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活字好きこそ絵画がオススメ!50年ぶりのキュビスム展で感じたこと

今回の投稿は「活字人間による、活字人間のための、絵画のススメ」。
「絵なんてわからん!」
「アートなんて軟弱なものより活字の重厚さがたまらない!」
そんなアートとは無縁な活字人間のあなたに、絵画を観て改めて感じる活字の良さがあることを知って頂ける内容となっております。

1. きっかけはキュビスム展@京都

活字中毒の私が絵画について語るきっかけとなったのがこちらの約50年ぶりの開催となる「キュビスム展」です。
絵画に詳しくない人には「キュビスムって何?美味しいの?」という感じだと思いますが、そんな人でも「ピカソ」はご存知ですよね?
そう、あの上手いんだか下手なんだか分からないメチャクチャな絵を描く人。あのピカソです。とりあえず「キュビスム=ピカソみたいな絵を描く人」と思って頂ければOKです。

キュビスム展に行ったきっかけ

私がこの展覧会に行ったのはNHKの日曜美術館という番組において「ジョジョの奇妙な冒険」の作者・荒木飛呂彦先生がこの展覧会を紹介しておられたからです(笑)。完全にミーハー。

まぁこれは理由の半分でして、あと半分は最近なんだか近代絵画というものに心を惹かれ始めたからです。
私は食事中はもとよりトイレにも本を持ち込むほどの活字中毒です。絵なんて全く描きません。それどころか学校の美術の点数は五段階で「2」とか頑張って「3」を取るのが精一杯だったほど美術が苦手な人間です。
そんな私がなぜだか急に近代絵画に興味を持ち始めてしまいました。

絵画に興味を持ち始めた理由

私が近代絵画に興味を持ち始めた理由は小林秀雄という昭和に活躍した文芸批評家の影響です。その名もズバリ「近代絵画」。はい。やっぱり活字の影響でした。

頭でっかちだと言われるかもしれませんが、良いんですよそれで。三つ子の魂百までですから。興味を持つ入り口なんて何でも良いんです。

この「近代絵画」という本では近代絵画を築いた多くの芸術家の分析が行われていて、キュビスムの巨匠「ピカソ」も一章割いて取り上げられています。
小林秀雄は近代絵画を哲学・思想・文化・歴史など、さまざまな観点から批評しています。しかし、私の見たところどうもピカソだけはあまり上手く行っていない。他の画家の分析で見せるほどの切れ味がピカソに限っては弱いような印象を受けるのです。
小林秀雄という昭和を代表する批評家を持ってしても苦心させるピカソ、そしてキュビスム・・・だったら、ちょっと私自身の目で見てやろうじゃないかというのが今回の展覧会に足を運んだ理由です。

2.キュビスムって何?

ところで、そもそもキュビスムって何なのでしょう?
キュビスムというのは20世紀初めのフランスで生まれた革新的な美術運動のこと。風景や人物を幾何学的な形 (円筒形や円錐形)に分解して、様々な角度から見た様子を一つの画面に描き込んだのが特徴です。

従来の絵画とキュビスム的絵画の違い

それまでの絵画はいわゆる「遠近法」という方法で奥行きや立体感を表現していました。キュビスムの画家たちはこの伝統的な方法とは全く異なる形で、さまざまなモチーフをキャンバスに表現しようとしました。
なぜそんなことに挑戦したのか?
その理由は様々ですが、一般的には「写真の登場によって物事を写実的に描くことの意味が問い直されたから」だと言われています。あけすけな表現で言えば「写真の方が綺麗に見たままを撮れるんだから、人間が描いた絵なんて存在価値なくない?」ということですね。
現代に置き換えれば「将棋ってもう人間よりAIの方が強いよね。人間がやる意味あるの?」ってところでしょうか。
人間が絵を描く意味とはそもそも何なのかという根源的な問いに立ち向かおうとした運動だと言えるかもしれません。

では、具体的にどのような描き方をおこなったのでしょうか?
言葉だけだと分かりづらいので、サイコロを描くことを例にあげましょう。
いわゆる遠近法で描くとこんな感じ。

遠近法で描いたイメージ (ChatGPTで作成)

で、キュビスムっぽく描くとこんな感じです。

キュビスムっぽい書き方 (ChatGPTで作成)

遠近法は一般的に私たちが見ているサイコロの実物に近い感じです。
一方のキュビスム的な描き方の方はサイコロをいろんな面から・・・それもサイコロの裏側とかだけでなく、サイコロが置かれている机や空間までもひとつの絵に収めるような感じで描かれています。

