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NovelJam'[dash]2019の審査員講評(2020年12月)
「ノベルジャムダッシュ2019」と読みます。このイベントの詳細については https://www.noveljam.org/category/archive/noveljam2019dash/ をご参照ください。 全作品と受賞…
野田昌宏年譜(2008年7月、2023年4月改訂)
2008年に、大阪府岸和田市「浪切ホール」で「第47回日本SF大会DAICON7」が開催され、この大会の2日目、8月24日(日)の大トリとなるプログラム、星雲賞贈賞式で、野田昌宏さんに星雲賞特別賞が送られました。
これに先駆けて、同日の午後に野田さんの追悼企画「人生はSFだ」が設けられ、2部構成のパネルのうちの前半「SFは絵。だろ」(加藤直之・高千穂遙対談、小浜徹也司会)のため、小浜は参考資料とい
第11回創元SF短編賞選評(2020年5月)
創元SF短編賞は、2010年に第1回を発表したときから受賞作を単独で電子書籍化し、その巻末に選評を掲載してきました。これら選評は、第12回以降はウェブ上で閲覧できるようになっているのですが、ぼくが選考委員をつとめた最初の年、第11回は読むことができないので、自分のぶんだけでもと思い、ここに公開いたします。
この回の他の選考委員は、堀晃さんと宮内悠介さんでした。
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選評 小浜徹也(東京創元社
アナウンサー・浜尾朱美さんの思い出(2018年9月)
浜尾朱美さんは、1989年10月のTBS「筑紫哲也ニュース23(ツースリー)」の放送開始にあたって筑紫さんのアシスタントに起用され有名になりました。
一度きりの思い出があります。
浜尾さんは1961年徳島県生まれ。でも一時は千葉県にいたように聞いています。隣の高校の2年先輩でした。早稲田大学では放送研究会に所属して、一時は早稲田駅ホームの案内音声も担当したといいます。就職にあたっては、当然な
〈宇宙塵〉202号に寄せた野田昌宏さんの追悼文(2009年5月)
〈宇宙塵〉202号(2009年5月刊)は、アーサー・C・クラーク(08年3月)、今日泊亜蘭(5月)、野田昌宏(6月)3氏の追悼号でした。たぶんこの記事が、ぼくの初めての〈宇宙塵〉への寄稿でした。このあと、柴野さんの追悼特集への寄稿と、最終号の追悼座談会への参加があります。思ってもみなかった、伝説の〈宇宙塵〉との関わりとなりました。
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《キャプテン・フューチャー全集》のこと
忘れもしない
坂永雄一と橋本輝幸の結婚記念ファンジンに寄せた祝辞(2016年11月)
SFファンダムでは、仲間が結婚するとき、祝辞で埋まったファンジンをつくるのが習わしになっています。たぶん最初のものは80年代前半の、川合康雄さんと小百合さんの結婚ファンジン。京都円町の伝説的な「SF喫茶・ソラリス」のマスターとオーナーでし(小百合さんは2018年に逝去)。
そして、以下はたぶん、その最新のもの。坂永雄一(新郎)はSF小説家、京大SF研OB、「さえずりの宇宙」で第1回創元SF短編賞大
25周年を迎える日本SF大会・第2回(1986年4月)
■1970年代
60年代の日本SF大会は、日本のファースト・ファンダムとも呼ばれるべき世代によって担われた。大会自体のスタイルも、60年代中頃には一応の確立を見ているが、70年代に入って新世代にバトンタッチされてからは、それまで以上に毎年変化に富んだものとなってゆく。
現在の大会から振り返ってみると、様々なものがこの70年代の大会に端を発しているのがわかる。60 年代になかったものを挙げてみ
25周年を迎える日本SF大会・第3回(最終回、1986年7月)
■1980年代
1980年代の日本SF大会。
大部分の参加者の方々にとっては、ようやくこの時期が"同時代史"となるだろうか。
参加者が1000人の大台に乗り、総合会館を借り切って複数の企画が同時進行する。星雲賞発表、コスチュームショー、ファンジン売り場が欠かせないものとなり、当日は工夫を凝らしたプログラムブックが配布され、事前にプログレスレポートが届けられる。 ――もっともこのイメージも、
25周年を迎える日本SF大会・第1回(1986年1月)
■1960年代
1. MEGCON
1962年5月27日、東京は目黒。180名を集めて、日本初のSF大会が開かれた。
会議室を利用した、たった1日のコンベンション。合宿もなく、事前登録制もない。何人集まるかも定かでない。何もかもが初めての試みだった。
