マルチな人間になりなさい 美輪明宏を追いかけた25年
クラシックやジャズや歌謡曲、映画や演劇、歌舞伎や能や落語、美術やマンガやアニメなど、私がさまざまな芸術鑑賞が好きになったのは美輪明宏さんの影響です。
うちの親はクラシック全然聴かない人ですし、大昔に父が家族全員を劇団四季の「ライオンキング」に連れていったことはありますが、それもミュージカルが好きだったわけではなく世間で話題になっていたからでしょう。
芸術を愛でる感性もそうですが、躾らしい躾も親から受けてないので、理想の人間像は美輪さんを見て学んだところが大きいです。
前回、心の母が美輪さんという話を書きました。
心の父は初代は朝比奈隆で、二代目は児玉清です笑
世間では「アタックチャンスのおじさん」という認識なのかもしれませんが、BS「週刊ブックレビュー」で見せる愛書家としての顔はとても魅力的でした。
文庫の解説もたくさんお書きになってたし(英語やドイツ語の小説も原書で読むという凄さ)、絵に描いたような本の虫でした。
私が初めて観た舞台は美輪明宏さんの「黒蜥蜴」です。
1997年、今はなくなった渋谷の青山劇場で観ました。
当時『ぴあ』を毎週買っていて、クラシックコンサートや映画にいろいろ行き始めたころでした。
「黒蜥蜴」は美輪さんの代名詞的な舞台ですし、当時は「オーラの泉」で大ブレイクする前だったのでそれほどメディアの露出は多くなかったですが、時代の風に流されず確固とした信念で生きている美輪さんに大きな興味があったのだと思います。
それ以降、美輪さんの舞台のレパートリーはすべて観て(再演も複数回)、コンサートも複数回、講演会も2回行ったかな。
ご著書もたくさん読みました。
その中で、最初に観たこの「黒蜥蜴」が一番印象に残ってます。
なぜなら、明智小五郎役が名高達郎だったからです。
名高さんの明智は渋かった!😆
大人の男って感じでしたね。
明智役はこれ以降、高嶋政宏→木村彰吾と代わり、年々魅力が落ちました。
高嶋政宏さんの明智もよかったですが、美輪さんと対等な感じではない。
美輪さんは演出だけでなく、衣装、振付、装置、音楽、何でもやってました。
まさに「マルチ人間」です。
「マルチな人間になりなさい」とは美輪さんがよく言っていた言葉です。
「銀座の高級ホステスさんは新聞を隅から隅まで読む。政治、経済、スポーツ、芸能、どんな話題でもお客さんに合わせられる引き出しを作っておく」
とも言ってました。
その教えのせいもあり、私はかなり多趣味な人間になりました。
好奇心も旺盛で、自分が知らない話を聞くのも好きです。
興味関心がたくさんあると楽しめるものが増えるんですよね。
最近はテレビを見る人が減りましたが、不特定多数に向けた番組を楽しめなくなった視聴者側の要因もあるのかもしれません。
YouTubeで探せば「自分好みの」動画はたくさんありますが、病院の待合室で流れてるテレビを見てもそれなりに楽しめるような幅広い受け皿を持っておくのも悪くはありません。
美輪さんは幅広いジャンルの音楽に精通していて、私が覚えてるだけでも
「黒蜥蜴」…オルフ「カルミナ・ブラーナ」(黒蜥蜴のアジトが迫り上がってくるシーンで使われて鳥肌が立ちました)
「近代能楽集」…武満徹「ノヴェンバー・ステップス」
どの演目か忘れましたが、ハチャトゥリアンの「仮面舞踏会」ワルツとドヴォルザークのスラブ舞曲第10番も愛用されてました。
どの曲も場面にピタッとハマってました。
あるとき「昔は専門の音楽の人に頼んでたんだけど、マーラーが好きな人だとマーラーばかり使いたがったりするから困るのよ」と言ってました笑
舞台装置のアンティークな椅子とかも美輪ハウスから持ってきていたようです。
超完璧主義だった美輪さんですが、だんだんと他のスタッフに任せ、コラボするように変えていったようです。
「毛皮のマリー」でモーニング娘。の「LOVEマシーン」が流れたときは仰天しましたね😅
1997年からしばらくの間、毎年欠かさず舞台とコンサートに行ってました。
コンサートの舞台セットも美輪さんの演出です。
お花畑だったり天国のような煌びやかな世界です(「美輪明宏 コンサート」でぜひ検索してみてください)
「朧月夜」や「赤とんぼ」といった唱歌をとても味わい深く、日本語の美しさを感じつつ味わわせてくれました。
「群衆」や「ミロール」といった十八番のシャンソンは、まるで演劇のような身振り手振りで歌われますし、お馴染みの「ヨイトマケの唄」も感動的でした。
そして、美輪さんのコンサートのアンコールの大トリは何か知ってますか?
