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【インド旅】(10)「信用」について

ところで、ブッダガヤにもバラナシにも、流暢に日本語を話すインド人が沢山います。

日本人らしき人を見かける度に「こんにちは〜、どこ泊まってるの?」とか「お金落としましたよ」とか、様々な方法で声をかけてきます。

一度も会ったことないのに「おー!久しぶりじゃん!」と言ってきた奴は、なかなかのやり手だなと思いました。

1人旅で警戒度をあげている僕は、日本語で話しかけてくるインド人の相手はしないし、返事をしたとしても足を止めることもないので、基本的には無視します。

そんな彼らと毎日のように遭遇する中で、「信用」について、ちょっと考えさせられました。

(1) インド・ブッタガヤでの(自称)元新潟大学ヒンドゥー語講師

ブッダガヤで昼ご飯を食べてる時に会った日本語堪能なインド人おじさんは、新潟大学でヒンドゥー語を教えてたと言って、彼が日本にいる写真を沢山見せてくれました。

ブッダガヤで暇だったし、ご飯屋の椅子に座っていたので、割と長時間雑談した後、彼は「日本で日本人に本当にお世話になったから、恩返しがしたい」と言って、僕を彼の家の夜ご飯に誘ってくれました。

「この人は信用できそうだけど、いやー、流石に家に行くのは…大丈夫なのかこれは?」と思った僕は、印度山日本寺の勤行で知り合った日本人と「2人で行ってもいいか?」と聞きました。

彼は「もちろんいいですよ。」と言った後、「でも、日本人だけですよ。白人とか、インド人はダメね」と言いました。

そして、家の場所と集合時間とメニューを教えてくれた後、別れ際に「待ってるからね!遅れても、私、家の前で待ってるからね!」と手を振ってくれました。

夕方5時に日本寺へ勤行に向かうと、昨日坐禅で知り合った日本人の人は、その日は来ていなくて、もし誘われた家に行くとしたら僕1人で行くことになりました。

このお誘いに乗るか、結構悩みました。

「本当に良い人だとしたら、インドの家庭を体験出来るまたとない機会。でも、もし、悪い人だったら、睡眠薬で誘拐か、カツアゲっぽいな…いやーーーどっちだ?1人で行くのは怖いなーーー。」

悩んだ末、僕は夜ご飯に行きませんでした。

彼が、本当に夜ご飯を用意してくれていて、いつになっても現れない僕を家の前でずっと待っていてくれたのか、それとも、「チッ、獲物を逃した」と舌打ちしたのか。それは永遠に分かりません。

(2) インド・バラナシでのハイテンション青年

バラナシでは、日本語を話すインド人に20人は遭遇したので、正直疲れました。

しかもバラナシの奴らは、ブッダガヤの人たちと違って、こっちが無視してもしばらく付いてくるので、余計に疲れます。

そんな時に、あるインド人の青年が「こんにちはー!あなた、どこ行くの!」と、やたらハイテンションかつ至近距離で話かけてきたので、僕は無言スルーして歩き続けました。

すると彼は僕の真横を付いてきながら「なんで私と話さない!?」とまた大声で言ってきたので、僕は「何もいらないし買わないから。」とボソッと言いました。

すると彼は「なんでだよ!私、何も買えって言ってないよ!ほんっと、めんどくさいなー!最近の日本人おかしいよ!#mp&@▲wp□g/!!」とちょっと怒って、去って行きました。

地球の歩き方インド編には「日本語で話しかけてくるインド人には要注意」とハッキリ書いてあるし、実際に日本人がインドで被害に遭った詐欺やボッタクリの例が山ほど掲載されていて、注意喚起がなされています。

実際にインドを歩くと、駅のチケット売り場はオープンしてるのに「もう閉まってる。チケット欲しいならウチの店に来い」とか、自分のリクシャー(車)に乗せたいから「リクシャーはここでしか乗れない」とか平気で嘘をつくインド人たちは、日本語英語問わず沢山います。

