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記憶

note を書こうと思ったきっかけが入院という話は何度もしたが、
そのきっかけで、自分の人生というと、いささか大げさだが、
生い立ちを記録していこうという、ちょっと早めの終活心が私の中に
芽生え始めた。

私が生まれたのは、千葉県松戸市北小金という町。
最寄り駅の北小金駅すぐ近くにある紫陽花寺で有名な町だ。
私はこの町に、小学校1年生までいた。

今日は夕食をいささか食べ過ぎて、このまま睡魔に襲われるとまずいと、
家の近くの緑道をウォーキングした。
その時に、道のわきに 少し早めの青い紫陽花が咲いているのを見かけ、
ふっ と幼少期の記憶がよみがえってきた。

北小金駅を降りて、自宅へ向かう途中 大きなうっそうとした街路樹中を
歩いていく光景が浮かぶ。
その両脇には、ちょっとした物産を売っている 人のよさそうなおばさんのお店がいくつかあったような気がする。
そして、次の記憶では 細い両脇が竹藪のクランクの道だ。
この道を 親戚のおばさんと歩いていた際に、大きな獣が わっ!と出てきたよといった、嘘なのか本当なのかわからない話をされたのを覚えている。
幼心ながら怖かったのだろう。

そして、紫陽花寺を正面にみて、左のほうへ歩いて行ったところで記憶が
途切れる。
いつの間にか、記憶は 急な坂道になっていて、大人になった今歩くとどうかわからないが、当時は山登りのような記憶が残っている。
登って、下っていくと 左に 大きなスーパーマーケットがあった。
たしか名前はイズミストアだったような、、、
そのお店は、ジュンくんという私の幼馴染の家が経営していた。
ある時 私が、年後の弟を連れて袋にお菓子を詰めて渡しに行ったことがある。
その時、チャイムを押すと ジュンくんのお母さんだったか、おばあちゃんだったか、とにかく女性の方が出てきて、今すぐ帰ってくれ!!とすごい剣幕で叱られたことがあった。
私は びっくりして、泣きながら弟と家に帰っていき、母親に泣きじゃくった。
後で、母親経由で事情を聴いたところ、私達がくる直前まで遊んでいたジュンくんの友達が、また戻ってきたと勘違いし、喜びのあまり、駆け出して
ガラスのドアに手をドついてしまい、割れて、大きく切ってしまい、大変なことになっていたようだ。
それであの時の女の人の焦りに合点がそのいったものだ。
ジュンくんには 少し上のお姉さんがいて、たしか名前はりかさんだったと思う。 唯一の記憶は、ジュンくんの家に泊まりに行った時に、夜寝れなかったからなのか、頭を撫でられて寝かしつけられているシーンだ。    とても優しいお姉さんだった。
残念ながら、りかさんは子供の時に白血病で亡くなってしまった。

北小金の記憶は、まだいろいろある。最近の若い人たちはわからないかもしれないが、あの時はどぶ掃除というのがあり、下水がしっかりしていなかったので、すぐに家の前を流れるどぶに土やゴミなどがたまり、いわゆるどぶ
になるのだ。そのどぶをスコップですくい、道の脇に出すという光景がいまでも記憶に残っている。そして、あのどぶの匂いも私の中枢神経にしっかりと刻み込まれている。今となっては 懐かしい?匂いだ。

次回は、もう少し 北小金の幼少期の 思い出せる記憶を辿ってみたいと思う。
近日、北小金に赴き、私の記憶が正しいか、そして、その場所は 今どうなっているか実際に訪問したいと思う。

















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