「頭が良い」が昔と違う!?

 私の高校では現在、総合学習の中で一般企業の方に支援をしていただいています。プレゼンテーション作成をグループごとにコーディネーターとしてついてくれています。企業のCSR活動の一環として、無償でこのようなことをしていただけるのは本当に嬉しい限りで、声をかけていただいて運が良いなと思います。
 総合学習の担当教員として対応しているのですが、各チームを見ていただいた企業の方からチャットでこんな言葉が飛んできました。

「高校生だとやはりまだまだ偏差値というものを気にする感じがしますね。これまで直接話ししていて特にいわゆる頭の良い生徒たちからはその傾向を強く感じました。ただ、IQが大切なのもそうですが、特に進んでいるチームはグループの中にEQやHQが高い生徒がいて面白いです。チームのバランスって大事ですね。1人欠けていてもこのようなチームになっていないと思います」

それに対して私はこう答えました。

「大学へ入学を考えたときにIQではかられることが多いので偏差値を気にする傾向は強いです。我々はまだそうでもないですが、特に高学歴と言われる高校ほどそうなのだろうなと働いていて感じます。社会が要請する能力を高校が気にするようになるのってタイムラグがあり、それがなかなか進学先側からの評価がもらえないのが要因の1つだと思うんですよね。政府の「人間力を測るんだ!」なんていう改革もうまくいっていないので、結局は変わっていかないのかなぁ。なんて思っています」

 さらっと流れていったこの会話で、ふと気づいたんです。企業の方もIQばかりを気にしているわけではないということです。そしてそれは私が実感していたまさにそれでした。

  • 企業もIQだけではうまくいかないと言うことに気づいている。

  • 我々、学校もIQだけを伸ばそうと思っているわけではない。

 これが保護者の方や塾の方になってくると「単純な学力」=「頭が良い」と思いがちで、ミスマッチが生まれていくんです。

どちらの方が頭が良い?

次の二つを比べて考えてみてください。

  • 人と関わるのは苦手だが、常に試験で8割を自力で取れる人

  • 自分1人で考えるのは苦手だが、周りの人とコミュニケーションを取りながら8割の問題を正解できる人

 今までの「頭が良い」は前者です。それは個人の能力が仕事の効率に直結し、企業が知的能力すなわち、理解するのが早い人を求めたからです。理解するのが遅い人は仕事ができないと烙印を押され、学力が高い大学からの人材を競争して獲得するようになったんだろうなと想像できます。

 それが現代になり、「どちらの人を採用したいですか?」と聞かれたらどうでしょう。どちらの人に魅力を感じますか?
 社会の中にいる皆さんでしたら、「前者」とは答えずに「後者」と答えるのではないでしょうか。必ずしも学力の高い大学に行くことが社会で求められているのではないのです。

学校教育の課題

 社会に求められている能力が変容しつつあるのに、安全や安心を求めて、保護者の方は「進学実績が高いこと」を基準に高校を選びをするはずです。それが悪いこととは言いません。大学側が求めている入試が、IQの高さを求めるものであり、それが次第に社会の要求とミスマッチをしているだけです。より安全な道を選ぶのであれば単純な学力を上げることは間違いとは言い切れません。
 高校側、特に私立高校もそれを分かっていて、進学実績を高めることを目標に掲げているところも多くあります。ただ、そのギャップこそが教育の発展を止めてしまいかねません。IQ至上主義が先行すると、社会の価値観と高校教育のギャップが生まれます。本来ならばIQ以外の指標が高い生徒も「勉強できないお前はダメだ!」と言われかねないです。

IQ以外の能力値

IQ以外の能力値知っていますか?
世の中にはIQ以外の非認知能力を示す指標が数多くあります。

非認知能力とは

◎目標を達成するための「忍耐力」「自己抑制」「目標への情熱」
◎他者と協力するための「社会性」「敬意」「思いやり」
◎情動を抑制するための「自尊心」「楽観性」「自信」

です。IQ以外の非認知能力の重要性がますます増してきています。その指標を少しだけ紹介します。

Emotional intelligence Quotient(感情指数/心の知能指数)

今の自分の感情、あるいは他者の感情を理解し、自己の感情を管理しながら周囲と良好な関係を築く能力です。
EQが高い人は相手の気持ちを敏感んい察し、自分の気持ちをコントロールして人に接するため、無用な衝突を生むことはなく人間関係を円滑に育む特徴を持っています。

日本人のEQが世界一低い!なんていうのもありました。

Social intelligence Quotient(社会的/精神的知能指数)