確かに、日本人をカモにするために日本語で話しかけてくるインド人が大多数かもしれません。

だけど、もしかしたら、純粋に日本のことが好きで、日本語を勉強してて、インドを旅する日本人を手助けしたいからとか、本当に善意で話しかけてくるインド人もいるかもしれない。

でも、こっちは今目の前にいるこの人が、悪人なのか善人なのか分からない。

本当に分からないから困る。

(3) キューバの日本語アニメクラブ

2017年の夏にキューバを1ヶ月旅した時には、「日本語アニメクラブ」をやってるという青年に日本語で話しかけられた。

「今夜、アニメクラブの活動があるから、来て欲しい」と誘われた。

僕は、「面白そうだし行ってみるか!」と即決して、夜に1人で指定された場所に行った。

本当にアニメクラブがあって、20人くらいのキューバ人に混じってナルトのアニメを一緒に見た。最後に少しスピーチを求められた。

(4) トルコのお土産屋の店長

トルコで商店を持つおじさんに日本語で話しかけられた時は、日本語だったけど最後まで話を聞いて、普通に欲しいと思った小物をいくつか買った。

(5) 信用について

でも、インドでは、この人は日本語を話すけど「インド人だから」なんとなく胡散臭いから無視するし、この人は優しくて良い人っぽいけど「インド人だから」どうせ騙そうとしているに違いないと思う。

そういう偏見が、僕の中に明らかにある。

インド人に対する、僕の偏見と信用の低さは、どこから来るのか。

今まで会ったインチキインド人たちから来るのか?

でも、今目の前にいるこの人は、まだ僕にインチキをしていない。

今までに読んだ詐欺事例とかボックリ事例の注意喚起情報から来るのか?

でも、今目の前にいるこの人は、一度もボッタクリなんてしていないかもしれない。

もちろん、信用できるインド人もいる、というか、その人たちのおかげで旅が出来ているのだけど、やはり信用できない人もいる。

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タージマハルの近くで「ガイドさせてくれ」と言ってきた(自称)大学生は、すぐに信用して、ガイドしてもらった。

でも、ブッダガヤでの(自称)元新潟大学教員は信用しなかったし、バラナシの青年のことは無視した。何が違ったんだろう。

日本人は海外で信用されると言う。

旅をしたことがある人は、体験したことがあると思うが、旅中にこちらが「日本人」だと分かると優しくしてくれる現地の人は多い。

それは、戦後の日本人が、海外で真っ当にビジネスを頑張ったり、ODAとかでその国の発展に貢献してきたからだと、言われている。

しかし、僕という「個人」は、海外で真っ当なビジネスをしたことはないし、ODAの原資となる納税額も多くないし、TOYOTAやAjinomotoで働いてないし、アニメやマンガも描けないし、寿司職人でもないし、そんなに礼儀正しくないし、たまには嘘もつく。

でも、僕は「日本人」なので、信用される。

インド人の彼は、観光客に嘘ついたことないかもしれないし、キチンとした大学教員かもしれないし、奥さんと子供達を愛する良いお父さんかもしれないのに、「インド人」なので、信用されない。

これは、なんなんだろう。

信用は積み重ねだと言うけれど、「僕自身」は旅先で出会う人たちに対して、良い印象も悪い印象も、何も積み重ねていない。

インド人で日本語を話す彼も、彼という「個人」は僕に対して、良い印象も悪い印象も、ほとんど何も積み重ねていない。

だって、1秒前まで、お互いに会ったことないんだもん。

でも僕は、「過去の日本人たち」が積み重ねた信用を身に纏っている。そして、彼も「過去のインド人たち」が積み重ねた信用を身に纏っている。

僕も彼も、個人としては、旅先で初めて出会う人に対して、まだほとんど何も積み重ねていないはずなのに。

うーん、よく分かりませぬ。誰が悪いとかの話じゃない気がする。

一瞬で「この人は信用できる/できない」をどうやって判断されているんだろう。

外付けされたラベルの影響があると思うんだけど…。

何かオススメの本や記事などあったら誰か教えてほしいです。

(続く)

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