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隣の芝が、どこまでも青く見えるこの世界の下で。

SDGs、サステイナブルな〜、持続可能な〜、 etc…

これほど持続性(または、持続可能性)と
社会、そして世界全体で言われている時はあっただろうか。
社会課題の深刻化がこれ以上、無視できない程に進み
人々の命や人権が瀕していて、社会の基盤が瀕していて
あらゆる生物の生存が瀕していて、地球の美しい青さが瀕している。

あらゆる存在と共生し1000年続くようなエコシステムが必要とされている。
そのために、SDGsを筆頭とした「持続性」について
もう一度、地球に住む全員、一人一人が考えなければならない。


「わたしが考える、“持続性”とは。」


「わたしが考える、“持続性”とは。」


僕にとって「持続性」とは、
「自分の芝の青さに目を向けること」である。

自分の芝の青さに目を向けることが
ずっと続いてくような
自然や資源・自分という存在・人間関係・やりたい事や夢地域や社会に繋がると思う。


持続性とは社会課題によく用いられるが
今回は、ありとあらゆる角度から体系的にまとめてみた。


いろんな持続性

自分のやりたい事や夢を持つこと。
それに向かう時、いろんな努力を積み重ねると思う。
辛いこともあれば、しんどいことだってある。
なかなか上手くいかない時、SNSを見ると人の投稿に羨むし妬む気持ちが出る。
SNSで見せる姿が、その人の全部ではないことなど承知している。
しかし、どうしても今の自分と比べてしまい、キラキラしているように見える。

そんな時でも、ぶれずに継続することが大切だと分かっている。
だから、人のしている事や挑戦などが羨ましく思えても
自分の目の前のことを積み上げて
自分が決断したこと、ワクワクしたあの気持ちに向き合い続けようとする。
そうする内に、静かに、着実に
時代のうねりに対応する、ぶれることのない
想いとして、熱く、濃く、強くなっていくのだ。


他者・人間関係について。

新しい出会いを求めて、新しい刺激が欲しくて
ついつい、遠くの方を見てしまいがちだ。

新しい出会いを求めてしまうことは良いこと。
でも、それと同じくらい、いま自分が接している目の前の人も大切だ。
家族・地元の友達・ご近所さん などなど

その人たちと自分との繋がりもちゃんと目を向けること。
身近だから、どうしても気づきづらくって、たまには素直になれないこともある。

お互い変わって合わなかったり、縁が切れてしまった繋がりに
もう一度、触れて欲しいということではなくて
そんな繋がりからも
今の自分がいることは、忘れずに次の人に出会うことが大切だと。
そうここでは言いたい。

一期一会。
これまでの出会いに目を向けるからこそ
これからの出会いにきちんと向き合える。
これが、長く続き、自分の人生を豊かにする出会いに巡り会える。

地域や社会について。

今の地域や社会は、どこも似たような顔を目指してきたと思う。
その土地には、その土地にしかない、人や景色、文化、空気感があるのに
大きなオフィスビル、24hのコンビニなど
東京のような都会が持つ魅力が
他の地域の魅力を図る基準として画一化されてきた。

人の個性に比べようがないように
地域にも、それぞれの個性がある中で、その個性を統一しようとし
基準より下だと田舎と言い。基準より上だと都会だと言う。

その土地にいかないと
味わえないような個性に目が向けられず、また、地元の人も目を向けず
都会の持つ豊かさに揃えようと
大きなオフィスビルや豪勢な高層マンション、大型ショッピングモールを建てる。

どの土地が作っても同じような顔ぶれになるような場所に
誰がこの街をずっと守っていきたいと、
国や政府ではなく
そこに住んでいる人々が想いを持って接することができるのだろう。

「そこにしかない。」だから、「そこを守り続けよう。受け継いでいこう。」と
自発的に市民参加が起こり、その街の魅力が歴史を積み重ねる。
そこにしかない感性を
形にすることで初めてその土地の歴史と調和した
本当の意味で愛され続ける街になると僕は考えている。


資源と自然


地球の反対側の資源を持ってくる
今の経済システムの影響で、地球のあらゆる資源や自然は危機に晒されている。

石油はこのまま採られるといずれ無くなると、以前から言われているが
魚に関しても同じだ。僕たちが今のペースでとっていると
2050年までには多くの種が絶滅の危機に直面すると言われている。
アマゾン等の熱帯雨林でも
海老の養殖や牛の畜産の影響で甚大な被害が出ている。
効率性や短期的な利益を確保するために
これまで恵みを持してきた資源や自然、現地の人々が搾取されている。


