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∞小学生〜中学生の私∞
小学生の頃の私は
とても活発な女の子。
相変わらず自然の中に連れ出してくれた父母のおかげで、本当に自然が大好きな私に育った。
小学校では、高学年になると
自慢じゃ無いけど、二重跳び前100回は当たり前、二重跳び後も100回もできるほど縄跳びが得意になりました。笑
今ではできません〜笑笑
それから、人を見ていいところを盗む”ことが大得意。
何事も努力することが大好きだった。
それは今でも変わらないなあ
*
中学生になり、小学校ではひとクラスしかなく24名だったのが一気に40名×5クラスの大きな中学校へ。
田舎娘の私はとても混乱したけど、どんどん友達の和を広げていくみんなについていこうと必死だった。
やはりなかなかなじめなかったけど。笑
小学校ではなかったクラブ活動は、どれかの部活に必ず入部しなければならず
先に中学にあがっていた姉に憧れて姉と同じバスケットボール部を志望。
でも姉は妹が同じ部活にいるのが嫌だったらしく(いつまでも次女は姉の金魚の糞だったからね笑)バスケットボール部に入部することを断固拒否され、仕方なく似たハンドボール部に入部することに。
私はほんとに、ただお姉ちゃんが大好きやったんやろうなあ。
一緒にバスケットしたかったな。
今でもそう思う
*
ハンドボール部に入部した私は、ただ純粋に、”ハンドボール”というスポーツが大好きになり、
『上達したい!』
楽しくて楽しくてただその想いで努力した。
2つ上の先輩は2人、1つ上の先輩は6人。
ハンドボールのプレイヤーは7人で、二つ上の先輩たちが卒業してから、たまに試合に出させてもらったりもした。
同世代が20人以上もいて、少し先生に気に入られたりしたらとても嫌われた。(私の性格にも問題があったかもしれないけれど)
サバサバ女子の私は、女子独特のこのネチネチした感じが大嫌いだった。
ハブを作ったり、陰口を言ったり、、
私は嫌われる側だったので
無視されたり、こそこそ悪口を言われたり、トイレに入っている間にドアを蹴られたり、、
どんどん自分に自信がなくなっていった。
そのまま私は部活動に行かなくなり、学校にも遅刻していく日が増えたり休む日が増えた。
一人対複数だと本当に難しいことだと今でも思うけれど、正々堂々とその子たちと話し合う勇気があれば良かったなと思います。
家族も心配してくれてたと思うけど、そっと見守ってくれてありがとう
寄り添ってくれて感謝しています
自分を痛めつけようと画鋲でピアスを何個かあけたら
お姉ちゃんがすごい勢いで顔面ビンタしてきたことを今でも思い出します w
*
中学3年生になり、3年4組。
仲の良い友達が出来、4人で『Stars』と名づけて
とっても楽しい中学生ラスト生活だった。
心から ありがとう。
部活動などのこともあり、ほんとうに私のことを大切に思ってくれているかわからずにみんなを試したりもした
本当にごめんなさい
みんな、今はどうしてるかな?
*
自分が生まれた時まで遡ると、
今の自分がどんな風にして形成されたのかがわかる。
それに気づくと
いい部分も、悪い部分も
全部全部、自分が選択した連続の先に今の私があるのだと気づく。
インナーチャイルド。
もっと母に、父にこういう風に愛されたかった。とか
もっと心の繋がりや触れ合いがほしかった。とか
もっと私の気持ちに寄り添ってほしかった。。理解されたかった。。とか。。
遡れば、過去の自分と向き合えば色んな想いが込み上げる。
だけど、それはすべて私が選択したんだなって。
それに気づけたから、今からだって伝えればいい。
それに気づけたから、今からだって自分自身で自分の思う愛の世界を創り上げていけばいい。
私は今でも人が怖い。
だけどね
私には信頼できるパートナーがいて
家族がいて
何にも気を遣わないでいい数少ない友人もいて。
それだけで幸せだなって思う。
もっともっとオープンに自分の思っていることや感じていることを本音で人に話したり
日々訓練中だけど
自分にとって安心できる世界って
”ありのままでいられる関係”や
”私がどんな私もハグして生きること”
なんだなって心の底から思います◎
*
あなたにとって
”生きていて安心できる世界”
ってどんな世界ですか?
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