このように私たちが普段何となくサイコロだと思っている物を「そもそもサイコロって何だ?何をもって人はサイコロだと定義してるんだ?」といった具合に改めて物事を注意深く観察する。
その細かな観察と分析を経た後に、「そもそもその対象物(この場合はサイコロ) とは何なのか?」という対象物の意味を改めてキャンバス上に組み立て直すように描く。それがキュビスム的なアプローチです。

代表的な画家

キュビスムを代表する画家は複数いますが、特に有名な3人をご紹介します。

  • パブロ・ピカソ:スペイン出身の画家で、キュビスムの創始者の一人です。「アヴィニョンの娘たち」や「ゲルニカ」など、キュビスムを代表する作品を数多く制作しました。

  • ジョルジュ・ブラック:フランス出身の画家で、ピカソと共にキュビスムを創始しました。ピカソよりも分析的な作風で知られ、紙の素材を取り入れた作品も多く制作しました。

  • フアン・グリス :スペイン出身の画家で、キュビスムの第三の男と呼ばれています。ピカソやブラックの影響を受けながらも、独自の理論に基づいた作品を制作しました。

日本ではピカソが一番有名と言っても良いですが、実はジョルジュ・ブラックという人も有名です。と言いますか、キュビスムはピカソとブラックの二人が一緒に起こした実験的アプローチだったので、一時期はどちらが描いた作品なのか分からないほど酷似しています。
二人は1907年あたりから二人三脚でキュビスム的アプローチを模索していましたが、1914年に第一次世界大戦でブラックが徴兵されたり二人のパトロンが出資できなくなったりで続けられなくなりました。
絵画もまた世界情勢の渦に巻き込まれてしまったということですね。

キュビスムと言えばピカソですが、もし会話の中でキュビスムの話が出るようなことがあったら「私の中ではキュビスムって言ったら、むしろブラックなんだよね〜」とかサラッと言ったらちょっと詳しそうに見えるかもしれません!笑

3.キュビスム展の見どころ

かつてない展示数

そんなキュビスムをフォーカスした今回の展覧会ですが、見どころは何と言ってもその規模の大きさでしょう。
私は一作品あたり5分くらい見ていたと思いますが、そのペースだと全部回るのに4時間近くかかりました。
それもそのはずで、パリ・ポンピドゥセンター (ルーブル美術館と双璧をなすフランス随一の美術館)から提供された「日本初出展」の作品のみならず、国内のいくつもの美術館から作品が持ち寄られたとのこと。過去最大規模と言っても過言ではない規模の展示数となっています。
ちなみに今回ポンピドゥセンターからこれだけ沢山の作品が提供されたのは、センターが改修工事で一時閉館するためだそう。つまり日本でこれだけの規模の作品が観られるのは、次にセンターが改修工事を行う時になってしまうかも??ということです。
多分私は生きていませんね・・・。死ぬまでに見られて良かったです。

展示構成のわかりやすさ

もう一つの見どころはその展示構成のわかりやすさ。
今回の展覧会を観覧するにあたり私もキュビスムについて色々調べました。しかし、所詮は素人。その歴史や後世に与えた影響について体系立った知識はほぼゼロです。
そんなど素人にも今回の展覧会は優しかったなぁというのが印象です。
こういう展覧会だと画家ごとや年代ごとにセクションが分けられている場合も多いです。そうするとそれぞれの作品が「分かる人には分かる」というように”素人切り捨て”になることもあるのですが、今回は
・キュビズムが生まれた背景
・キュビスムが発展していった過程
・後世の作品に与えた影響
・社会一般にどのように受け入れられていったのか
といったキュビズムに備わるさまざまな側面を多面的に見せているのが特徴だと思います。
一つ一つの作品を多面的に分析し、それらを一つのセクションごとの意味に基づいて再構成する。まさにこの展覧会自体がキュビスム的手法で展開されてると言っても良いかもしれません。

