学ぶ #親権 ~非親権者 の『監視権』

読書感想文を再開する。

川田教授の本から学んでいる。

親権の理解について、子どもを保護する視点から、子どもを権利の主体者として捉えなおすことで、考え方が変遷していることを学んだ。

いよいよ川田教授の私見にアプローチする。

権利義務の二義性と非親権者の監視権

 川田教授は、このタイトルで私見を展開する。まずは、権利義務の二義性とは何か。

 ・・・親権者は、具体的に子に対して二重の意味で義務を負う・・・。・・・親権者たる親は、子の監護・教育の遂行自体を義務づけられているとともに、その監護・教育の遂行につき、子の権利の実現にかなう内容を与えることを義務づけられている・・・。

 前提として、親権は、子の権利に対応するものとして位置付けられ、子の権利は、第一次的に親に向けられるから、親権はまず義務的であるとした上で、その義務の内容について明らかにしていく。①子の監護・教育の遂行自体、②その遂行が、子の権利の実現にかなう内容を与えること、の2つあるという。好きなように子育てをしてもいい一方で、それは、あくまで、子の権利の実現に沿わなければならない。多くの親にとっては当たり前のこととして、受け入れられるだろう。川田教授も次のようにいう。

親権者は、ただ漫然と子の監護・教育にあたるというのでなく、子の基本的人権の確認された今日では、積極的に子の福祉をはかるべきであるとされることからいって、当然・・・

この義務の二義性から、権利も二重の意味をもつという。

・・・一は、親権者は親権遂行の権利、具体的には、監護・教育の遂行につき子に対してその指示に従うよう求める権利を有するという意味で、他は、監護・教育の内容につき、何が子の権利に対応したものかを決定する権利をもつという意味で、親権は子に対する権利なのである。

 おやこ保育園の現場で、一生懸命、悲喜こもごもあふれる子育てに取り組む母親たちの声が集まる。子どもを個人として尊重し、自主性をのばし、「否定しない」「命令しない」「待つ」「共感する」という4つのルールを駆使して、喜怒哀楽を全開してぶつかってくる小さな命といわば格闘するうちに、かえって、怒ってはいけない、何も指導できないといった悩みにすらたどりつくという。それゆえ、新たに、「真剣に伝える」ルールが加わったというが、これも当たり前の話で、親として、よかれと思ったこと(あくまで客観性はある程度保持されていることは前提)を導くことは、子どもに要求できる親の権利といえる。それが、けむたがられ、うざがられ、ということがあるのも子育てのリアルだ。それは、おそらく成年を迎えたあとでも長きにわたって親心を鍛えられる子育ての試練だろう。時間がない中、親心構わず、「自分で」にこだわるイヤイヤ期デビュー。こだわりのために、途中までできたところもリセットする(たとえば、片方履かせた靴は、わざわざ脱いでから、「自分で」履く)。学校選び、受験への挑戦なども、客観的にも正解があるとはいえない中で、親だからこそ、愛するわが子のために、よいと信じたものを選ぶことが正当化される。中学受験などせず、のびのびと子ども時代を謳歌して欲しいというのも正解、より将来の可能性を拡充するために、できる限りの教育投資を金銭的にも時間的にも機会的にも尽くしたいというの正解。その親子が納得しているのであれば、だ。あらゆる選択肢の中で、親が子を思い、選び、また、子にもその選択に沿うよう指示することまで、それは親権者の権利なのだ。中学受験対策塾は、子ども時代をのびのびと過ごしましょうとは言わないだろう。これからの未来社会を生き抜くためのある戦略を提示し、親に誘いかける。それがその親子にとって正解とは限らない情報提供があったとき、親は選ぶ自由がある。強いられることはないのだ。義務教育の学校に登校させることも、原則としては従った方がいいにしても、いろいろな事情を考慮して、登校以外の選択というのが許されるのも、親権者の権利ということができる。親権が子に対する権利という意味について、川田教授は次のように補足する。

・・・これは親権者と子の間の関係に限定した場合について考えられるので、親権者が親権遂行およびその内容決定について第三者から濫りに干渉を受けないという意味で、また、子の権利の実現が十分でない場合に国家に対してその助力を求めうるという意味で、親権は第三者に対する関係でも権利たる意義を有しているというべきであろう。

親権の権利性を否定することはできないのである。

これが共同親権というときはどういう意味をなすのだろうか。

・・・これらの権利義務関係は、婚姻中の共同親権者たる父母と子との間の一個の関係として存在するのでなく、父と子、母と子のそれぞれの間の関係として存在しているが、ただ共同行使の原則のもとに、一個のものとして行使されているとみるべきであろう。

 父母それぞれが個々独立した親権者であるが、その親権の行使は、共同して行使しなければならず、それは、一つの親権行使ということになる。
 それぞれが親権を有しながら、意見が対立したときにどうするのかをあえて法は言及していないが、協議によって、その父母なりの1つの解を出すことを尊重しているのだと想像する。父母は夫婦だとしても、別個の人格であり、それぞれが子を思って出す結論が常に合致するとは限らないかもしれないが、それぞれの親心をもって、練ってたどり着いた解こそが、子の福祉の最大化に貢献することが期待できるのである。

 では、父母が離婚し夫婦ではない場合はどうなるのか?いよいよ川田教授が提言する真髄に迫る。

つづく

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