勇気づけの操作的定義
(月曜日はアドラー心理学のトピックで書いています)
2017年1月23日
前回は「「勇気づけ」ってなんなんですか?」ということで書きました。
勇気づけ(Encouragement)はアドラー心理学のキーワードのひとつです。褒めたり叱ったりすることをやめて、勇気づけをするといいですよ、という主張をします。
そうすると「私は褒められて伸びる人です」とか「叱られて気づくこともあります」という反論を受けるので、こう答えます。
「いや、褒めてもいいですよ。相手が勇気づけられるのであればね。それから、相手が勇気づけられるのであれば、盛大に叱ってもいいですよ」
そうすると「じゃあ一体どのように言葉がけをすれば勇気づけになりますか」と質問されるので、こう答えます。
「勇気づけとはどのような言葉をかけるかという問題ではありません。黙って微笑むだけで、勇気づけできる場合もあります。反対に、どんなに美しい言葉を重ねても、勇気づけできないどころか、反抗されてしまうことがあります」
そうすると「いったい勇気づけってなんなんですか?」ということになりますよね。
それを説明するために、私は、勇気づけの「操作的定義」を作り、それにしたがって説明するようにしています。
操作的定義というのは科学の方法のひとつです。科学ではさまざまな概念を測定可能にすることが必要です。たとえば「暖かさ」という概念を「気温」という形で測れるようにします。「子供の教室での積極性」という概念を「先生の質問に手をあげる回数」で測ったりします。これが妥当であるかどうかは議論するとしても、ともかく測れるようにすることが科学の第一歩です。そのために操作的定義を最初にするのです。
では勇気づけの操作的定義を示しましょう。それは以下のようです。
「ある行為をして、その結果、相手が勇気を持てる状態になったとき、その行為を勇気づけと呼ぶ」
「勇気を持てる状態」は次のように定義します。
(1) 自立:自分の人生を自分で引き受けられそうだと感じている状態
(2) 調和:社会の中で他の人と協力して生きていけそうだと感じている状態
つまり、相手が自立し、また社会と調和して生きていけそうだと感じたとき、その直前にあなたがした行為を勇気づけと呼ぶのです。
これが勇気づけの操作的定義です。
ですから、あなたが相手に「がんばっていたことを知っているよ」と言葉をかけても、無言でにっこり微笑んでも、あるいは別のどんなことをしても、相手が勇気を持てる状態になれば、それは勇気づけなのです。
ですから、相手が誰であっても、どんな状況であっても、必ず勇気づけになるような「魔法の言葉がけ」はないのです。
そのときに「どんな声をかければ、相手が勇気を持てる状態になるかな」ということをよく考えて、試してみなければ、それが相手を勇気づけるかどうかはわからないのですね。
ですから簡単に「相手を勇気づけてあげよう」などと企まない方がいいです。
とはいえ、どういうふうにしたら勇気づけになるだろうかという工夫はあります。これはいわば「勇気づけの技術」ということになります。これについては次回書きましょう。
ここから先は
ご愛読ありがとうございます。もしお気に召しましたらマガジン「ちはるのファーストコンタクト」をご購読ください(月500円)。また、メンバーシップではマガジン購読に加え、掲示板に短い記事を投稿していますのでお得です(月300円)。記事は一週間は全文無料公開しています。