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君のいた夏

どこまでも続く青い空に、眩しいほどの白い積雲が広がる。78年前、この地から多くの若い命が空へ向かって飛び立った。

17歳から最年長でも32歳。平均21歳の彼らに会うために4度目の鹿児島知覧特攻平和会館を訪れた。初めて入館した時は、おびただしい遺影と朽ちかけた零式艦上戦闘機に足がすくんだことを覚えている。館内をじっくりと回って改めて思うのは敗戦を迎えるまでの半年間にいったい何が起きていたのかということだ。

一人一人の写真と名前を辿る。凛々しい写真の中の若者の目に絶望の色は見えない。最後の食事であるおにぎりをほおばり笑みを浮かべる在りし日の彼らは、20分後に機上の人となった。子犬を抱きしめ見つめる少年達はあどけなさの残る顔で笑っている。出撃2時間前、自分に明日という未来はやってこないことを知りながら。

本当は心の中にどんな想いを秘めていたのだろう。語り部の方は静かな口調で私達に告げた。
「なぜ死を前にこんな笑顔でいるのか不思議でしょう?これは戦時教育のなせるわざなのですよ」

悍ましさがじわじわと湧き上がってくる。死への本能的な恐怖心すら封じ込めてしまう『教育』の恐ろしさに。

残された手紙類は彼らの母に宛てて、これまで慈しみ育ててくれたお礼と親不孝を詫びるものが多かった。特に印象深かったのは当時23歳だった穴澤利夫大尉が婚約者に宛てた手紙で、彼女がそれを受け取ったのは彼が亡くなった4日後だった。

要約すると、
「あなたの幸せをねがう以外に何物もない
いたずらに過去にこだわるなかれ。あなたは過去に生きるのではない
勇気を持って,過去を忘れ,将来に新活面を見出すこと
あなたは,今後の一時(いっとき)一時の現実の中に生きるのだ。穴澤は現実の世界にはもう存在しない」

最後に「会いたい、無性に」と締め括られ、手紙を書いた者と受け取った者、その胸中を思うとどんなに切なかったかと言葉にもならず胸が締めつけられる。

婚約者の智恵子さんは穴澤大尉の言葉を守り自分の新たな人生を歩まれたが、晩年亡くなられた時の部屋には、彼の遺影と煙草の吸い殻が大切に置かれていた。穴澤大尉は智恵子さんの長い人生の中で、共に生きてきたのかもしれない。

平和会館の外には三角兵舎が復元されていた。杉林に半地下で建てられているこの建物は、特攻隊員たちが出撃するまで寝起きしていた場所だ。彼らの生活の奉仕をしていた知覧高等女学校3年生の少女達は『なでしこ隊』と呼ばれ、のちの回想でこう語っている。
「明るく笑っていた隊員さんたちの枕や寝具を朝に片付けにいくと、涙で濡れていて辛かった」と。年若い彼らが恐怖を押し込んで自分の本当の気持ちに向き合えるのは夜の暗闇の中だけだったのだろう。

そんな彼らを出撃まで見送ってきた軍指定の富屋食堂を営む鳥浜トメさん。親身に世話をする彼女は母親のように慕われていた。
下の本には出撃の前夜を回想する記載がある。

「おばちゃん。ぼくの残りの命をあげるから長生きしなさいよ」
「おばさん、あしたも帰ってくるよ。ホタルになってね。追っ払ったらだめだよ」

『空のかなたに』には彼らの最後の姿を知るトメさんの証言と特攻隊員たちの知覧で過ごした日々の写真が数多く納められている。

平和会館近くの店で買える焼酎『ちらんほたる』は、短い一生に光を放ち続けるほたるの姿に自らを重ねた若者の思いを残すために作られ、売り上げの一部が特攻慰霊のために寄付される。

最後に『永遠の0』の主題歌となったサザンオールスターズの『蛍』を。

〜生まれ変われたなら また恋もするでしょう
 抱き合い 命燃やすように
 涙見せぬように 笑顔でサヨナラを
 夢溢る世の中であれと 祈り

※手紙や写真の一部は、知覧特攻平和会館のホームページで公開されています。

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