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【インド旅】(13) 無力な旅人
このインド旅でツラいことは沢山あった。
・冷房も窓もない安宿で汗かきながら寝た
・タンドリーチキンのスパイスが強すぎて、お尻が痛くなった
・14時間、1つのベッドをインド人おじさんと2人でシェアして寝た(ほとんど寝られなかった)
でも、1番ツラかったのは、チベット亡命政府のある町マクロードガンジで、「自分はなんて無力なんだ」と痛感させられたことです。
精神的なツラさで、数日落ち込んでました。
今チベットでは、中国政府の弾圧が本当に酷くて、人は誘拐されるし、町は乗っ取られるし、文化は上書きされるし、自然もぶっ壊されています。
(写真: チベットの国旗は最右列上から3つめ)
チベットは元々「国」として国際社会に認められていましたが、ある時を境に「チベット自治区」として中華人民共和国の一部とされ、それ以降、中国政府は自国の一部であることを口実に同化政策と搾取を強行し続けています。
(写真: TIME誌のチベット特集とオバマ大統領からダライ・ラマ14世への親書)
インド北部のマクロードガンジには、チベットから亡命してきた人々の集落があり、チベット亡命政府の本部が置かれています。ノーベル平和賞を受賞したダライ・ラマ14世も、今はマクロードガンジに住んでいます。
中国政府の命令で、チベットに元々あった商店の看板は、チベット語から中国語に強制的に書き換えられたり、学校ではチベット語ではなく中国語を話すことを強制させられたりしていて、チベット語を読み書きできないチベット人の子供が増えている。
町中に監視カメラと武装警察が配置され、何か問題があると見なされれば「再教育施設」に収監される。1950年代に2500近くあったチベット仏教寺院は、90%以上が取り壊され、今は100個も残っていない。
ほとんど武器を持たないチベット人が平和的にデモを行うと、「治安維持」を名目に、中国本土から武警が増員され、デモが終わってもそのまま居残る。
こんなにも中国政府に弾圧されているのに、チベット仏教僧が自爆テロではなく「焼身自殺」をするのは、虫も殺さないチベット仏教僧が「相手に危害を加えずに」抗議の意を示すため...etc.
マクロードガンジの小さな博物館で、本当に泣きそうになりました。
チベット人の方たちを前に、何にも力になれない無力な自分を突きつけられました。
マクロードガンジにある博物館なので、当然チベット寄りにバイアスがかかっているのは承知しているけど、これは、あまりにも酷くないか。
本当に怒りを覚えました。
チベットの人たちは、自分たちの故郷を、物理的にも文化的にも、現在進行形で破壊されている。
ただただ平和に暮らしていたいだけなのに!
なんで、こんなことが黙殺されるんだろう。
世の中狂ってるわ。
結局、経済力と軍事力を持ったら、やりたい放題なのか。
ダライ・ラマ14世にノーベル平和賞あげて終わりじゃなくて、早く誰かチベットを助けてあげてくれよ!
自分にも何か出来ることは無いかと思って、博物館に当時バックパッカーの僕的には大金の500ルピー(約750円) を寄附しました。
…たった500ルピーで何になるっていうんだろう。
(写真: ツゥクパというチベット風ラーメン)
出来るだけチベット人にお金を落とそうと、マクロードガンジの町ではインド人じゃなくてチベット人が経営するお店に行くようにして、1回の食事で2品のメイン料理を、お腹パンパンになりながら頑張って食べました。
観光に来てたインド人の大家族が、僕の数倍の量を当たり前にオーダーしました。
…僕が1品多く頼んだとこで、何になるっていうんだろう。
…無力だ。
経済力のない僕は、無力だ…。
ちょうど僕がマクロードガンジにいた時、ある友人のFacebook投稿が目に留まりました。
東京農工大に通うD君は、農業や環境に関しての知識と課題意識を日本人の大学生たちに持ってもらうために、新しく農工大発のメディアを立ち上げたらしいです。
彼自身、メディア運営やコンテンツ作成は未経験で、右も左も分からないけど、自分が正しいと思うことに挑戦するそうです。
素晴らしい。心意気がカッコいい。
D君、頑張れ。
僕は「めっちゃいいね!応援する!」と、彼の投稿に一行だけコメントしました。
しばらくして、先ほどのD君の投稿に、僕の親友の親友A君もコメントをしました。(A君もD君を知っている)
エンジニアとして活躍するA君のコメントは、
「超いいね!応援する!ソフトウェアエンジニアが必要だったら、いつでも声かけてよ!」でした。
