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いつもここにいます①

1・いつものカフェで


彼女をこのカフェで見かけるのは何回目だろう。
雨でぬれた髪をハンカチで拭きながら、注文を取るウエイター越しに見える彼女を見つけて考えた。いつもニコニコしながら本を読んでいる。彼女は短い髪にノンフレームの眼鏡。青いワンピースを着ていた。いつも同じ席、お気に入りの席なんだろうな。その席は店全体が見渡せる特等席だ。
そんなことを考えているうちに、ウエイターがコーヒーを持ってきた。
「おまたせしました」
「ありがとうございます」そういってコーヒーをひと口。
特にこだわりがあるわけではないが、この店のコーヒーは好きだ。店の雰囲気が好きなのかな。そうして一息ついて、今日の一人反省会が始まった。   今日の婚活デートのできはどうであったか?毎週日曜日の午後はこのカフェで反省会をしている。今日は婚活アプリで知り合った40代の女性だった。
「好きな映画の話も盛り上がったし、まあまあ行けてたんじゃないかな」
「初回だから、相手の深い部分には踏み込まず、当たり障りない感じができた」「相手の女性も楽しそうに話していたし、今回はいけるかも」
自分で独り言をぶつぶつはなしながら、ノートにまとめていた。小さなノートは自分の婚活の歴史を記している。いままでの失敗をもとに、できるだけ相手の女性に失礼のないよう、細心の注意を払えるようになってきた。
今回の初デートは10回目。婚活をはじめて3か月で10回は良いほうなのだと思うが、初デートが10回目ということは9戦9敗ということ。
だが今回は、行けるしかしない。ニヤッと笑って顔を上げた瞬間、特等席の彼女と目が合った。いかん。きまずい。すぐに顔を伏せた。彼女は20歳くらいだろうか。クスっと笑った顔は幼い感じがした。普通にかわいい女性だ。

とにかく。今回のデートのお礼と、次回の予定のやり取りをアプリでしなければ。そうしてスマホを取り出して、アプリを開いた。
まだアプリ内のメッセージでのやり取り。今どきはラインとかすぐに交換できるけど、慎重派の自分はアプリ内メッセージでやり取りを続けていた。

「今日はありがとうございました。映画の話題楽しくて時間があっという間に過ぎてしまいました。よければ、次回の予定を決めませんか?」
送信。このアプリは既読機能が付いていて、読んだらわかる仕組みだ。相手もアプリを開いていたようで、すぐに既読が付いた。

「よしよし、いい感じだ」自分の思惑というものはあまりあてにできないと何度も人生の中で経験してきた。でも今回こそは。という気持ちも、何度も感じている自分がいた。テンポよくやり取りが続くこともあれば、ゆっくりスローりーなやり取りも存在する。自分はテンポがいいほうだと思うが、そこは焦らず、相手に合わせることにしよう。

スマホを閉じて、今日の反省会は終わり。コーヒーを飲み干して席を立った。レジでお会計をするとき、特等席の彼女と再び目が合った。彼女はにっこり会釈をした。
困った顔で自分も会釈を返した。

雨はまだ降っていた。8月だというのに。本当に雨が多い。

2.10度目の正直

「3度目の正直ってあるじゃないですか。」助手席で居眠りしている上司の中瀬に話しかけた。「「2度あることは3度ある」ともいうけどな」目をつむったまま中瀬が答えた。
むっとしてキューブレーキをがくんと踏んでやった。
「なにすんねん。あぶないやないか」中瀬が関西弁で起き上がった。
「話聞いています?自分にとっては大事なことなんです。」
「40代の女の話だろ?聞いてるよ。3度目だから、婚活うまくいくってことやろ?」話は聞いていたようだ。
「正確には10度目の正直なんですけどね。」笑いながら話をつづけた。
「なんや自分、10回もお見合いしてるん?それで、まだ一回も付き合ってないんか?」中瀬が腹を抱えて笑った。「自分、何が欠けてるかわかってへんやろ?」
「なんですか?かけてるものって?」
「あんなぁ。男と、女なんてもんはフィーリングや、お見合いは面接試験やないんやで。合格点とれるように準備したって、フィーリングが合わんかったら、あかんて。自分とおっても楽しないもん」
中瀬はズバズバ痛いところを突いてくる。確かに自分は婚活デートで対策的な行動をとってきた。「楽しないもん」ってなんだか、きついな。

