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最初で最後の「タラレバ」をしよう

自分は所謂コロナ世代の大学生。先日大学を卒業して、4月から新社会人になる。

大学生活はコロナ前とコロナ禍とコロナ後、と時代の変遷を目の当たりにした2000年生まれ。
2019年以前に過ごした大人たちがイメージする大学生像は全くなかったと思う。コロナ禍の学生ってずっと家に閉じ込められて、やることなくて可哀想ってイメージないですか?

自分の場合は全然そんなことなかった。暇ではないし、時間を持て余して、だらっとする時間ばかりでなかった。いい意味でも、悪い意味でも。 

関西で0から大学生活を始めた私は大学は第一志望であったものの学部柄キャンパスは広大な田舎キャンパスで悶々とした日々を過ごしていた。2回生はやりたいことはすべてやると決意し春休みが明けるのを待っていた。

そしてやってきたコロナ禍、自分の中では『コロナがやかったら…』の「タラレバ」はなしだ。やりたいことは9割やり切った。やりたいことはさておき、「どうでもいい時間」を過ごすことを奪われた自分は必死だった。それくらい、私たち大学生にとって「どうでもいい時間」を意味もなく過ごすことも大切だった。適当にダラダラ人と喋る時間が、もっと欲しかった。私たち大学生にとって、そんな時間が何よりも人生で必要な時期、モラトリアムだったんじゃないかと思う。


さて、残りの1割はこれからの自分に託した。大学生活の始まりは後悔から始まったように、「ああしたかった」は私にとって今後の伸び代でしかないのだ。4年前の自分がそうだったように。そして、4年後の自分は幸せいっぱいでたくさんの人に囲まれていたように。

学生生活を終え、明日には入社式を控えている今、後悔も満足も感謝も名残惜しさも、すべて今の気持ちと出来事を忘れないように。そして所謂「コロナ禍の大学生が見た大学生とはなんぞや」を、もう随分前に学生だった大人にも、これから大学生になる新入生たちにも知って欲しいので認めました。

大丈夫だよ、私は何処へでもゆけるよ。

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