博士論文2022年12月の報告書。
あけましておめでとうございます。1月5日に博士論文公聴会があるため、それに向けて原稿書き直しと発表資料作成をしている年末年始。ご飯屋さんが閉まっていて困る。静かで穏やかなのはいいけれど。
帰省もせずに1ヶ月ほどずっと博論の原稿を書き直してるのは、全ては1月5日に公聴会があるせい。教授ですら文句を言っている。誰得なのか不思議。昔はもっと遅かったらしい(中旬とか)。お正月に休ませないのが博士最後の嫌がらせ、に思える。これで終わりと信じている。
1. この1年のこと
2022年は、1月の博士論文の予備審査に始まって、同じ月にはSHUKYU magazineへの論考を書き上げた(掲載は3月)。
2月には論文賞である昭和池田記念賞の論稿を書き、優秀賞を受賞した。同月、書き上げた論文が日本建築学会計画系論文集に論文が採択された。学会の若手優秀賞も受賞した。
3月はDepressの時期を過ごして大分や京都・名古屋へ逃避した。
4月くらいから能に通うようになった。群馬にも行った。4、5月は粛々と図書館に篭って博士論文のサーベイと構成に没頭した。
6月にははじめてのラジオ出演も経験した。
7月にはやはり博士論文を書いていて、途中で新潟と山形に逃避した。あとEthereumの実装を始めたのもこの頃。
8月は京都に2回行った。この月も博士論文を書いていた。
9月にはダイワハウスコンペの1次審査に応募し通過して、10月いっぱいは2次審査の準備をした。結果として優秀賞を受賞した。
11月には2日に件のコンペの最終審査があり、その後少しして博士論文の第1稿を書き上げて提出をした。
12月には学会に参加したほか、副査の先生に説明にまわり博論の原稿を書き直している。また、あと後で書くけれど、『新建築』への寄稿もした。
まあ多少は動いたけれど、稼働も少なく成長も少なかった一年といえる。
何より博論の仕上げの一年だったからその調査や執筆、サーベイに追われた印象だけど、そのために人との繋がりを断ちすぎた気もしている。仕事の依頼をもらっても、ほとんど博論を理由に断り続けてきた。それは単純に、学ぶ機会を減らした気がする。人との繋がりを断って集中することも大事だけど、その結果学びの機会も減る。そのアンビバレントさを痛感した。
とはいえ、本当に関わるべきでない人間がいるということも強く実感した1年だった。少なくとも僕はそう思う。それが学び、とは僕は思わない。ただの摩耗でしかなかった。人生において必要のないことだし、得るものがない。あるいは、得てはならない。何もそこから吸収してしまってはいけない。そういうこともある。
2. 新建築への寄稿
月末に発売された新建築に寄稿している。「これからの建築・都市に向けて 2023のキーワード」という企画で、36人のうちの1人。
誌面をみてみたら、ゼネコンや組織設計事務所の社長、あるいは藤本壮介さんや石上純也さんらと並んでいて驚いた。とはいえただの学生枠。
張り切って書いたけれど張り切りすぎにも思えた。ほかの原稿に気負いのようなものはみえなかった。時代は変わらないのだと思った。
僕は歴史の中のVR的なものを捉える「待像」という概念について書いている。
3. 新建築住宅特集への登場
今月は件の能面の集住を提案したダイワハウスコンペの結果もあって、新建築住宅特集にも登場した。
雑誌冒頭の平田さんの論考は面白かった。読む価値があると思う。いろんなことを考えさせられた。別にコンペに関係があるものではないけれど。
改めて自分のコンペ評をみてみると、いろんなコメントがあったにも関わらず、僕についての全てのコメントが「空間がダメ」とまとめられていて、デザインの才能なしと烙印を押された気分になった。もう少しまとめ方なかったのか、とも思った。
ちなみになぜほかの作品に審査員の1人の八田さんのコメントがあって僕の作品にのみないかは、コンペについてのnoteを参照されたし。
ここから先は
2025年3月に「夢における空間論」を書き上げるまで
旧「2023年3月に博士論文を書き上げるまで」。博士論文を書き上げるまでの日々を綴っていました。今は延長戦中です。月に1回フランクな研究報…
サポートは研究費に使わせていただきます。