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どこかの私文の修士一年。一浪大学生だったが気づけば大学院に進学することに。専攻は国文学 普段の研究や図書館のこと、小説やゲームのことなど書いていきます。

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    こごみbotが普段思っていることを書いた記事たち。要するに「週記」以外。 ヘッダーは「ぜんまい」らしい

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一浪文系大学院生は就職の夢をみれるのか?

大学院。それは人がやすやすと足を踏み入れて良い場所ではない。理系ならまだしも文系、それも国文学となるとその先が暗い事は明白だ。大学教員になれるでも、就活で有利になるでもない。そう、大学院とは何かに成れる場所であり、一方で何にも成れない人間を生み出す魔窟なのかもしれない。 自己紹介初めまして。こごみbotです。私はどこかの私文で国文学を研究している大学四年生です。とはいえ大学受験で一年浪人しているため現在23歳になります。学部では国文学の他に司書課程を受講していて将来図書館で

    • 論文を探そう! CiNiiをこねくり回す

      論文といえばCiNii。CiNiiといえば論文。 そういう風潮あると思います。 実際のところCiNiiは論文だけではないし、論文を検索できるデータベースは他にもあるということだけでも覚えて帰ってほしい。 一応、先日投稿した記事の後編にあたる。参考になる本も挙げているのでこちらも参照してくれると嬉しい。 これ単独でも問題はないので、良ければみてください。 前編と同じく最低限の使い方だけ書いていくから、よく図書館を利用する人には物足りないと思う。 CiNiiの見方使い方画

      • 図書館へ行こう! 検索を工夫してみる

        図書館へ行こう!「学校へ行こう!」的なノリのタイトルだけど、悲しいかな4月以降も突然、それも長期間大学や図書館入れないなんてことが起こり得てしまう。 さらに、昨年の大半は図書館をはじめとした大学の施設が使えなくなったものだから、大学生の論文やレポートの出来に例年以上の格差があったと聞いている。 そこでそろそろ新学期ということもあるので、大学に入学したばかりの新入生や、卒論を控えた4年生はもちろん、大学生に限らず図書館を使う人に向けて論文や資料を探す方法をここに記したいと思う

        • 独りだけ子供のままの君へ

          半年に一度、定期健診で歯医者へ行く。 特別歯の健康に関心があるわけではないけれど、律義に通っている。 というのも二十半ばにして私の歯は一本だけ、未だ生え変わっていないからだ。 「先天性欠如歯」と呼ばれているらしい。 あるべきはずの永久歯がないから押し出されて生え変わらず、乳歯を使い続けることになる。 10人に1人くらいの割合らしく、そこまで珍しいわけではない。 私の場合は一本だけだが、人によっては数本無いこともあるそうだ。 とは言え一本だけとなると愛着がわくというもの。

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          『やがて君になる』雑感 演出的なお話

          本当は一から十まで文章にしようと思っていたけれど無理そうだから、せめて演出的な面で好きなところを2つまとめてみる。 今更私が書かなくてもみんな分かっていると思うし、先達と被ることも多いと思うけれど書きたいから書くことにした。 ここで書くことは唯一絶対の解釈ではないことはここに明記しておく。 境界物語の舞台装置にはいろいろあるけれど、川とか橋は古来から今に至るまで使われ続けているものの一つだと思う。 主に物理的な距離だったり、時間や感情の隔たりを表現するときに使われる。 もし

          『やがて君になる』雑感 演出的なお話

          「消費者コンプレックス」という不治の病

          「消費者コンプレックス」という単語をご存知だろうか。 言葉の意味としては 絵・音楽や文章をはじめとする創作物を自ら生み出す「生産者」ではなく、ただそれらを享受するだけの「消費者」であることに対し、一種の嫌悪感を抱き、ついには「消費者」でいることすら辛くなること。 私が知る限りこの単語は、バーチャルyoutuberの卯月コウが言語化したと認識している。けれども、きっと昔からこの概念は我々の形而上に存在していて、数多の人々を悩ませていたに違いない。 とはいえこの問題は、イ

          「消費者コンプレックス」という不治の病

          読書感想文なんて「面白かった」か「つまらなかった」の一言でいい

          私は読書感想文が嫌いでした。というか作文全般が苦手でした。でも本を読むのは好きだった。 こういう方いっぱいいるんじゃないかなと思います。じゃあなんで作文が嫌いだったのでしょうか。 これは既に多くの先達が指摘されているところですが、やっぱり作文ありきなところなのでしょう。つまり手段と目的が逆転しているわけです。 もう少し説明を加えるなら、「本を読んだんだから、あるいは学校行事の後なんだから何かしら感じたり、成長したところがあるはずだ。それを書きなさい」ということです。 随

          読書感想文なんて「面白かった」か「つまらなかった」の一言でいい