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小さな宇宙の創造 奥井紫麻ピアノリサイタル

ヤマハホールで奥井紫麻のピアノリサイタルを聴く。

D.スカルラッティ/ソナタ K.213 L.108
A.スクリャービン/幻想曲 Op.28
F.リスト/巡礼の年 第2年「イタリア」S.161/R.10 A55より
4.ペトラルカのソネット 第47番
6.ペトラルカのソネット 第123番
7.ダンテを読んで-ソナタ風幻想曲

F.ショパン/ノクターン 第7番 Op.27 No.1
F.ショパン/ノクターン 第17番 Op.62 No.1
F.ショパン/ピアノ・ソナタ 第3番 Op.58

薄紫の裾長のドレスで登場。奥井さん童顔でかわいい。
バレエ習ってるんだっけ? お辞儀の仕方もきれい。

スカルラッティは大好きな作曲家。軽快でリズミカルなソナタがあるかと思えば、5分の中に重厚で沈痛なドラマが詰まったソナタもある。今回は後者。

深淵を覗き込むようなスケールの大きさ。ただホールが266席の狭さなので奥井さんの表現の大きさに合ってない。内田光子が王子ホールで弾いてる感じ。

スクリャービンやリストはたぶん初めて聴く曲だったが(リストは普段聴かないのだ)、情念が渦巻くような音楽が奥井さんに合っている。

残念なことにフォルテの場面になるたびホール後方からおっさんのいびきみたいなズーズー音が聴こえたが、何だったのだろう。
ピアノを弾いていて、まれに弾いてない弦も共振して異音がすることがあるそうだが、よくわからない。
ただソナタ第3番の第4楽章に入る直前にはっきりおっさんのいびきが響いたので、寝てる人もいたのだろう(隣に座ってたら殺意わきそう)。

「ダンテを読んで」は地獄の情景を描いているそうだが、最後は地獄の業火が見えるような迫力ある重低音だった。この人はサントリーホールで弾くべき人です。
最後の音も鍵盤に指をひっかけて落とすみたいな弾き方で、首が切り落とされるような不気味さを感じた。

後半はショパン。

私はショパンの甘ったるいロマンティシズムが苦手なのだが、奥井さんのショパンはロシア的というのか、グレーがかった白みを帯びた音色。

サロン的では全然なく、エモーショナル。

凡百の演奏家は楽譜に書かれた音をいかに正確に奏でるかに心血を注ぐが、奥井さんは先を行っている。
ショパンが楽譜を書いたときの気持ちが伝わってくるのだ。

楽譜というのは物である。考古学ではないのだから、物に対して必死にアプローチしても仕方がない。
楽譜を書いたときの生々しい作曲家の気持ちの方が大事。

奥井さんのショパンは作曲家の感情そのものを感じさせながらも、決して形式を逸脱しない。テンポや表現の誇張を感じさせない。

なのに、強烈な個性を感じさせる。奥井紫麻でなければ出せない表現、鳴らせない音。

266席のホールの中に小さな宇宙が創造されたのを見た。

ソナタ第3番は大好きな曲だが、期待を上回る素晴らしさ。
ずっとこの音世界に浸っていたいと思わせた。
濃厚な歌が溢れ出る。人間がピアノを弾いている、という過程を感じさせない。
音楽が景色のように、ただ目の前にある。

ニキタ・マガロフのCDが好きでよく聴いてるが、奥井さんは全然負けてない。
表現がこなれてるから聴いていてひっかかりがないし、旨味が凝縮したスープのようにどこを掬っても味わい深い。
客席のノイズで集中力が削がれたが、今日のソナタ第3番は一生忘れないだろう。

奥井さんの美質は最後の音の終わらせ方。この曲も最後両手を離したあとしばらくペダルを踏んでいて、音の切り方に絶妙なセンスを感じた。

最近「ファン」と呼べるアーティストが減ってきてしまったが、奥井さんは今後も追っかけていきたい。
少なくともサントリーホールでの初リサイタルは聴き逃せない。

私は神尾真由子さんがチャイコフスキーコンクールで優勝して一気に名前を知られる前に2回聴きに行ったのを自慢?に思ってるのだが、奥井紫麻さんも間違いなく大器。

内田光子レベルと思ってます。

ここからは蛇足だが、どうしても書かずにはいられない。

アンコールの前に「これからは撮影可能です」の案内があって(コンサート前にも告知があった)、5分くらいのアンコールのあいだ、シャッター音がしきりに鳴っていた。
音を出さずに動画で撮ってる人もいたが、スマホの撮影画面が視界に入ること自体が鬱陶しい。

何考えてんだ? 音楽を商売にしてるホールとは思えんな。
演奏家によくこんな失礼な提案できるな。てか、毎回これやってんの?(ヤマハホール名物だったらウケる🤣)
「アンコールは撮影OK」って発案したやつの顔が見たいね😓

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