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人心掌握の天才カーチュン・ウォンのバルトーク

サントリーホールで日本フィル定期演奏会を聴いた。

伊福部昭:シンフォニア・タプカーラ
バルトーク:管弦楽のための協奏曲

指揮:カーチュン・ウォン[首席客演指揮者]

先日のエロイカが素晴らしかったので慌てて取ったコンサート。

なぜあらかじめ取らなかったのかというと、オケコンそんなに好きじゃないのだ😂

とはいえ、お気に入りの指揮者(または演奏家)で馴染みの薄い名曲の真価を知る体験は今まで何度もあったので、伊福部とバルトークというあまり積極的には聴かない2人のコンサートにあえて行ってみることにした。

バルトークは私にとってドビュッシーと並んで不可解な音楽言語の作曲家である。
バルトークの曲って生で聴いたことがほとんどない。晦渋の極北のような弦楽四重奏曲をいつか生で聴きたいものだ。

さて、結論からいうと伊福部もバルトークもそこまで乗れなかった。
やはりすごく好きな曲じゃないとこの年(40すぎ)になるときつい😓

伊福部は第2楽章で目を瞑ってたらうとうとしてしまったが、第1・第3楽章の土俗的なダイナミズムは西洋のクラシックでは見られないもの。
武満徹と並べて演奏したら対比が面白そう😅

ただ、そのダイナミズムのノリがわりとわかりやすいので、そこまで興奮しなかった。
それに隣のおじさんが落ち着きのない人で、演奏に集中しづらかったというのもある。

今まで伊福部昭をほとんど聴いてこなかったので、初めて聴いてたらそのオリジナリティにびっくりしただろうが、先日FMで井上道義/N響の演奏を聴いてたので、そこまで新鮮な驚きはなかった。

バルトークはごった煮みたいな音楽だなぁと思った。
名盤の定評高いライナー/シカゴ響で聴いてもそこまで感動しなかったので、曲との相性が悪いのだと思う😅

カーチュン・ウォンのコンサートの一番の美点は、管楽器奏者が全員のびのび吹いているところ。

日本のオケは弦楽器はよいのに管楽器のソロが自信なさげだったり貧弱だったりすることが少なくない。
以前ルイージ/N響のチャイコフスキー5番をサントリーで聴いたら、ホルンがへなへなで興醒めも甚しかった。

カーチュンはおそらくリハーサルで「ミスを恐れないで!  のびのび演奏する方が大事だから!」と言っているにちがいない。

ミスに寛容というわけではなく、団員が萎縮してしまうのを一番恐れているように感じる。

木管も金管も日本のオケとは思えないくらいのびのび演奏している。
私は奏者の技術が欧米に比べて劣っているのかと思っていたこともあったが、心理的な弱さに原因があったようだ。

自信を持って自分の音を出していた日本フィルの管楽器陣は素晴らしい。

ミスを恐れずに吹ける、というのは指揮者だけの力ではなく、オーケストラのメンバー全体の空気にもよるだろう。

誰かがミスをしても責めない。
それよりも、のびのびした活きのいい音楽をやろう!  そうした団員たちの結束した心情が伝わってくるのだ。

カーチュン・ウォンはバーミンガム市交響楽団時代のラトルに似ているのかもしれない。
まだそこまで音楽的なキャリアのない若者がオーケストラを目覚しくビルドアップしている。
香港映画に出てくる憎めないキャラのような見た目も親近感の増大に貢献しているかもしれない笑

カーテンコールでは管楽器の2番の奏者も単独で立たせていた。
こういうことをされたら強面の団員もデレデレになるに違いない😅
人心掌握術に長けた恐るべき指揮者である。

気になったのはバルトークのイントネーションが日本的なのかなぁということ。
日ごろ日本のオケで聴くブルックナーやラヴェルにも日本的な訛りがあるのかもしれないが、本場ハンガリーの指揮者やオーケストラがオケコンをやったら全然違うイントネーションになるのかなぁと思った。

わかりやすくいうと、日本風に味つけされたエスニック料理という感じ。
食べやすくていいという人もいるだろうが、私は多少食べにくくても本場の味を知れる方が嬉しいタイプだ。

コンサートが終わって駅に向かっていると、楽器ケースを持った女性が何人も早足で駅に向かっていた。
普段、団員の人と帰り道に遭遇することはあまりない。
エロイカのときはコンマスの木野さんと駅で鉢合わせたので、終演したら皆さんさっさと帰ってるのかもしれない。
日本フィルで「終わったら先輩に遠慮せずすぐ帰って大丈夫です」という働き方改革?が行われているのならなおさら士気も上がるだろう😅

カーチュン・ウォンを首席指揮者として捕まえた日本フィルは、9年前にジョナサン・ノットを迎え入れた東京交響楽団のような目覚ましい飛躍を遂げるにちがいない。

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