人と人との関わりや対人関係、社会性がどれだけ秀でているのかという点に焦点を当て、他者の感情を理解し自分の行動が相手に及ぼす影響も考慮して対人関係を円滑にする能力です。
EQが対人関係の能力なのに対し、SQはEQを発展させた、「対人関係の中で知的に生きる力」です。社会や他者と自分を振り返りながら、しっかりと自分のことを理解して自己実現を図っていくような力のことです。提唱者のダニエル・ゴールマンも著書の中でこう言っています。

人生でかかわりあう人々から受ける作用によって、気分だけでなく身体そのものが影響され、形成されることを自覚して、賢明に行動しなければならない。また、逆に自分自身が他人の情動や健康にどのような影響を与えるかも、よく考えてみなければならない

(ダニエル・ゴールマン(2007),『SQ 生きかたの知能指数』,日本経済新聞出版社.)

Adversity Quotient(逆境指数) Resalience Quotient(心の弾力指数)

 AQとRQはどちらも困難にぶち当たったときに克服できるのかという指標です。厳密にいうと異なりますが、ここではほとんど同じものとして扱います。
 私がよく読んでいた著書に「GRIT(グリッド) 〜やり抜く力」という本があります。自分がどのくらいやり抜く能力を持っているのか、自分で伸ばす方法、他者が教育する方法をその本では伝えています。
 GRITとAQRQの違いを調べると、GRITは積極性の意味合いが強く、AQRQは困難が起きたときに受容する能力を示しているそうです。

 GRITの本は教育者であれば1度は読んだほうがいいと思います。


Curiosity Quotient(好奇心指数/発想指数)

 CQというとさまざまな能力が出てきます。文化指数であるCultural Quotientもひとつです。それも大切なのですが、人間の根源的な好奇心の指数が私は大切だと思っています。
 新しく何かを生み出す力の根源であり、人間の独創性に関わります。ここでは多くは書きません。ぜひ読んでみてください。


Humanity Quotient(人間性指数)

 2005年まではPQと呼ばれ潜在能力指数と呼ばれていましたが、改称されて現在ではHQと呼ばれています。
 このHQは脳の前頭連合野が司る領域の指標です。前頭連合野はヒトをヒトたらしめ、思考や創造性を担う脳の最高中枢であると考えられています。
 最も成熟するのが遅い脳部位であり、ワーキングメモリーや反応抑制、行動の切り替え、推論などの認知実行機能を担い、また、情動や動機付け、意思決定過程を担う。そして、社会的行動や葛藤や報酬行動などあらゆる人間の行動を制御している。

 IQがただ単純に知識というならば、HQは行動を司る知恵のような機関だと私は考えています。HQが人間性指標と言われているのは、今までのEQやSQなどあらゆる指標を包括しています。

これからの学力

 今までの学力偏重の大学入試が悪いとは一概には言えません。私も受験戦争を戦ってきて、その価値はよく知っています。目標を掲げる力、計画する力、遂行する力、諦めない力、考えようとする力、一生懸命に生きる意味を見つける力、
それらが受験戦争を経験すると必然的についてきます。
 そして何より、日本人に一番欠けている確かな成功体験の積み重ねを経験することができ、自信を与える一歩になり得るのです。

 知識を増やす最大限の努力をすることが今までの受験の取り組み方であり、高校教育もその「しなくちゃいけない受験戦争」に身を預けて半ば乱暴にそれを教育としてきた気もします。ただ、私たち教員がしなくてはいけないのは学力を伸ばすことに固執するのではなく、

物事の受け止め方
他者との関わり方
自分の道の歩き方

を教えていくことをしなくちゃいけないと考えています。そのため「先生の言うことを聞きなさい」「指示に従いなさい」「授業中に〇〇するな」「勉強しなさい!」というのも捨て(気にはなってしまうのですが) 

自分の頭で判断し考える。

これを大前提として気づかせることを優先しています。これからの学力は

  • 自分を制御する力

  • 他者と協働する力

  • 物事を実現する力

これ以外も含めた全ての人間的な力が学力として捉えられます。まとめると

社会のルールや他者の感情を理解し、社会的な自己を実現しながら、周りの人と協力して課題を解決していく

 このような言葉になると思いますが、どこかの政府が言っているのと結局は一致するんです。
 できたら、保護者の方や塾の先生方も教育の方向性を理解していただいて、受容力のある子どもの教育を目指していただけたらなと思います。

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