テレパスの憂鬱
また知らない誰かの思考が自分の頭の中に入って来るのを感じて、私は重たい瞼を開けた。
これはテレパスであることの最大の難点だ、といつも思う。
入って来た思考を読み取ると、どうやらこの集合住宅に住んでいる二階の夫人のものだということがわかった。
この夫人は半年前からお付き合いをしている旦那以外の男と今日会うはずだったのだが、予定が狂ったらしく頭の中でひどく喚き散らしていた。
それも六階に住んでいる私のもとへと入り込んで来るぐらい強い思考で。
私はこめかみを押さえながら、この夫人は前にも似たようなことがあったなと思い出していた。
夫人の思考から逃げ出すべく、まだ起きていない体を無理やり動かして出かける準備に取り掛かる。
全くここの住民ときたら碌な思考を持ったやつがいやしない、と乱暴に歯を磨きながら思う。
二階の夫人だけではなく三階のインテリ野郎、四階の老夫婦、五階の子供に至るまで、しょっちゅうひどい思考を巻き散らしている。
本人たちはこの集合住宅にテレパスがいるとは夢にも思っていないだろうから、好き勝手に考えを巡らせられるんだろうが、正直たまったものではない。
こいつら全員、刑務所送りにしてやろうかと何度考えたことか。
……まあそんなことをしたらテレパスだということがバレて、こちらの方が刑務所送りになるのだけれど。
ジャケットに袖を通しながら、朝食はどこかの店でとればいいと考え私は家を後にした。
集合住宅から三街区ほど歩いて大きい通りに出ると、夫人の思考は跡形もなく消えていた。
そのかわりに、ノイズのような細かい思考がいくつも頭に流れ込んでは直ぐに外へと消えていく。
この感覚とは物心のついたころから付き合っているがノイズが流れて来るたびに、人間というのは考えないと生きていけない生き物なのだなとつくづく思う。
黙っていても何も考えていないわけではない。
むしろ、黙っている時こそが危険なのだ。
テレパスだとそれが嫌というほどよくわかる。
学生時代はそれでよく塞ぎ込んでしまって、誰とも関りを持たなくなっていったっけ。
談笑しているはずの目の前の友人が本当はどんなことを考えて私と話していたか、先生達の間にある黒い思考の鎖、学年やクラスごとにある無意識の集合思考。
全てが学校の門をくぐると毎日押し寄せてきて、いつもその見えない思考のかたまりに押しつぶされそうになっていた。
私の場合はそれらに押しつぶされる前に、幸いにも他のテレパスに見つけてもらえたので、なんとか今日まで生き延びることが出来た。
ただノイズを軽減する方法を知っても、先程の夫人のように強い思考だと受け流すことが出来ない。
そしてこの強い思考というのは、わりとその辺によく転がっているもので完全に逃げることなどは出来ないのだ。
五分ほど歩くとカフェがあるので、そこで朝食をとろうと思って信号待ちをしていた。
望んでテレパスになったわけではないというのに、なぜこんなに苦しまなければならないのか。
私は顔を上げて向かいの歩道にいる人物を見つめる。
この苦しみ……きっとこれは私が死ぬまで消えはしないし、その理由がわかることもないのだろう。
向かいにいる爆弾魔の思考を感じ取りながら私はそんなことを考えていた。
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