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人権意識の萌芽に気づく #子どもの連れ去り問題

#共同親権祭り  が近づいてきている。読書感想文を続ける。

共同親権の法改正、すなわち、親の権利を主張していくことが大切という指摘を得た。それは人権運動だと気づく。

思うに、親が子どもについてうるさく、粘り強く親としての権利を主張し、その主張に対して裁判所の扉が大きく開かれなければ、真の子どもの権利は実現されないだろう。親が主張する「親の権利」と言っても、それは子どもの権利が混合している場合が多い。例えば、親が子どもと会う権利を主張している時は、子どもが自分と会う権利を同時に主張していることがよくある。したがって、親を、子どもの分まで権利主張する第一人者として扱うのがごく自然である。「では親の『義務』はどうなるのか」と思われるかもしれないが、親の権利は、親としての義務を、自分が正しいと思っているやり方で果たすことを権利として主張していることもよくある。目の前の子どもの権利や子どもの福祉についていくら役所が親に説いても、5年後、10年後、子どもが大人になった後のことまで考えるのは親ぐらいである。

親子という利益を親が主張するから、親の権利であって、同時の子の利益に資することがあるということだ。本当に、5年後、10年後、大人になっていく子どもたちのことを考えて「子どものために」という外部のものがいるだろうか。

親を尊重しないまま「こどものために」という『支援者』が子の福祉の担い手なのか、疑問に思うことはある。

続く次の文章は、もう、涙がこみあげてくる。

変装してでも子どもの運動会に行くようなことをしている親は、もちろん子どもの姿を見る「自己満足」のためにやっている人もいるだろうが、大半は子どものためにそうしているのだと思う。いつか子どもと対面する時に備えて、「君が知らなくても、ずっと見守っていたよ」と、それまでの子どもの苦しい思い、さびしい思い、様々な誤解を癒すためにやっている人が少なくない。絶望的な日本の家庭裁判を闘っている親には、「やれることは全部やった。君はそれぐらい私にとって大切な人だ」と、いつか子どもに言えるように、頑張っている人も少なくない。したがって、子どもの権利実現からしても、親の子に対する権利を今より強いもの、憲法の保障と裁判所の保護に値するものとして法に明示すべきだ。最高裁が判決でこのような判断をすればいいが、あまり期待できないのであれば立法に頼るほかないであろう。

8年前の本である。ここに描かれている親と同じ行動をする親は今もいる。

この頃の子どもたちはもう成人している子もいるかもしれない。親としての先輩たる方々の行動があって、今、大きな変化が始まろうとしている。時間がかかっている。それだけ、動かせない何かも大きかったのだろう。でも、悲しいかな、これだけ集まってきた親心はもうすっかりと興大な存在感になろうとしている。ようやく子どもの権利が実現する時代を迎えるのだ。

つづく

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