今日は水曜日、初デートから3日が経過していた。アプリの既読はそのままで、返信はいまだに来ていなかった。
その日、仕事を終えていつものカフェに立ち寄った。店内はエアコンが効いていて少し肌寒い。特等席の彼女は今日も特等席に座っていた。今日も青いワンピース。今日の中瀬の言葉が頭をぐるぐる回っている。
どうして楽しないなんて言うんだ。
コーヒーが運ばれると同時くらいにアプリの通知音が鳴った。
あわてて、スマホを取り出してアプリをチェックする。

アプリには運営からの連絡が来ていた。
「お相手様から今後のやり取りはお断りしたいとお申し出がありましたので、ご連絡いたします。なお、システム上お相手様とのやり取りはできませんのでご了承ください。今回、お断りの理由をお預かりしています。ご希望であればお伝えいたしますのでご連絡ください。」

な、なんと機械的な!!

思わず立ち上がって画面を再度確認した。

これが10度目の正直である。

3.閉店ガラガラ

どれだけ静止していたのだろうか。外は薄暗くなり始めていた。

9度あることは10度あるではなく、10度目の正直といったのには訳がある。
10度目にしてようやく自分の実力に気づいたのだ。
修正に修正を重ね、ようやくこぎつけた10度目のチャンスも、ものにすることができなかった。
「情けない…」どうして自分の思うような結果が出せないのか?
仕事でもなんでも、計画を立てて、目標に向かって実践していくのは苦手ではない。婚活に限って、今までのセオリーが通用しないのだ。
いままで何度か恋はしたが、結婚まで考える相手はいなかった。居心地のいい相手もいたし、自分にはもったいないような女性もいた。運命の相手は現れていない。
「運命の相手なんているのか?」そんな疑問が頭に浮かんだ。そんなのは、神様でもなければわからないだろ。自分で自分に突っ込みを入れ、ふっと笑って冷めたコーヒーをすすった。
「婚活むいていないのかな」
ウエイターが声をかけてきた。
「すみません。19時で閉店なんです。」
「あ、はい。すみません。」慌てて残りのコーヒーを飲み干すと伝票をもってレジに向かった。
ウエイターは20代の学生だろうか?まだ社会にもまれてなくて、悩みなんて何一つないんだろうな。
大学生の時はめちゃくちゃ楽しかったもんな。
うらやましいな。
それに比べて自分の今日の不幸は、なんなんだ。明日にでもみんないなくなれば良いのに。

「いそがせてしまってすみません。」ウエイターがすまなそうに言った。
「この後、大学で研究があっていかなくてはいけないんです。マスターに店閉めるのまで任せられてて、すみません。」

「いまからですか?」
「はい、金属をひと晩中過熱し続ける実験なんです。何回かやって反応を検証するんです」
「一晩中を何回か…ですか…」
「はい。で、どうなるかというと…」
ウエイターが説明の続きをしようとしたとき、特等席の彼女が割って入ってきた。

「急がないと遅れてしまいますよ。あとは、やっておくので、お疲れ様でした。」彼女が言った。
「あ、はい。よろしくお願いします。」ウエイターは慌てて身支度をして大学へ向かった。

特等席の彼女はニコッと微笑みかけると、「ありがとうございました」とかわいらしく頭を下げた。

「え??従業員なの??」
「はい。店主の娘です。」ニコニコ
「ああ、そうなんですね。」

「はい。」再びニコニコして彼女は出口へと先に歩いて行った。
「あの…そんなに世の中捨てたものではありませんよ。」彼女は見透かしたように言葉を吐いた。
「え???」首元からぞわぞわとした何とも言えない感触を感じた。
閉店ガラガラ

4.ドーはドーナツのド

「そんなに世の中捨てたものではありませんよ」
自分でもイライラしているのがわかった.
運営からの連絡から、ウエイターのこの後の予定を聞いて、可愛らしいなぁと思っていた特等席の彼女から、見透かされた様に言われた一言。
なんだかカッコ悪いな。

急に自分だけ頑張ってないというか、自分だけ損しているような気持ちに襲われた。この後は、誰もいないアパートに帰るだけ。何が楽しいんだろうか?

