アドラー用ヘッダ

自分の関心をコントロールすること。

2017年1月30日

(月曜日はアドラー心理学のトピックで書いています)

前回は「勇気づけの操作的定義」ということで書きました。

自分が相手に勇気づけをしようと意図しても、相手が勇気づけられるかどうかは、自分と相手の信頼関係次第です。「こう言えば勇気づけられますよ」というような魔法の言葉はありません。ですので、勇気づけという行為をこのように定義します。

「ある行為をして、その結果、相手が勇気を持てる状態になったとき、その行為を勇気づけと呼ぶ」

これを操作的定義と呼びました。

「勇気を持てる状態」は次のように定義します。
 (1) 自立:自分の人生を自分で引き受けられそうだと感じている状態
 (2) 調和:社会の中で他の人と協力して生きていけそうだと感じている状態つまり相手がこのような気持ちを持てるようになれば、自分は相手を勇気づけることができたということです。

逆に言えば相手が「自分ひとりで何とかやっていけそうだ」「まわりの人と協力してやっていけそうだ」と感じてくれるのであれば、どんな言葉をかけようとも勇気づけなのです。「魔法の言葉」を探すのではなく、この「操作的定義」にしたがって勇気づけをしていきましょう。

とはいえ、このようにすれば勇気づけになるかもしれないという工夫はあります。それは「自分の関心をコントロールする」ということです。

私たちは自分のまわりにいる人々を含めて「世界」を自分の好きなように考えています。世界の「正しい見方」はありません。それぞれの人が自分の好きなように世界を見ているのです。それはとことんまでプライベートなものです。あなたはこの世界をあなたの好きなように見ることができるという自由を持っています。一方で、あなたのプライベートな世界の見方を他の人に押し付けることはできません。

とすれば、あなたが相手を見るという行為もあなたのプライベートなことであり、あなたの自由です。相手は、嫌な人だ、短気な人だ、嫉妬深い人だ、鈍感な人だ、無責任な人だ、移り気な人だ、自分勝手な人だ。あなたが相手についてどのように考えようとあなたの自由です。しかし、それは正しくはありません。それはあなたのプライベートな感想であり、検証されていない思い込みにすぎません。

だから人は第三者に「ねえねえ、あの人って嫌な人だよね」と話を持ちかけて、同意を得ようとするのかもしれません。私たちは、自分の見方が「一面的なものであり、正しくはない」ということを本当は知っているのです。

これは検証する価値があると思うのですが、人は他の人に対して長所よりも短所に敏感である傾向があります。良いところよりも悪いところが目につきます。できているところよりもまだできていないところに注目してしまいます。その人の輝きよりもほんのちょっとした傷に目がいってしまうのです。

これは多分、人類全体が欠点を克服して進歩していこうという形で私たち人類の遺伝子に書かれているせいだと思います。進歩するためにはまず欠点に気付かなくてはなりません。だから、私たちは他人の欠点に敏感なのです。

前置きが長くなりました。たとえ私たちの遺伝子に「他人の欠点に敏感であれ」と書かれているとしても、私たちの意思で自分の行動をコントロールすることができます。自分がもともと「他人の欠点に敏感である」ことを見越した上で、自分の関心を相手の良い側面に向けるように自分をトレーニングすればいいのです

具体的には相手のどのようなところに関心を向ければいいのでしょうか。典型的には以下のところです。

(1) 相手が努力したプロセスに関心を向ける
(2) 相手ができているところに関心を向ける
(3) 相手が成長していることに関心を向ける
(4) 相手の良い意図に関心を向ける

相手のこうしたところに自分の関心の照準を合わせましょう。まずそれを認めたあとで改善できるところがあれば指摘していきましょう。これができるようにあなた自身が自分をトレーニングしていくのです。

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