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背後から中田翔が!?色々カオスだった甲子園開会式の待機場所。

 2006年夏、第88回全国高等学校野球選手権大会の開会式に参加するため、全国の地方大会を勝ち抜いた代表校が、甲子園球場横にある阪神タイガース所有の室内練習場に集結していた。筆者も広島如水館代表としてそこに居たのだが、14年たった今でも鮮明に覚えているので(むしろ開会式本番はほぼ記憶に残ってない)、そこで起きた様々な出来事を書いていこうと思う。

ハンカチVSマー君。社会現象になった第88回甲子園。

 その前に88回大会の概要を少し説明しよう。この大会は記憶に残っている方々も多いのではないだろうか。ハンカチ王子こと、斎藤佑樹(現日本ハム)擁する早稲田実業と、夏三連覇を目指す田中将大(現ニューヨーク・ヤンキース)擁する駒大苫小牧が決勝で対決し、社会現象になるほど日本中が注目した大会であった。

  しかし、当初はそこまで世間の注目を浴びていたわけではなく、下馬評では春のセンバツで優勝した横浜高校(現中日・福田や現楽天・下水流など所属)や、その春卒業予定の3年生が起こした不祥事でセンバツ辞退を余儀なくされ、夏に全てをかけていた駒大苫小牧を中心に、前年甲子園を賑わせた怪物、中田翔擁する大阪桐蔭や、センバツで横浜高校に大差で敗北し、リベンジに燃える早稲田実業、春準優勝の清峰などが、その界隈で取り上げられていたくらいの注目度であった。
 だが大会が始まると、斎藤佑樹擁する早稲田実業が快進撃をみせ、数々の強豪打線をたった一人で沈黙させ、決勝戦での田中将大との投げあいは、延長再試合の末、全イニングを一人で投げ切り、高校野球の頂点に輝いた。
 そんな快進撃を披露した早稲田実業の中心、7試合をほぼ全て一人で投げきり、球数は驚異の948球を記録した斎藤佑樹。実力は勿論のこと、田中将大という好敵手の存在、汗をハンカチで拭う爽やかさ等が相まり、この大会は斎藤佑樹によって一気に世間の注目を浴びた。

 そんな輝かしい大会に、実は広島代表として如水館高校もひっそりと出場していたのだった。

怖い…早く帰りたい…そこは強者達の社交場だった。

 2006年8月5日。この日は甲子園で行われる開会式のリハーサル日だった。如水館高校は集合場所である阪神タイガース室内練習場へと向かった。室内練習場に入るとそこには驚くような景色が広がっていた。なんと大人しく整列してる様子がなく、半分以上の高校は他校と談笑したり、使い捨てカメラ等で一緒に写真を撮ったりしていた。なんだこれ?聞いてないぞ?と場の雰囲気に困惑しながら指定の位置に背の高い順番で座った。すると今度は周囲から感じる物凄い威圧感が筆者に襲いかかってきた。
 前から5番目、175cm/58kgのヒョロガリイカソーメンだった筆者に対し、周囲の前から5番目は大体180cm/80kg超えのおっさん体型ばかり。しかも、向かって左端の沖縄代表から、全国を北上していくように並んでいたので、如水館の近くには関西圏(もしくは出身)の代表がたくさんいた。コレがいけなかった。

 隣の岡山関西はケータイをイジり、森田一成(元阪神)などの2年生が3年生の為に水を何往復も運んでおり、天理大阪桐蔭のおっさんみたいな奴らは周りも気にせず大声で談笑し、しまいには「翔、こいつらし○いてええで!」とか言ってる。近くの倉吉北島根開星もどうやら会話を聞いてると関西人ばかり…。とにかく関西弁の圧が凄い…橋本(元阪神)などの智弁和歌山は喋ってなくてもユニの智辯がもう智辯。そんな状況に筆者はこの場から逃げ出したかった。場違いなところに来てしまった…怖い…殺される…。

 これが室内練習場で最初に味わった甲子園常連校との格の違いだった。この気持ちは本番当日でも慣れることなく、対して変わらなかった。

早実御一行をせき止め!これが、如水館のエースだ。

 本番当日、前日の事を踏まえ筆者も一生の思い出を作りたいと思い、使い捨てカメラを持参した。が、そこまでの勇気はなく、結局かばんから取り出すことはなかった。だが、如水館のエースは違った。
 到着するやいなや、すぐ関東圏の方まで足を運び、堂上直倫や本間(駒大苫小牧)とのツーショットを撮ってきた。うちのエースは如水館ナインで唯一、社交場の仲間入りを果たしたのだ。
その他の有名な選手たちとも写真を収め、その行動力に感心していたら、如水館の前を早稲田実業ナインが横切ってきた。うお〜早実やん、すげーなと思って眺めてた瞬間、うちのエースが最後尾にいた斎藤佑樹に「斎藤選手!写真撮ってくださぁい!!」と詰め寄ったのだ。おいまじかよ…。すると斎藤佑樹は足を止め、うちのエースと写真を取り始めた。写真を撮るまで早実ナインは足を止め、関西中国九州の代表校の視線を一斉に浴びるという実にカオスな状況だったが、うちのエースはあの斎藤佑樹と一緒に写真を撮ることに成功したのだ。おまえ、ようやるな…と尋ねると、「だって撮るチャンスないじゃん」と…

