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他人を基準にした道徳心

タイトルは今日読んだ、もちぎさんの漫画に出てきた一コマ。


〜人から良く見られたくて生きている小心者なのだ
特に自分の好きな人たちから良い奴だって思われたくてルールを守る
他人を基準にした道徳心しか持ち合わせていないんだよ

他人を基準にした道徳心があるなら、自分を基準にした道徳心というものもあるのだろうか。
ひとりっ子で育ったことも自分にとっては一つの要因かもしれないけれど、家庭で同じ年頃の子供と争ったり、妥協したりした経験がない。大抵のことは大人に受け入れられて世の中そんなものと疑わず、かなり甘えた考えで小学生くらいまでを過ごしていた。

そして中学、高校、大学、職場。あらゆる世代でそれは通じないことを当たり前のように思い知らされる。
自分以外の人の感情。立場。共感するものから反発するものまで全て。

時を経た今だから言えるのだけれど、色々な思い出の中でも嫌な出来事は特に自分を育ててくれたように思う。
他者は私の欠点や狭い視野を指摘し(もしくは態度で)人との付き合い方を学ばせてくれた。当時は精神的な苦痛もあったけれど、今となればこれから生きていく中で、なくてはならなかった経験なのだろう。
それは今現在もそうで、他者の感情と向き合いながら日々は続いている。

他人を基準にした道徳心も多かれ少なかれ必要なのではないかなとも思う。自分の基準だけで押し通そうとすればきっとその関係はどちらかの不満で軋んでいくのだろう。

自分を基準にした道徳心。私の場合は自分にかかわってくれる人に感謝することだろうか。特に譲れないものは、親しくなればなるほど礼節を大切にすること。不用意な言葉を相手に投げかけないこと。
お互いの道徳心に歩み寄りながらとはいえ、自分の譲れないものに触れられた時には静かに離れる。

人間関係は脆いものだけれど、どこかでお互いを受け入れながら譲れないものが一致した時に、より信頼が深まり愛情のある繋がりに育っていくのだろう。

などなど、漫画を読みながらこれまでの日々を振り返ることになった雨の一日だった。

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