4.活字好きこそ絵画を見るべき思った理由

展覧会での気付き

このような感じでいかにも”アート好きにオススメ”な展覧会だったのですが、私が感じたのは意外にも「普段活字にばかり接している人間こそ、絵画に触れた方がもっと活字を楽しめるのかもしれない」ということでした。
そう思ったきっかけ。それは今回の展覧会のお客さんが少なかったことです。
・・・誤解を招きそうな表現なので、もう少し正確に言うと(笑)、じっくり作品を見るお客さんが案外少なく、一つ一つの作品をじっくり眺められたことです。
やっぱりキュビスムの作品は何の絵なのかが分かりづらいからなのか、「ふ〜ん。よくわからないなぁ。」という感じで素通りする人が多く、作品の前に滞留することがほとんどないんですね。
お陰で私は作品を横から見たり、下から見たり、ちょっと距離置いて見たりと本当に好き放題見ることができました。側から見るとヤバいやつだったかも・・・。

この体験で気づいたのは活字とは全く違うけれども、絵画も論理的な表現手法なんだということです。
もちろん活字のように順番を追っていく論理とは異なりますが、絵画には絵画の論理があるのです。
では活字の論理と絵画の論理の何が違うのか?
それは「時間の流れ」です。

活字と絵画の「時間」の違い。

活字の時間の流れは一方向的です。大雑把に言えば主語があって、目的語につながって述語で終わるというシンプルな形式で、一つの文で一つのことしか表せません。
実際に活字を追う時も左から右か、上から下か、と一方向にしか進みません。逆から読む文章なんてないですよね。もちろん後から思い起こして遡ることはありますが、論旨を追っていくには書いてある順番通りに追っていくしかありません。

それに対しては絵画の時間の流れは自由です。
色や構図といった構成要素はすべて同時的に一度につながっています。一つの色や形はそれが接する上下左右とさまざまな方向につながり、つながり方も「接する」「重なる」「対称の位置にある」「ねじれの位置にある」と様々な形で接続されています。
順番 (時間の流れ)も自由です。作者が”描く順番”はあるかもしれませんが、作品の中で表現されているものを読み解くのに順番はありません。
すべての要素が無差別に同時多発的につながって一つのテーマを表現しているのです。

このように書くと「絵画の方が自由な表現ができて素晴らしい!」と主張しているようですが、そんなことはありません。
活字表現は確かに「一方向にしか流れない」という不自由さがあります。しかし、それは人間が生きる時間と同じ構造をしているとも言えます。時間は、自由に戻ったり先に飛躍したり横にずれたりはできない。過去から現在、未来と一方向に淡々と流れるだけ。
因果法則も、そういう時間に沿って「最初にこうなれば、次はこうなるはずだ」という経験から成り立っています。順序や経過や結末という時間、「こうなれば、こうなるはずだ」という意味での論理を表現するには、「一方向にしか流れない」活字こそが優れた表現方法だと言えます。

逆に、いろいろな方向と同時多発的につながる絵画は、戻ったり、先に進んだり、横にずれたり、回転したり、と自由に解釈できるので、時間のどうしようもない一方向的な構造とはまったく対応しません。
だから、過去から現在、未来と流れる因果を表すこともできません。作品を見る人の見方、考え方、解釈の仕方によって、体験できる時間構造も変わります。
つまり活字は時間や因果関係を表現するには最適ですが、空間的表現にはあまり適しません (できない訳ではないですが「相手の想像力」にかなり依存することになります)。
その一方で、絵画は空間的表現には最適ですが、時間や因果関係を重視する論旨を追うのには向いていません。
どちらが優れているということはありません。あるのはそれぞれに長所があり短所があるということです。

絵画を見て活字に生かす!

だからこそそれぞれの長所と短所を体験することで、「絵画のような文章表現」あるいは「文章のような絵画表現」という新しい表現を生み出すことができるのではないかと思うのです。
私などは文章を書く時についつい四角紙面な活字表現ばかり繰り出してしまいます。ある意味”手癖”のようなものでとりあえず書けてしまうので無意識にその手法にあぐらをかいている自分がいます。
でも、読み手のビジュアルイメージを促すことを意識しながら書くことで、いつもの文字書きが新しい表現方法へ進むことができるかもしれない。そんなことをキュビスムの作品を眺めている間に思い致していた次第です。

残念ながらこのキュビスム展は2024年7月7日で終わってしまいますので、「ぜひ観て来てください!」とは言えません。
でもこのキュビスム展に限らず日本全国どこででも様々な展覧会が行われています。世界に歴史を刻んだ作品が二千円くらいで好きなだけ観ることのできるまたとない機会ですので、地元で見つけたらふらっと足を運んでみてはどうでしょうか??意外な発見があるかもしれませんよ!

という訳で今回はここまで。
長文を最後までお読み頂きありがとうございました(^人^)

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