!


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