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【山陽道】牡蠣も広島風お好み焼きももみじ饅頭もない~取材旅行記~

食品に関する取材のお仕事をしていた頃に書き留めておいたメモを手直ししてnoteします。今回は1999年4月の岡山・広島への旅から風景記です(お店の名前や料理、地名など記事の内容は当時のものです)。


絶好の取材日和。
36人乗りのSAAB340B機は、定員いっぱいの乗客を乗せ、瀬戸内海の美しい島々を見下ろしながら山肌を縫うように岡山空港に到着した。
今日からの1日半で3社を取材する強行軍の始まり。

強行軍の最初は岡山から

空港リムジンバスで岡山駅へ。
昼食は駅ターミナルビルの二階の(空腹の勢いもあって)中華料理店『南京楼』で約30分の乗り継ぎ時間に済ませる。
JR山陽本線に乗りこみ約1時間で大門駅に到着。
ひなびた感じの駅前には2台のタクシーが客待ちをしている。
「いいですか?」と新聞を読んでいた運転手さんに声を掛けると、ちょっとかったるい雰囲気「はい・どぉぞぉ」と車のドアを開けてくれた。

初日の取材を無事に終え、翌日の取材先にむけて広島へ移動する。
広島駅は4月8日のリニュアルオープンに向けて、新しい駅ビルは乗降客と工事関係者、搬入業者でごった返していた。

黄昏に見た原爆ドーム

工事中の地下道を右往左往しながらホテルに到着。
チェックイン後、市内観光に出る。
原爆ドームを見る事にして路面電車に乗り込む。
ドヤドヤと紺色のスーツを着込んだ一群が乗り込んできた。
見ると同じようにバッグを持ち、襟に見た事のあるバッチを付けている。
同行者の「あれってあの車メーカーじゃない?」の言葉に「あぁ、今日は入社式なんだぁ」と新社会人を眺める。

紙屋町。広島市内の繁華街で電車を降りる。
ここから原爆ドームまで歩くことにした。
桜の並木の向こう、夕暮の空をバックにドームは建っていた。
周囲には地元の方だろう散策をしている人がいる。
のどかな夕暮れの風景だ。
元安川を挟む平和公園に向かう。
折り鶴を頭上高く掲げた『原爆の子の像』。
周囲には千羽鶴が積まれている。
本や資料、映像でしか、この像の姿や原爆ドームを知らなかった。
初めて直接目にし、空気に触れた自分はしばらくの時間を、ぼんやりとしかし確かに立ち尽くしていた。

若者の多い店でシシカバブを

同行者の「ご飯食べに行きましょう」の声に元安橋を渡り、本町通りを歩く。
通りの両側には様々なお店が並びアーケードが続く。
あっちのお店、こっちのお店と覗きながら歩く。
町は若者であふれている。

一軒の料理店の前で立ち止まる。
シシカバブの臭いにつられた。
ドアを開けて中にはいる。
店内は若い女性で一杯。
焼売・餃子・サラダそしてシシカバブ等を注文。
生ビールと一緒に食べる。
シシカバブはスパイスが効いているし焼売は蒸し加減が絶品。
それに結構な距離を歩いて空腹だったこともあろうか『美味い!』。

広島市をはさんで東へ西へ

広島駅から東に4駅目に『坂』駅はある。午前の取材はこの『坂』駅の近くにあった。
事前の話しでは『充填工程だけしか見れないかも』と言われていたが、製造ラインを変更してくださり最終の包装工程まで動かして取材も撮影も十分に行うことができた。感謝。

いったん広島駅に戻り、駅の構内のうどん屋さんで肉うどんをかっこみ、もう一度山陽本線に乗り込む。
新井口駅は広島から西に2駅目。駅前には巨大なショッピングセンター。キャラクターのショップ、レストラン街。金曜日の午後ということもあるだろうか人でいっぱいである。

午後から約束している取材先は駅から車で5分程の埋め立て地の工場団地に立つ。
工場は醤油を炊いた香ばしい香りに包まれている。
取材後半に話が原料のイカナゴに及ぶと、社長はちょっと怒ったような表情になり「明石大橋のせいで原料が激減している」と話す。
原料のイカナゴは淡路島周辺で採れたものにこだわっているが、このイカナゴは奇麗な砂地の海底に産卵する。ところが本四連絡橋の基礎工事で海底の汚濁は想像以上にすすんでいるというのだ。
「地上であんな工事をすればみんな反対するだろう。けど海底は見えないから、だれも文句を言わないんだ。日本中いろんな所でジャコは採れるけど、明石のイカナゴの姿や味が一番いい。そこにこだわって作ってる製品は打撃を受けてる」と。

牡蠣もお好み焼きももみじ饅頭すら…

広島市の海沿い。三菱重工業の横にある広島西飛行場。
出発ロビー(と言っても到着ロビーも同じで、なおかつ発券カウンターも兼用)の1台きりのテレビでは高校野球をやっている。
それを眺めているのは3人のサラリーマン風。
今のメイン空港は広島から約2時間東に行った新空港に移ってしまっている。
「土産は飛行場で」と思っていたのが間違いだった。
売店は5時過ぎに閉店。

午後5時半発の便への乗客は私たちを含め15人。
夕日の中の滑走路をのんびりと歩き、往路と同じSAABに乗り込んだ。
YSよりも若干余裕のある座席に身体を押し込む。
一人きりの客室乗務員がドアを閉め、プロペラがパタッパタッパタパタパタからグォーンとまわり始めて気がついた
「広島風お好み焼きも、生牡蠣も食べてない、広島の酒も飲んでいないじゃないか!」と。

取材日:1999年4月1日~2日

◆20年以上前・岡山と広島を訪れた際に書き留めておいた取材旅行記番外編のひとつです。記事の元が1999年の話しなので、広島西飛行場や取材先のメーカーさんもなくなったり、明石大橋や瀬戸内海を渡る橋は普通に存在しますが、その当時のことも思い起こしていただければ幸いです。
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※見出しイラストは
カメラマンのイラスト by Loose Drawing 少し加工しました。

https://loosedrawing.com/illust/1034/


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