「開会あいさつの中に、その日の朝ふと思いついた、『お隣の人の顔をよく見て下さい。みんなSFが好きなんです』という殺し文句(?)をはさんだら、
25周年を迎える日本SF大会・前説(1986年の記事)
本稿は、第25回日本SF大会DAICON5(1986年8月23〜24日、大阪府の吹田市文化会館「メイシアター」で開催。参加者数2500名)が発行したプログレス・レポート〈ジャーナル〉(全3号。発行日はそれぞれ、1986年1月31日、4月30日、7月15日。編集人は岡本俊弥、また表紙デザインは数年後に創元SF文庫のカバーをお願いすることになる松林富久治[ふくじ])の巻頭部に、大会の立ち上げ段階から
もっとみるSFファンダムと大学SF研(1998年3月)
オンライン・マガジン〈SF online〉no.13 1998年3月25日号の特集「SF研をさがせ」(小浜徹也監修)の特集解説として書いたもの。「全国大学SF研チェックリスト」的な一覧ページが呼びものでした。〈SF online〉は、so-netコンテンツ事業部より月刊で配信されました(97年3月創刊、2002年2月休刊)。
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特集解説:SFファンダムと大学SF研 小浜徹也
ファンダ
ネヴィル・シュート『渚にて』の紹介記事(2020年2月)
東京創元社サイトに書いたもの。なおこのころ、まだ佐藤貞雄さんによる新訳版は出ていません。また当時の著者名表記は「ネビル・シュート」で、新訳の際に「ネビル」の表記を「ネヴィル」に改めました。
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知る人ぞ知る、人類絶滅小説のベスト1
「これはSFだけが流すことのできる涙」
ネビル・シュート『渚にて』
全面核戦争で北半球は死滅しましたが、物語の舞台となるオーストラリアは直接の被害を蒙らず、平
E・R・バローズ《合本版・火星シリーズ》の紹介記事(1999年3月)
東京創元社サイトを開設したときに書いたもの。当時のサイトではまだ商品検索もできず、新刊案内も読み物も、それぞれページとして束ねられただけのつくりでした(この翌月だったかに早川書房のサイトもスタートします)。オウンドメディアである〈Webミステリーズ〉(現・Web東京創元社マガジン)もはじまっていません(創刊は2006年3月。桜庭一樹さんの『桜庭一樹読者日記』を連載するための媒体として企画されました
もっとみるNovelJam'[dash]2019の審査員講評(2020年12月)
「ノベルジャムダッシュ2019」と読みます。このイベントの詳細については
https://www.noveljam.org/category/archive/noveljam2019dash/
をご参照ください。
全作品と受賞結果、審査員講評を収録した本が、2020年12月にBCCKから電子版・オンデマンド版で同時発売され、そこに収録されました。
2017年にはじまったイベントで、ぼくが審査員を
コミケでさがす大学SF研(1998年3月)
〈SF online〉no.13、1998年3月25日号の特集「SF研をさがせ」(小浜徹也監修)のなかで、こんなページを作りました。
当時すでにSF大会にファンジンがほとんど出展されなくなっていたことで思いついたもの。このころ、コミケでもSFファン同士の交流が行われるのが当たり前になっていた印象があります。
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SF大会でよく知られているファンジンも、コミケにはまめにブースを出している。
眉村卓さんの追悼文(2021年6月)
2021年6月に刊行された追悼文集『眉村卓の異世界通信』(「眉村卓の異世界通信」刊行委員会編)に寄稿したもの(眉村さんは19年11月に亡くなりました)。
編纂メンバーであった堀晃さんより、21年になって「小浜くんも〈星群〉の会員やったんやし、書かなあかんで」(大意)と畏れ多くも直々のお誘いをいただきました。書きあぐねていたところ、その年の〈創元SF短編賞〉の選考委員をお願いしていた堀さんに、最終選
柴野拓美さんの訃報(2010年1月)
東京創元社の公式サイトに無記名で書いた訃報(2010年1月17日)を若干修正しています。
じつはwikipediaの柴野さんの項にあるファンダムでの業績についてはぼくが挿入したもので、どう書いても同じような文章になる。wikiを真似っこしたと思われるのも癪なので、その部分についてはばっさり削りました。
この記事もホーガンの訃報と同じく複数の新聞社から確認の電話をもらいました。どなたかに「なぜ筆名で