行ったことない人は見当つかないと思うんですけど、喜納昌吉さんの「花」です。
石嶺聡子さんが歌ってヒットしたこともあるこの歌を美輪さんが歌うと、森羅万象・輪廻転生みたいな巨大なスケールの歌に大変身😅
泣きなさい〜
笑いなさい〜
いつの日か〜
いつの日か〜
花を咲かそうよ〜
喜納さんの歌詞がいいのです。
ただ、喜納さんも美輪さんがこれだけ大々的にカバーするとは予想してなかったのではないでしょうか。
喜納さんが美輪さんの「花」について言及したのを知らないので、どう思ってるのかとても気になります。
さて、美輪明宏さんが世間で大ブームになったのは「オーラの泉」です。
私は初回から見てましたが、霊能者としての側面ばかりフィーチャーされたのは美輪さんにとっても気の毒だったと思います。
美輪さんは芸術家なので、ぜひEテレで親交のあった三島由紀夫や川端康成、瀬戸内寂聴やなかにし礼などを語ってほしいのですが、NHKはそういう番組を作る気はないのでしょうか😅
平野啓一郎さんと三島由紀夫について語る番組を作ったら絶対に面白いと思いますけどね。
美輪さんがトーク番組に出演されると「人生相談」のコーナーが必ずといっていいほどあります。
本人が希望してるのか番組が勝手に用意するのかわかりませんが、あまり好きではありません。
「人生相談」に答えるって、人生の達人ってことですよね?
私は「人生の達人」としての出来上がった美輪明宏ではなく、「現役の芸術家」としてまだ迷うことも多いだろう美輪明宏の方に興味があるのです。
ありがたく教えを拝聴する、みたいな教祖的な扱いはやめてほしいものです。
ただ、最近Eテレのレギュラーになった「愛のモヤモヤ相談室」での美輪さんは、往年の人生相談におけるニコニコ笑顔は影を潜め、触れれば血が出る妖刀村正のような鋭さがあります。
甘さを排して厳しさで臨む姿勢は今までの美輪さんの人生相談とは異なり、令和版の人生相談スタイルなのかもしれません。
今まで実人生で数えきれないほどの人と出会って別れ、テレビやステージ越しに大勢の有名人も見てきましたが、その中で最も影響を受けた人物は美輪明宏さんになるのかもしれません。
最後に印象的なエピソードを。
美輪さんが「最後の晩餐」で食べたいものは何かわかりますか?
それは「醤油をかけた目玉焼きごはん」です。
敗戦後、新宿駅でしばらくホームレスをしていた美輪さんを気にかけた青年が家に招いてくれ、熱々のご飯の上に目玉焼きを乗せて醤油をかけたものを食べさせてくれたそうです。
それが一生忘れられない思い出の味とテレビで話していました。
ちなみに、芸能人がお気に入りのグルメやスイーツを持ってくるトーク番組で美輪さんが持ってきたのはセブンイレブンのサンドイッチでした笑
私も好きでよく食べてますが、ミシュランに象徴される高級グルメ文化は美輪さんからすればクソッタレなのかもしれません🫢
テレビだと知りえないエピソードはこの本にも多数あります。
長崎での被曝体験もある歴史の生き証人として、演劇・音楽界における不世出の芸術家として、異彩を放つテレビタレントとして、美輪明宏さんには語ってほしいことがまだまだたくさんあります。
そういえば、美輪さんの半生からアイデアを得て野田秀樹さんが書いた「MIWA」という舞台は観れずじまいでした😂(美輪さん役は宮沢りえさんでした)
戯曲を読んで号泣しましたね…
17歳の自分が「黒蜥蜴」を見てなければ、その後の人生もきっと変わっていたでしょう。
そう思うと、17歳の自分に会いにいって褒めてやりたくなりますね。
「お前のおかげで楽しみの多い人生になったよ!」って。