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人生とは差分を楽しむものだ

良い人生とはなんだろうか。

私にとって良い人生とは「不幸なときと幸せなとき」との差分が大きい人生だと思う。端的にいうと変化が大きい人生である。

今までの人生を縦軸が幸せ度、横軸が年齢としたときのグラフに例えたら溝が深ければ深いほど良い人生だと考えている。

例えば幼少期に貧乏だった人と裕福だった人を比較してみるとわかりやすい。
幼少期貧乏だった人は成長していく段階で裕福になればなるほど幸福度は高くなるだろう。逆に今より貧乏になったとしてもそこまで不幸度は変わらない。
逆に幼い頃から裕福だった人は今より裕福になったとしてもなかなか幸せを感じれないだろう。そして貧乏になればなるほど幸福度は一気に下がっていくだろう。

日常生活で例えるとお腹が減っていれば減っているほどご飯が美味しく感じることができて、食事ができることに幸せを感じることができる。

このように昔の立ち位置と現在の立ち位置に差分があればあるほど幸福度、不幸度の変化が大きくなると思う。

逆に以前の立ち位置と現在の立ち位置との高さが変わらなければ「幸せを感じる」ことは難しいだろう。ただ単にコンフォートゾーンの中で変化を恐れて動けていない状態である。
今の立ち位置がどんなに良い位置なのか、もしくは最悪な位置なのかを知ることもできない。

これほど不幸なことはあるだろうか。

逆に変化があれば昔の立ち位置の良さ悪さを認識ができる。
不幸になったとしても「幸せだった」ということを実感できる。
そのこと自体が人生にとってとても意味のあることである。

人生最後の日に何を思うだろうかと考えることがあるが、
ほとんどの人が今まで辿ってきた過去を想像すると思う。
その最後の日に、同じ立ち位置のみで生きてきた人にとっては何を想像できるだろうか。ずっと同じ景色だけが頭の中で流れていて強烈な幸せを想像することはできないだろう。

この発想で考えると人生の序盤で不幸度が高い人はとても運が良いとも言える。
最初の立ち位置が低ければ低いほど溝は深くなのだから。

そして人生終盤で不幸なことが起きたとしても悲観する必要はない。
なぜなら人生の良し悪しを知れたのだから。





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