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テレビには孤独な人が出てこない


孤独な人が出てこないテレビの不自然さ


 頻繁に入るCMが好きではない等の理由で普段民放のテレビ番組を観る機会は少ないのですが、先日久々にテレビCMを見る機会があり、ふとあることに気づきました。
 それは、何だかCMって家族ばかりが出てくるな、ということです。
  CMの登場人物たちというのは、家族という設定で出てくるものがとても多く、皆笑顔で明るくにぎやかです。
食卓は家族みんなで囲み、家族や仲間で車に乗ってショッピングやキャンプへ行く。一人で食事をしたり、一人でキャンプをしているというような映像はほぼありません。

 そんなテレビCMをずっと見ていると、結婚して子供がいて家族がいる。友人や仲間がいる。世の中の多くの人がそういう環境にあって、それが当たり前であるかのように見えてきます。
 それはCMに限った話ではありません。テレビのバラエティ番組でも似たようなことを感じることがありますし、ドラマのようなフィクションでも同じです。
 テレビというメディアには、家族や友人がおらず、独身で一人で生活しているというような人がほとんど出てきません。
まるで、そういう人は存在しないものとされているかのようです。隠蔽されていると言ってもいいかもしれません。

でも、本当はそういう人は現実の世の中に大勢いるのですが。
 

家族教という多数派の宗教


 わかりやすいところで例を挙げてみましょう。
NHKに「のど自慢」という有名な番組があります。一般の人が歌を披露するというよく知られた番組ですが、この番組では、歌い手が紹介される時、「もうすぐ結婚します」とか、「子供が何人います」という人がなぜか毎回やたらと出てきます。そして、その家族などが会場に応援に来ている姿が映されます。  
みなさんはあの番組で、家族も友人もいないという人を見たことがあるでしょうか。
あれはいったいどういうことなのでしょう。独り者は出場できないように、NHKが出場者を選ぶ時に選別をしているということなのでしょうか。それとも、独り者はそもそもああいう場に出たがらないのか。
いや、独り者でも歌が好きで聴いてほしいという人はいるでしょう。
 また、テレビ東京の番組で、「昼めし旅」という、こちらも比較的知られたものがあります。これは一般の人の昼ご飯を見せてもらうという内容の番組ですが、この番組でも、なぜか夫婦や、子供や孫がいる人ばかりが登場します。
立派な家に住んでいる人も多く、独り者やシングルファザー、シングルマザーなどはほとんど出てきません。
 
 「のど自慢」も「昼めし旅」も、なぜそういう人ばかりが登場するのかというと、それは、その方が番組として画になりやすいからでしょう。
 家族がいる人の方がわかりやすいエピソードもありますし、「家族っていいですよね」という、大勢に受け入れられやすい画になるのです。
 この傾向は、フィクションでも見られます。NHKの朝ドラは大勢の人に人気がありますが、その内容を見ると、家族に囲まれているような少女が大体主人公で、のちに大きくなると働いて結婚し、子供を産みます。結婚せず、一人で幸せに暮らした、という話はまずありません。
あたかも、女性は働いて結婚し子供を産むことこそが幸せ、と説いているかのようです。

  現代では多様性がさかんに謳われていて、表向きには多種多様な価値観や生き方を認めようということになっています。けれども、上記の例のように、実際には多様性を認めない大きな力が、メディアにもこの世界にも存在しています。
結婚して家族や友人がいることこそが人間としての幸せ。何だかんだいっても結局一人でいる人に幸せはない。無意識では多くの人がそう思っている。そんな、家族教とでもいうべき宗教を信仰している人が社会の多数を占めています。
 
 もしかすると、テレビを作っている人たちは、意図的というよりも無意識にそういう番組作りをしている部分もあるのかもしれません。また、意図的にやっているとしても、悪意はないのかもしれません。むしろ、いいことをしていると思っているのではないでしょうか。だって、結局世の中で家族が無敵の正解なわけだし、これがみんなが求めている画でしょ、と。
 ひょっとすると、テレビやCMに関わっている人や社会の中で家族教を何の疑問もなく受け入れている人というのは、恵まれた家族の中で生まれ育ったり、大人になって大きな苦労もなく恋愛できたり結婚したり子供を産んだりした人が多いので、自分と全く違う環境で生きている人がいるということをあまり想像できないのかもしれません。
 
 たしかに、家族こそが幸せというのは、わかりやすい幸せの形ですので人々に訴求しやすい価値観です。
しかし、幸せの形というのは実際には人によって多種多様なものです。それにもかかわらず、この一神教のような価値観のメディアの影響を無意識に受け、一種の洗脳を受けて育った子供たちは、その後大人になった時どうなるでしょうか。
また、家族こそが幸せという価値観が主流の世界で、世の中の孤独な状況にある大人たちは、いったいどう感じているでしょうか。
 

一人でいる人を追い詰める家族教


  家族こそが最も大事であり、最愛の家族といることこそが幸せというような価値観は、たしかに以前からありました。特に、アメリカなどではその価値観は顕著だったと思います。
しかし、数十年前までの日本では、アメリカのように家族、家族という感じではありませんでした。家族が一番大事だと思っている人はもちろんいたとは思いますが、それを外部に対してそこまで大っぴらにするような感じではなかったと思います。
 それが、2011年の東日本大震災の頃からでしょうか。日本でも家族の絆が強調され出しました。家族や人との絆の大切さに改めて気づかされた、というようなことを言う人が増えました。
最近のコロナ禍でも似たような傾向を感じています。人と直接会う機会が減るなかで、人の温かさを求めて結婚への意向が高まったという人が増えたそうです。
 
 家族教は、たしかにそれ自体は悪いものではありません。私も別に家族が幸せという考えを否定するつもりはありません。それがその人にとっての幸せだというのならば何も問題ないですし、結構なことだと思います。
 しかし、世の中には様々な幸福の形があります。家族というものがすべての人を幸福にするわけではないですし、また、家族は良い事ばかりでもありません。
家族は素晴らしいといっても、それはたまたま家族に恵まれた人の場合に過ぎず、ひどい家族などいくらでもいます。そのせいで尋常でない苦しみを味わっている人も大勢いるのです。
また、この社会には家族や配偶者、友人がいなくても一人で満足して幸せに暮らしている人もいます。
 
 メディアによる家族教の押し付けは、子供や若い人の価値観を洗脳し、家族がいない人や孤独な環境にある人に強いストレスを与えます。
他のみんなには家族や友人、恋人がいるのに、それがいない自分は寂しい、駄目な人間なのだと思い込ませてしまうのです。
それに、自分に現在家族がいるという人でも、その家族との関係が上手く行かなくなった場合、世間やメディアが作り出した理想の幸せな家族像と自分の現状とを比べてしまい、悩んだり落ち込んでしまうことにもなるでしょう。
 特に私が気をつけた方がいいと思うのは、孤独な状況下にある人を追い詰めることが、自殺や犯罪の発生にもつながりかねないということです。
日本や世界で起こった無差別殺人のような凶悪な事件の犯人の動機を調べてみると、孤独で異性に相手にされない自身の境遇への怒りや、社会への憎悪が原因となっていると思われるものが、割とよく見受けられます。
 
 この世界には、色々な境遇の中で生きている人がいます。
この世から不必要に苦しむ人を減らし、不幸な事件や犯罪も減らし、本当に多様性のある豊かな社会を実現したいのならば、多くの人の無意識に潜在的に染みついてしまっている家族教という宗教について見直してみる必要があるのではないでしょうか。




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