 当時は迷惑な奴だなと思ってたが、今となっては羨ましい限りである。図々しい方が良い時もあるのだ。
 あのとき写真を撮る勇気があれば…今でもたまに思う著者であった。

人生で一番恥ずかしい黙祷。なぜみんなやってくれないの???

 第88回大会の開会式が行われた日は8月6日。そう、この日は第二次世界大戦でアメリカ合衆国が広島に原子爆弾を投下した日だ。8月6日は広島にとって特別な日であり、我々広島代表として追悼の意を込めて、投下された8時15分に黙祷を捧げれる様高野連に要請し、高野連もその時刻には静粛な時間を設けるという約束を交わしていた。ただ、事前に全校に認識させている様子はなく、前日のリハーサル時に拡声器で説明があったくらいで、まあ皆でその時間黙祷を捧げるのだろうなと考えていたが、本番は全く予想もしてなかった展開だった。
 以下の画像を見てほしい。

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 そう、如水館高校だけが黙祷を捧げたのだ。想像してみてほしい。全国の代表が集まる中、前項で申し上げた通り、あのざわついた広い室内練習場で急に静粛な時間を設け、たった1校だけ起立したらどうなるか。正直、恥ずかしくてやりたくなかった。黙祷中も案の定ざわつきは収まらず、「なにこいつら立ってんの?」とか、「こいつら絶対恥ずかしいだろ」や「あ、今日原爆の日か」など言われてる状態。でもそれは仕方ない事で、あの年頃の人間ならそういう感想を持って当然である。
 筆者は何で皆でしてくれないの?と当時は思ったが、年を重ねるにつれて高野連がなぜそのような措置をとったのか、ある程度理解できるようにはなった。
 まあこの時の思いは色々あるが、脱線するのでこの場においては深く踏み込むつもりはない。とにかく人生で一番屈辱的で恥ずかしい黙祷であったことは間違いない。

如水館の最後尾に突然中田翔が現れた…

 黙祷も終わり、いよいよ開会式本番。室内練習場を離れ、よく覚えてないが多分ブルペンで順番待ちをしていた時、如水館最後尾からとんでもない速報が入った。「中田翔が俺らに話しかけてきた」…なんだと…どういう事??
 話を聞くと、中田翔は如水館の最後尾に突然現れて、三年生の方ですか?と訪ねてきたそう。筆者はまず、この礼儀正しさにビビった。 中田翔は広島出身なので、当然色々噂は聞いていた。以前、如水館の監督室の机に中学3年生のスカウティングレポートがあって、それを勝手に拝見したら(時効だと思います笑)中田翔の項目があり、内容は一級品だが素行が悪く、広島県の高校は獲得を見送っていると書かれていた。何じゃそれと。一体何をしたのかと。それから前年の大阪桐蔭での活躍。あの風貌。絶対怖い人だ、年上だろうが関係ない。目があったらやられる。と筆者は思っていたので、その話を聞いて拍子抜けした記憶がある。そして相手が三年生とわかると、敬語で同じシニアにいた同級生いまどんな感じですか?と会話したそうだ。一番後ろにいた同期の身長は161cmで、対する中田翔は183cm。当然筆者の同期もビビって敬語で会話したらしい(笑)
 周りのどこを見ても有名人。やっぱり凄い所に来たのだなと、改めて感じた。

開会式を経験して思ったこと。

 開会式を通じて、一番感じたことは、甲子園常連のチームは雰囲気も格もやっぱり違った。逆に歴史の浅い高校や初出場の高校は縮こまってあの場の雰囲気に飲まれる。今思えば戦いは既に始まっていたのだろう。筆者はこの格の違いが勝負のウエイトを結構占めているのではないかと感じている。なので、あの場で談笑したり、写真パシャパシャ撮るのは場の雰囲気に慣れるためには必要な事だと思う。そのためには甲子園に連続して出続ける事も非常に重要で、開会式の心構えもそうだが、初戦までの準備の仕方がガラッと変わる。なので、なるべく3年内に出場を繰り返す事が高校自体のステップアップへと繋がると考える。そしたら黙祷も集中できるだろう…笑
 
 最後になるが、やはり人生で特別な経験をする時は、後悔のないよう自分の殻から少しでも抜け出す勇気が必要である。一生の思い出に花を添えるためにも、積極的にコミュニケーションを図り、その場をしっかり楽しむことが大切だ。

 

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