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『ボーはおそれている』重度不安障害の世界にひたる、笑いの2時間59分

『Beau is Afraid』(2023年)★★★☆。

これは大事な映画だ。湧き上がる恐怖をちゃんと笑い飛ばせれば、面白さが倍増する。

重度な精神疾患者の目線を、驚くほど壮大なスケールで再現する。それが本作の核だ。心優しいからこそ、生活に支障をきたすレベルの不安障害を抱えた男が、母にまつわる出来事をきっかけに珍道中に巻き込まれる。

途中、精神疾患の原点と思しき原体験の切れ端がたびたび割り込んできては、主人公ボー(ホアキン・フェニックス)の現実と混ざり合う。その現実は、現実などとはとても思えない理不尽さに満ちていて、いつ現実に戻るのか、と思う鑑賞者を裏切り続ける。

我々の知る現実など、この映画にはないのだ。すべてが、不安障害を抱えた男のレンズを通している。だから日常のすべてが空恐ろしい。その常軌を逸した奇怪さに、笑うしかなくなる。恐ろしくダークなコメディだ。

企画

『ヘレディタリー 継承』『ミッドソマー』のアリ・アスター監督が手がける長編3作目は「2本撮って売れたから、いけるかなと思って(この作品を)やった」と本人談。11歳のときに形にしたアイデアを売り歩いても振り向く者はいなかった。それが、前2作の成功を機に成立したのが本作だという。

インディペンデント映画の雄となったA24に$35M(40億円強か)をもらい受けて作った本作は、芸術志向の監督らしいむちゃくちゃな構想を臆面もなく描く。

なにせ、映画は終始「おそれている」主人公ボーの世界から抜け出させてくれない。カウンセラーに通う情緒不安定なボーの恐怖症ぶりは振り切れていて、彼に降りかかる災難は理不尽で不条理。道理は通じず、正常な人間は1人として存在しない。

それこそがポイントだ。不安障害とはそういうものだから。

展開

ある日のボーは、心理カウンセラーに会ってから荷造りをし、翌日、母の実家へ向けて国内線の飛行機に乗る予定でいる。

ところが出発の前日に災難が続く。家までの道程で不審者に追い回されたり、処方された薬を飲むのに水が足りず、危険な近所を歩いて水を買いに行かなければならなかったり。そうして眠りにつけないでいると、寝坊した上にスーツケースを盗まれてしまうボー。

そこから、母にまつわる「ある出来事」をきっかけに、「母のいる実家へ戻る」ことが物語の目的となる。

ポイント

脈絡のないボーの旅は常軌を逸している。

外は変質者だらけだし、ゲートを出た瞬間に物乞いが執拗に追いかけてくるし。裸の男が脈絡なく凶器で襲ってくるし、何もしていなくても、銃を向けて「動くな」と叫ぶ警察官がいる。

夜、音を立てていないのに騒音について苦情のメモが届くし、挙げ句の果てには相手が大音量の音楽で眠りを妨げてくるし。しまいには、ちょっと目を離していた隙に荷物を盗まれる始末。

すべてが現実なのだが、現実には説明のつかない出来事の連続。その違和感から、これはきっとボーの脳内フィルターを通して起きていることなのだろう、と思いはじめるのが自然だ。そのおかしさ、奇妙さが、肝。

現実はすべて解釈を通してしか存在し得ず、その解釈に大なり小なり差があるのが人というもの。物語の語り手を誰にするのかで、誰の現実を語るのかが決まる。その極端な一例を描いているのが本作だ。

終盤で明らかになる疾患の元凶と、それが主人公に及ぼした影響には同情する部分もある。作中の成長を根こそぎもぎ取っていくくだりにも、息を呑む。

精神的に矮小化され、牙も爪ももぎ取られた男の末路は悲しいものだ。そんな暗いトンネルをあてどなく進む人は、たくさんいる。その悲劇に気づき、身近に似たような人がいて、手を差し伸べてみようか、などと少しでも思ったとしたら。それだけで鑑賞の価値はある。

技術的にも、芸術性にも抜きん出た、ふたつとない奇怪な一本。2時間59分は長いけれど、コミットすればきっと収穫を得られる怪作だ。

(鑑賞日:2024年2月22日 @TOHOシネマズすすきの)

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