自分は何がしたいのだろう。
特等席の彼女の言葉が頭を巡った。
「捨てたものではない」ということは「悪くはない」ってことだよな。
こんなに不運だらけなのに、どうして??

ん?待てよ?なんで彼女は知っているんだ??自分が、世の中捨てたもんだって思っていることを。。。

だいたい彼女は世の中悪くないって思っているのか?
それは、彼女の置かれた環境を知らないから、なんとも言えないけど、カフェの娘ってそんなに裕福でもなさそうだし、いつも同じ青いワンピースを着て、いつも同じ席で、同じ本を読んでいる。働いてなさそうだし。あの子が世の中の事をわかっているとも思えない。
嫌な経験、最悪な経験もしてないのに、「世の中捨てたものではない」っていいきることなんてできないよな。無責任にも程がある。

イライラがもう一度自分の胸の中で膨らんでいくのを感じた。そしてカッと恥ずかしさが込み上げてきた。どうして見ず知らずの人間にあんな事を言われないといけないんだ。自分は落ちぶれている。

彼女の境遇も、何も理解していない自分が、彼女のことをあれこれ考えても、ネガティブな感情しか起こっていないことに気づいた。
そんな自分にまたまた嫌気がさした。

でもあの子、、、いつもニコニコしているな。

何にも知らないお嬢様なんだろうな。

あの子を見下す発言に、また胸がしんどくなった。

ぼんやり、そんなこと考えながら、帰宅していると、中瀬から着信があった。

「はい」
「どうや、9度あることは10度あったやろ?」

イライラ

「はい」
「励ましたるわ。今からこっちおいでや」

イライラ

市内の繁華街にある、「ビアンカ」というスナックに中瀬が飲んでいるという。
励ましたる。って恩着せがましいな。
奢ってくれるんなら、行くか…

「わかりました。15分くらいで行けると思います」

電話を切って、ビアンカに向かった。

「いらっしゃい」50代くらいだろうか、ガラガラ声のママが出迎えてくれた。
「きたきた。10連敗ちゅうの子がきたで」
イライラ
「ママ、慰めたってや」

「ビールでいいよな」勝手にビールを注文して、10連敗残念会が開始した。

「ママどう思う?この子」中瀬は無理矢理顔を掴んで、ママの方を向かせた。

「可愛らしいんだけど、タイプじゃないわね」
どの口が言うか。。。
「だって面白くなさそうだもん」
中瀬と示し合わせたかのように、同じ言葉を放った。
「せやろ」
「日頃から言うとるんや、男と女はフィーリングやでって」
「なんですか、フィーリングって。わかりづらいんですけど」
「そうやな。君には難しいよな」

「たとえばや、相手がドレミ♪〜って言ったら自分どうする?」
「???」

「ママ、これや」
「そうね。ドレミ♪〜って言われたら、ドレミ♪〜って言わないと」

「???」
難しい。なんだそれ。

「じゃあ、ドーはドーナツーのドー♪って言われたら?」ママが歌い始めた。
「???えっと」
少し考えてから続きを歌った。
「レーはレモンのレー♪」
「それや!!」

中瀬は驚いて叫んだ。
「そしたら相手はミーはミーンなのミー♪って歌えるやろ」

これがフィーリング??
「これって相手が何を求めてるかわかっている状態やろ」中瀬は枝豆をつまみながら得意げにいった。
確かに、会話に置き換えてみれば、どんどん進んでいくような気がした。でも突然歌い出したらあやしいだろう。

「あ。お前、急に歌い出したらあやしいだろ?とか思ったやろ?」
「え?そんなことないですよ」焦って否定した。
「そこは、なんでわかっちゃったんですか???って聞くのよ」ガラガラ声のママがいった。
「そんな恥ずかしいことできないですよ」怒っていった。
「なんでわかってしまったのかを聞くのが、恥ずかしいんや」

「今の会話で、え?そんなことないですよ。っていったら、話終わるやん。今までの流れ台無しやん。」

確かに、会話が続かなかったり、気まずい雰囲気になることが多いのは、このせいだったか。

「うーん。なんとなくわかったようなわからないような」
「そりゃ、40年くらいそんな調子でやっとったら、わからんわな」そういって中瀬は笑った。
「なんか、妹とか、友達とかで練習したらいいやん。そういうやつおらんのか?」

「1人いるかも」

つづく

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