…そういうことか。
…ここでも僕は無力だ。
提供できる専門性のない僕は、無力だ。
D君もA君も、僕と同い年。
D君は、勇気を出して新しいことを始める。
A君は、そんなD君をソフトウェアエンジニアとして具体的に手助けすることが出来る。
一方で、何者でもない僕は「応援してる」とコメントすることしか出来ない。
D君は僕に「応援」されて、嬉しかったかもしれない。
でも、一行だけコメントされても、D君のメディアの状況は具体的には何も変わってない。
チベットの人たちは僕に「同情」されて、嬉しかったかもしれない。
でも、たった500ルピー寄付されて、たった1品多くオーダーされても、チベットの状況は具体的には何も変わってない。
ほんと、無力なんだよなーーー。
経済力もない、専門性もない。
正義感?責任感?好奇心?だけ強い。
それって、無力なままなんだよなーーー。
応援してくれる人の存在って、確かにメンタル的なサポートにはなると思う。それも必要不可欠なサポートだから、「無力」というと言い過ぎかもしれない。
応援されることはもちろん嬉しい。
実際、友達や家族からの応援のおかげで、精神的に潰れることから助けられることもある。
だけど、自分が本当にサポートしたい事や人を「応援」だけしか出来ないのは、悔しい。
小さくても、何か「具体的な変化」をもたらせてあげたいと、僕は思う。
「応援してる!◯◯が必要なら手伝えるよ?」とか「応援してる!◯◯さん紹介しようか?」とか。
スキルかもしれないし、お金かもしれないし、人脈かもしれないんだけど、本当に応援したい事や人に対して、言葉以外に提供できる具体的な何かを、自分に身につけたい。
無力な自分から卒業したい。
「相手の役に立ちたい」という自分のエゴを押し付けすぎないように注意しないといけないんだけど、必要とされる何かをパッと手助け出来る自分でいたい。
チベットも農工大メディアも、
香港もアマゾン熱帯雨林も、
パレスチナも新疆ウイグルも、
無力なままの自分だと、何にもならない。
何にも変えられない。
24歳にもなって、騒ぐだけで具体的には何にも出来ないのヤバくないか?
トンカチ握れるインド人のおじさんの方が、よっぽど具体的にチベットに貢献できる気がする…と思うくらい落ち込んだ。
手に職のない自分が恥ずかしい。
(写真: 謎の何かを作るインド人おじさん)
色々なことへ首を突っ込みたがる習性はキープしつつ、もういい加減「僕にはこれが出来ます」といえる専門性を磨く。
マクロードガンジで覚悟が出来ました。
ところで、D君メディアに対する僕とA君のコメントを比較して、「応援してる!」としか言えない自分があまりにも不甲斐なく思ったので、「なんか自分に出来ることって、本当に無いんだっけ?」と、自分に出来そうなことを頑張って探しました。
よく考えてみたら、自分はロイター通信でインターン記者やったり、自分で雑誌を作って売ったりした経験があるし、今も友人達とビジネスコンペに参加してそこそこの結果を残していることに気がつきました。
こういう経験から、具体的に手伝えそうなことを、何とか無理矢理捻り出して「マーケティングとか広報戦略なら手伝えるかも!」と急いで追加編集しました。
今現在の自分がらとりあえず「専門性」と言えそうなものって、学校で習ったこととか、本で読んだこととかじゃなくて、実戦で実際に経験したことだけなんだな、と痛感しました。
なので、これからも、どんどん行動して、たくさん打席に立ち続けるようにします。そうでもしないと、自分は永遠に無力なままな気がします。
そんな感じで、寡黙で優しいチベット人達とヒマラヤの大自然に囲まれてマクロードガンジで過ごした時間は、自分にとってすごく大事な時間だったと思います。
(写真: 修行僧たちのティータイム)
僕にとって「旅」の大事な部分って、タージマハルとか世界遺産の何たら遺跡とかではなくて(それらも、もちろん楽しいんだけど)、
日本語喋るインド人とか、亡命してるチベット人とか、同じ宿に泊まったバックパッカーとか、そういう人たちとの触れ合いの中から、何か普段はあまり考える機会のない事を考える事なんだなと思います。
マクロードガンジとチベットの人々。いつかもっと役に立つ大物になって帰って来たい。
その時まで、どうか、本当にどうか、生き延びていて欲しい。
僕は、「正義感に燃えてお終い」の自分とさよならすることにしました。
このタイミングで旅に出て本当によかったなと思います。
よし、頑張ろう。
(続く)
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