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じぶんの好きのおすそわけ。原作読み終わってないけど、映画『マチネの終わりに』を観て③〜三谷早苗という女性について。

前回からの続きです。映画を観た後、原作をちょっとずつ、読みはじめました。

今回は、三谷早苗(CAST: 桜井ユキ)という女性について感想を書いてみます。映画を観てる最中(原作をまだ読んでない時)に、彼女のとった行動や語られる言葉から、じぶんの心を揺さぶられることが多かったです。観終わって、しばらく振り返ってみると、三谷早苗という女性が、どの登場人物よりも先に記憶として蘇ってきます。主人公2人の蒔野(CAST: 福山雅治)や洋子(CAST: 石田ゆり子)という存在を差し置いて、早苗のことを考えてしまいます。

早苗に対して、共感は少なからずあるんですが、自己投影具合が、どの登場人物よりも、一番高かったです。早苗という女性が、物語上、どんなことをやるのかは、ネタバレになってしまうので、細かくは言えません。ただ、観た多くの人からは非難を受けてしまう立場になるだろうなぁという印象が高いです。実際、僕も彼女のとった行動については、いき過ぎてると思いました。物語に出てくる当事者の立場だったら、「やるせない」「許せない」気持ちがどうしようもなく、湧くと思うんです。

でも、そんな彼女を、傍観者として見た時、「人間ってこんなんだよね」「自分も彼女だったら、実際行動には起こさないけど、頭の中では、彼女と同じことを考えてしまうかも」「理屈よりも感情だよ」みたいな、共感はしたくはないけど、そういうところ、自分にもあるよねって思ってしまいます。彼女にじぶんを投影してしまいました。

投影してしまう理由は、嫉妬だったり、何かをじぶんにはないものを持ってることへの憧れや尊敬、持てないことへの絶望みたいな、いろんな感情がじぶんの中で湧き起こるからです。

だんだん、物語が進んでいくうちに、早苗が妙に可愛く、人として愛おしい存在だなぁと思ってしまいました。

一方、蒔野や洋子が置かれている境遇に対して、共感は少なからず覚えましたが、投影までいきませんでした。なぜなら、早苗にとって、僕にとって、2人は「憧れ」の存在だからです。憧れは、時に、人を鼓舞してくれる存在であり、一方で嫉妬の対象になります。自分ごと化できない理由は、彼らが見てる世界も、感じてるものも、じぶんとは、かけ離れているからでしょう。

想像する事はできても、ほんとうのところは、わからない。想像して憧れだけが募るだけ。彼らからしたら、彼ら2人にしかわからない感覚があるが故に、彼らが生きている現実の中では、生きづらさを感じているのだろうと思います。

この映画を観て、感覚としてダブるところは、夏目漱石の『こゝろ』です。話は少しそれちゃいますが、僕が高校生の時に、初めて『こころ』読んだ時の感覚を少し感じました。じぶんの琴線において、「憧れ」というのは、キーワードなのだと、あらためて思いました。

原作をちょっとずつ、読んでて、もう、早苗の行動が、否応にも目についてしまっている状態です。主人公2人に対して、若干の罪悪感を感じながら、読み進めています。

原作を先に読んで、映画を観た知り合いの感想が興味深かったです。映画と原作の早苗は、印象が違っていて、原作の早苗の方がいいなぁという意見でした。

これから、原作の中で、どんな早苗に会えるのか、少し興味があります。

続く。


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