読書感想文なんて「面白かった」か「つまらなかった」の一言でいい

私は読書感想文が嫌いでした。というか作文全般が苦手でした。でも本を読むのは好きだった。
こういう方いっぱいいるんじゃないかなと思います。じゃあなんで作文が嫌いだったのでしょうか。

これは既に多くの先達が指摘されているところですが、やっぱり作文ありきなところなのでしょう。つまり手段と目的が逆転しているわけです。

もう少し説明を加えるなら、「本を読んだんだから、あるいは学校行事の後なんだから何かしら感じたり、成長したところがあるはずだ。それを書きなさい」ということです。

随分と傲慢なものです。小学生だってぼーっと生きているわけでは無いので、何も感じないことはないでしょう。とはいえ読書だって行事だって楽しい時もあればつまらない時だってある。つまらない時は言わずもがな。楽しい時だって、その気持ちを言葉にするのはとても難しいものです。

多くの小学生にはまだ文章力も語彙力もない。(その訓練をしているという面もありますが……)だから胸の内にある感情と、言葉の間のギャップを埋められず、苦心してしまうのかなと今になって思います。

私は特に「成長」とか「感動」というものに違和感を感じていました。こうしたものを取り入れないと良い作文ではないという風潮、あると思います。
なぜ毎度毎度、成長したり、感動して人生が変わらないといけないのでしょうか。そう簡単に人生が変わったら苦労しませんし、読書家の人なんて毎日はおろか、数時間に一回人生が一変していることになります。
思ってもないことを書くというのは、なんだか感情をコントロールされているみたいで嫌でした。

だからこそ私は思うのです。感想文なんて「面白かった」「つまらなかった」の二択で十分なんじゃないかと。

でもそれだけでは足りないほどの、溢れんばかりの想いがある時に初めて、その溢れた想いをインクにして筆を取ればいいのです。

思いのままに、自由に本を読んで、思ったことを書けばいい。表現することが難しいなら、初めから表現しなければいいのです。その想いは大事に心にしまって置きましょう。

コンテストに思う

現在note公式の方で、「#読書の秋2020」というのを開催していますね。課題図書を読んで感想文を書く企画らしいです。なんでも優秀作品には景品もあるのだとか。面白そうな企画です。私も時間が許せば参加してみたいです。

こういう企画というのは、たとえ上手く書けなくとも、ひょっとするとたくさん見てくれる。そうじゃなければ、誰にも見られずひっそり埋もれていくだけ。先生に怒られることもなければ、成績が落ちることもない。とっても気楽なもんです。

だからこそ、まずは変な野心を持たずに、読書を楽しむことが大事なのかなと思います。面白くない本を無理に読んでいては辛いですし、何よりそんな本の感想文を書いてもいいものなんてできませんからね。時間はあります。気負わずに気に入った本のことを思いのまま書けば、たとえ賞を取れなくとも、誰かに響く「読書感想文」ができる。私はそう思うのです。

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