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第24話_学びにおいて「最小の努力で最大の結果」でよいのか

教育においてIT技術を活かしていく動きが活発になっている。特にここ数年は学習にAIを活かす流行になっている。

この事は良い面もあると思う。例えば、試験など短期的な目標があり、それまでに苦手を洗い出して効率よく潰したいという時は、AIの力を借りるのは、確かに良いと思う。

ただし、生涯の学びにおいて、すべてAI学習に代替しようと思うのは少し違う気がしている。

気になるのは、学びを「効率化」しようとする姿勢。

「最小の努力で、最大の結果を得る」

この事は、一見価値が高そうに思う。
でも想像してみて欲しい。何か問題を解いたら、AIから「あなたの苦手はこれです。次はこの問題をやってみましょう」と提案されて、なんの疑問も持たずに、出された問題を解き続ける。

テストをパスする、いわゆる「テスト学力」は上がるかもしれないが、文部科学省が打ち出している「生きる力」のなかにある「思考力、判断力、表現力」がつく気はしない。

だから、基礎的なところはAIでやって、短期に仕上げて、その分増えた時間で応用的な所は探究・プロジェクト型学習をするのだというシナリオを描いている取組があるが、それをやるには学校教育の仕組み自体をかなり変えないと難しい気もしているが、その事は今回はこれ以上触れない。

学びにおいては、「最小の努力で最大の結果」ではなく、

「最大限努力して、やっと掴めた何か」

にこそ、価値があるのではないかと思う。

試行錯誤して、時には失敗して、考えて、出来なくて挫折もして、でも、仲間や先生や親に励まされてまた挑戦して、周りと切磋琢磨しながら、できた時に承認されて、というような学習体験があるからこそ学ぶことは楽しい。

これは「最小の努力で最大の効果」という世界観からは程遠い。

それを、学力を上げるという部分だけ切り出して、効率化するのは、学びのモチベーション持続という観点からは疑問がある。

AIを「学習を効率化」するために活かすというよりは、「学習体験を充実化」するために使える道を探りたいと思う。

西垣透さんの著書「ビッグデータと人工知能」の中で人間と機械の違いについてこう書かれている。

生物は現在の状況に応じた柔軟な問題設定と情報の意味解釈によって生きていく自律的存在であり、他方機械は、指令通りのアルゴリズムで過去のデータを形式的に高速処理する他律的存在である。(kindle no2652)
センスのある人工知能研究者なら、人間の脳のシミュレーションなどで時間とエネルギーを浪費することは止めるだろう。かわりに、人間には決してできない大量データの高速処理によって、人間の判断をたすけ知能を増大させる方向、つまりIA(知能増幅)に向けて舵を切るはずだ。(kindle no2640)

AIもゆくゆくIAの方に舵が切られ、人間の脳を模倣するのではなく、人間の能力を増幅することに主眼が置かれるなら、学習を効率化するだけでなく、人間の学習体験を充実させる、その方向にシフトしていって欲しいと願っている。



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