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おいしいものが、食べたい

何気ない瞬間にふと目にした食事のシーンがすごく刺さって、その口になってしまうことが時々ある。

それは小説の中にさらりと描かれていたり、漫画の1コマに過ぎなかったりするのだけど、メインでは描かれていないのに惹かれてしまうこともあるのだなぁ、それだけ私が食いしん坊なのかなんて思いつつ、違和感なくキャラの生活感を作中に落とし込むプロの技に感心したりするこの頃。

漫画「ミステリと言う勿れ」を読み返していたら、主人公の整くんがカレーライスにウスターソースをかけて食べる描写があった。それを見て、「あ、今日のお昼は私もカレーライスにしよう」と思った。その日の私はのんびりと過ごしていた。休日だからと好きなだけごろごろして漫画を読んでいたらいつの間にかお昼と夕方の間くらいの時間になっていて、そろそろ何か食べようかなぁという頃合いでもあった。でも、別にこれといって食べたいものもなく、正直に言うと食事の準備すら面倒くさく、それでも恨めしいことにお腹はぐうぐう鳴っていて、ウーバーするか……でも高いんだよなぁなどと考えていた。物が溢れる便利な時代に生まれた者の贅沢な悩みである。

そんな時にふと見かけた漫画の中のさり気ない1コマ。あ、おいしそう、と思ってしまった。そうするともうすっかりカレーの口になってしまい、私はパパッと着替えると、近所のお店にレトルトカレーを買いに出かけた。ごろごろしていてもこういう時の行動は早いのだ。

店頭にやって来ると、レトルトカレーといっても多くの種類が並んでいて、どれにするものかと悩んでしまった。整くんのようにウスターソースをかけて食べたいし、個人的には目玉焼きも乗っけたい。そうなると、カレー自体は間違いなく美味しいけれどスタンダードなものがいい。そんな私が手に取ったのはボンカレーゴールド。間違いのない選択である。

帰宅していそいそとお昼ごはんの支度をした。やっていることはレンジでチンと目玉焼きを焼いてそれを盛り付けるくらいのことなのに、完成すると嬉しくて、ウスターソースをかけていると童心に帰ったような気持ちにすらなって、スプーンでひとくち掬って口に運ぶ瞬間はとてもワクワクした。そしてもちろん、このカレーライスは美味しかった。

そういえば、とふと思い出した。私は今でこそチョコレート大好きな人間なのだが、そのきっかけは漫画「失恋ショコラティエ」だった。美味しそうに描かれたチョコを見て、ちょっといいチョコを食べてみたくなった。それまでの私は甘いものよりポテチのようなしょっぱい系のスナック菓子派だったのだが、デパ地下で高級チョコをご褒美に買ってみたり、疲れた時にはやっぱりチョコだよね! なんて言い訳しつつ仕事の休憩時間にコンビニに行って買ったりするくらいにはチョコが好きになった。ちなみに最近のお気に入りはカントリーマアムのチョコまみれ。ファミリーパックで買ってしまう。

思えば、おいしそうなカクテルも小説や漫画で知ったのだった。以前の記事にも書いたのだが、ミモザとジントニックは私にとっては少し特別なカクテルだったりする。つい先日友人と行ったビストロでも飲んだのだが、最初こそ好奇心や憧れにまかせてチャレンジした「おいしいもの」が、その後の人生にも関わっていつしか私の一部を形成するものになっていたりする。そういうのって、おもしろい。

そうそう、ゲーム内のストーリーにさらっと出てきた「カリカリに焼いた厚揚げに薬味どっさり」もおいしそうで作ってみたんだった。文章を見ただけで「あ、絶対においしい」と思ってしまったのだ。ちょっと奮発してビールを買って、その日の晩酌はご機嫌に過ごせた。そしてもちろん、カリカリに焼いた厚揚げはおいしかった。刻んだねぎと大葉をどっさり乗せて、生姜醤油でいただいた。最高だった。

私の「おいしい」は、想像力を掻き立てられる過程も含めた上で完成しているのかもしれない。

検索すると、それこそたくさんの画像が出てくるし、情報も出てくる。それをおいしそうだな、とは思うけど、実際に行動して口にして咀嚼するかはまた別の話。多分その時のシチュエーションやコンディションや気分やその人の性格やその他諸々の複雑な要素が揃った時に、おいしそうから食べたいに変わり、食べよう、食べた、に変わるのだ。そこでおいしいとなるか、まぁおいしいとなるか、そこそこかなとなるかはこれもまた別の話。そう考えると、実は「おいしい」と思えるってすごいことなのかもしれない。そして「おいしい」を多く感じられるほど、気分もよくなるし、幸福度も上がる気がする。

日々を慌ただしく過ごしていると、食事がおざなりになることもあったりする。今の時代、そんなに不味いものって売ってない気もするから、テキトーに選んだものでもそこそこのおいしいはわりと感じられる。でも、自分のアンテナに引っかかったり、心が動く「おいしい」はそう多くはない。

私は一人暮らしなので、それこそ食については自由だ。ずっとカップ麺や冷食やレトルトやコンビニやスーパーのお弁当という生活を送っていたとしても、誰にも咎められることはない。

でも、自由な反面、「選ぶこと」が面倒な時もある。今日何食べよっかな〜〜とごろごろしながら呟くのに、頭の中には何にも浮かんでこない状態で他のことを始めたりする。

そんな中でアンテナに引っかかってくれたものがあったなら、それはもう降って湧いたような出会いだし、なんだか嬉しくなってしまうというものだ。なんてお手軽。こんなにお手軽なのに、出会いはそこら辺に落ちてはいないのだ。いや、落ちている人もいるかもしれないが、私の場合は好みが少々細かいのかもしれない。なんか、こんな書き方をしていると恋バナのようだが、食べものの話である。

さて、今日は何を食べよう。

朝昼晩と何も決まっていないので、よい出会いがありますように。

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