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中国一美しい湖の真ん中で1冊の本を想う


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「これが西湖か!」
2005年夏、私は中国浙江省・杭州にある湖「西湖」の畔に一人で立っていた。
なぜ私は一人で杭州に行ったのか? 
それはある1冊の本と出合ったからだった。

中国史の年表を見ていると「宋」(960年~1279年)という王朝がある。
日本では平安時代中期から鎌倉時代中期にあたる。
この宋王朝はとても魅力的だ。
文化面や経済面では大変優れていた。
しかしこの王朝は軍事面では非常に弱かった。
北方に「遼」という異民族の強敵が存在し圧力を受けており、宋は財貨を贈ることで平和を維持する盟約を結んだ。
どことなく現代日本にも似たところがあるように思えるのは気のせいだろうか?

そんな平和が160年ほど続いた頃、宋では史上空前の繁栄を迎えていた。だが同時に皇帝は政治に興味を持たず官僚達は腐敗していた。
北方では遼が新たに興った「金」という国に滅ぼされ、その矛先は宋にも向いていた。
しかし腐敗し平和ボケした宋では失政に失政を重ね金の侵攻を許し、国土の北半分を失った。
繁栄の極みにあった宋は一瞬にして滅亡の危機に陥ったのだった。
宋は辛うじて国土の南半分を守り、国を維持した。これ以降を「南宋」といい、その首都が「杭州」だった。(それ以前を「北宋」という)

この杭州を舞台に宋と金の争乱を描いた作品が私を杭州へと導いた
「紅塵」田中芳樹著
であった。

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この作品は1993年に出版された。当時高校生だった私はこの作品を読んで衝撃を受けた。
「三国志以外にも中国にはこんなに面白い時代があったのか」と。

私は幼少の頃に「人形劇三国志」を見て三国志を知った。その後も本やゲームなど様々な三国志に触れ三国志が好きでとても詳しくなっていた。
当時は本屋に行くと三国志関連の本は沢山並んでいた。
しかし三国志以外となると司馬遼太郎「項羽と劉邦」のような史記物などごく少数だった。
20世紀後半の日本において中国史イコール三国志と言っても過言ではなかったと思う。

そんなとき読んだ中国「宋」と「金」の話は新鮮で強烈な印象を残した。

最初に印象に残ったのは「抗金名将」という言葉だった。
当初宋は弱く金の侵攻に太刀打ち出来なかった。
しかし滅亡の淵で金に抵抗し南宋を守り抜いた6人の名将が現れた。
この6人を中国では異民族から国を守った英雄として「抗金名将」と称えているという。
その中でも随一の実績と人気を誇る「岳飛」などは圧倒的な知名度があり、日本で有名な三国志の英雄諸葛孔明などより人気があると書いてあり、びっくりしたのを覚えている。
日本で例えるのは難しいが、幕末維新の英雄達。例えば坂本竜馬のような存在が近いのかもしれない。

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紅塵は南宋成立から約30年経った頃から始まる。
主人公は韓子温。
彼の父親は「抗金名将」の1人韓世忠。
母親は梁紅玉といい、元々評判の妓女だったのが韓世忠と結婚し、その軍団の副将として金との闘いに活躍した女将軍。
物語は子温の活躍する「現在」と両親の活躍した「過去」が交互に語られる。

「現在」は宋と金との間には14年前に和議が結ばれ平和が保たれていた。その平和を通じで宋では経済が活発になり、国土は半分になったが北宋の繁栄を取り戻しつつあった。

和議を推進したのが南宋の宰相「秦檜」だった。
この作品で一番衝撃的だったのがこの「秦檜」という人物だった。

その頃の南宋では「講和派」と「主戦派」の抗争が勃発していた。
「講和派」の秦檜が交渉を成功させる為には「主戦派」の急先鋒であり救国の英雄と言われた将軍「岳飛」が邪魔だった。
秦檜は岳飛を「反逆罪」の罪名を着せ獄中で拷問のすえ殺した。もちろん反逆がでっちあげで証拠は無く、問い詰められた秦檜は「あったかもしれない」と言ったという。

戦争を止め平和と繁栄をもたらした事は秦檜の功績である。
しかし秦檜に感謝した庶民は1人もいなかった。庶民が本当に感謝したのは侵略者と戦い最後は無実の罪を負って死んだ岳飛に対するものだった。

後世、岳飛の名誉は回復された。
杭州には「岳王廟」が建てられ、岳飛を人々から神として崇敬されている。
その中に鎖で縛られた四体の銅像がある。
その銅像とは、秦檜と岳飛殺害の助言をした妻、手足となった部下2名である。
岳王廟を訪れる人々はその銅像に唾を吐きかけるという。

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岳飛という人物に興味を持たないはずは無かった。
秦檜や南宋という王朝にも興味を持った。
杭州という都市にも興味を持った。

12年後の2005年夏、私は「紅塵」と「地球の歩き方」を手に杭州へ向かった。
ずっと行ってみたいと思っていたがきっかけが無かった。
そんな時旅行代理店のパンフレットに杭州パック旅行が掲載されているのを見た。
「思い立ったが吉日」
その日に申し込んでいた。

杭州と西湖
昔から中国でも景勝の地として知られている。
杭州は地上の天国と言われ、西湖は多くの文人の作品に登場する。

始めて畔にたった時は中国の水墨画に出て来そうな風景に感動し、思わず水に手を入れた。

最初の目的地は「岳王廟」だ。
いかにも中国っぽい派手な岳飛の像があった。
そして後ろ手に縛られ跪かされたあの四体の銅像も。
いまでは公式には唾かけは禁止だが、実際は……

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西湖周辺は見どころの宝庫だった。
南宋の頃より「西湖十景」と言われる名所があった。

西湖の外周は約15㎞。
真夏の太陽の下歩いた。
バスにも乗ったが中国語が分からず断念した。
2泊3日の間、ほぼ口を開かなかった。
ホテルのレストランでの食事も失敗した。写真で肉料理らしきものを指さしたが、なにやら汁物が出てきた。
なにせ中国語が分からないのだ。

しかし楽しかった。
人生で最大の思いでの1つだ。

改めて紅塵を再読した。
やはり面白い。
読み度に思う。もう一度杭州に行きたいと。

今決めた。杭州再訪を残りの人生の目標に入れることを。