すぐ目の前にある
風や太陽の恵み、山・川の恵み、海の恵みに目を向けず
地球のどこか遠方の場所から
持ってきてスーパーや近所のガソリンスタンドに用意されている。
だから、僕たちは日々
消費している物が社会に、自然、人間に
どのような影響を与えているか可視化することが難しい。

目の前のものを使うことで、どのような影響があるのか
それを分かって初めて
そこに人間らしい思いやりのあるお会計が行われる。
近所の人からもらった野菜とスーパーから買った野菜
どちらを大切に使おうとするのか。それと同じことだ。

また、近くのエネルギー資源を有効活用するだけで
「石油がなくなるぞ。」という声に対して
トイレットペーパーを買い漁らなくていいし
経済がダウンすることなく、安定した経済を可能とする社会ができる。

何も、地球の反対側から持ってくる必要はないのだ。
効率化のみを重視していては
自然と他者と共生する上で必要な思いやりを持つことは難しい。


最後に、僕たち一人ひとりが持つ個性でも同じことだ。

自分の無いところを探し
他人が持っていることを探すことは時に大切かもしれない。

しかし、それが大切なのは
自分が何を持っているのか。それが分かった上での話だと思う。

自分にはどんな良いところがあるのか。
自分の持っていること、その魅力にきちんと目を向けること。
その美しさをまずは認めてあげること。

無いものばかりを最初から探していては
自分を卑下してしまい、自己肯定感が上がらないままだ。
無い前提で考えるのか。有る前提で考えるのか。

この有無の違いで、他人が持つ個性の魅力にも素直に称賛することができるし
お互いが本当の意味で前を向き、支え合い、高め合うことができる。


一人ひとりが持つ魅力は絶対にある。
無いと思うなら、それはまず自分という存在に目を向けられていないと思う。
自分と他人の差別化を図るということではない。
もっとシンプルな話で
自分の魅力に気づいてあげること。それだけだ。
他人と違う人かは、単なる結果論で本質でなない。

だから、自分の個性にまずはきちんと目を向けること。
他人と比べて自分の個性を見るのは、他人に依存した状態で
その人がいなければ、自分という存在の成立は厳しいことを意味する。

自分の足できちんと立って、自分らしく生きる。
このためには、好きなところも嫌いなところも。自分らしさを受け入れること。
他の人は関係ない。大切なのは、自分がどう思うかだ。
自分に目を向けよう。


目の前の芝の青さに目を向けること。


僕にとって
持続性とは、「目の前の芝の青さに目を向けること」。

ただし、その青色の美しさを見出すのは簡単なことでなない。
理由は
最初から大切なものなんて、ほとんどこの世には無いからだ。

自身の芝に目を向ける中で
それがどう自分にとって大切なのか。
その気付きを積み重ねていく。歴史を積み重ねていく。
その積み重ねの中で、出会った言葉や感情の分だけ情が芽生える。

物を長く使うこと。
地元の山の資源を消費すること。
ある地域に長く住み続けてみること。
友人や恋人といろんな時間を過ごすこと。
自分のこれからに不安を感じたり、ワクワクすること。

そうやって、
「大切にしていきたいな。」と思った時

その人や物を
自分の存在の延長線上として捉え、共感の輪が拡がり
思いやりを分かち合える人間らしさが、生まれてくる。


グローバル化によって、地球が小さくなった今
隣の芝がどこまでも青く、際限のないキラキラした欲望がチラついて見えるが
その欲望に、その青さに、最初は目を向けてしまうこともある。
しかし、その青さに目を向け続けている以上
目の前の自分、他者、地域、自然・資源に思いを寄せることは難しく
お財布が豊かになっても、心は豊かにならないだろう。

自分の芝に目を剥き続けたら、その青さに気づける。
そしてそれは、1000年続くような持続性ある存在として受け継がれる。
だから、持続性とは
目の前の芝の青さに目を向けることから始まると僕は定義した。



最後に、質問をさせてほしい。

「わたしが考える、“持続性”とは。」

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