2018年インド旅 〜内なる男性性にであう旅 〜Vol.4
前回の話しはこちら
https://note.com/koewo_kiku/n/nd014d9a540ce
寝台列車で同席したのは、
生後2ヶ月の赤ちゃんと2歳の男の子、そしておじいさんとおばあさんと思われる年配のご夫婦。子供たちのお母さんは、まだきっと20代前半かな。
列車の席に足を伸ばして座り、伸ばした足の膝から下に赤ちゃんをちょこんとのせて、
足をゆりかごのように揺らし、赤ちゃんを上手にあやしている。電車の揺れとお母さんの
ダンスのような“足ゆりかご”でご満悦の赤ちゃんはスースーと静かに寝息をたてはじめる。
小さな男の子も長い列車の旅には時折、退屈そうにはしているけれど、おじいさんとおばあさんに相手をしてもらい、塗り絵やお絵かきをしながら長旅をそれなりに満喫している。
列車の中ではビリヤニ(スパイスの効いた炊き込みご飯的なインド料理)やスナックなど様々な食べ物やチャイを威勢のいい声をあげて売り子さんが列車の中を練り歩いている。
インド料理はとても美味しいと感じるし大好きだけれども、9日目にもなると、
もともと胃が強い方ではないわたしの粘膜は刺激的なスパイス続きでシクシクと痛みだした。
そう気がつきながらも他に食べるものもないので、お昼の一食だけスパイスの効いた美味しいビリヤニを食べる。
シクシクと痛む胃と口の中にたくさんできている、口内炎。そして長男を出産後から
慢性化している出血性の痔は、刺激的なスパイスが実質的な原因だとはわかってはいるが、
今、どのような気付きのために、症状として現れているのだろう。
起きていることをあるがままに鑑賞しながら、アーユルヴェーダデトックス後におりてきた
子ども対象のお話会の原稿をみなおしはじめる。
自分に丁寧に問いながら、原稿を手直しする。
言葉の意味や、どのような伝え方をすればよいか
参考文献を探すには
wifiが使えない列車では調べることはできない。
長いようで、あっという間にも感じられた寝台列車はインドでは珍しい⁈定時に到着。
朝の5:00過ぎにPUNE駅に着いた。
ほぼ、事前に情報を入れず、“何となくこの場所にいってみたい”という直感からOSHOリゾートに7日間滞在する予定だった。
リゾートの予約は次の日の朝からなので、リゾート近くのアパートメントを1日だけ予約していた。早朝にアパートメントにむかい、チェックイン前に荷物だけでも預かってもらおうかと考えていたが、さすがに早朝5:00すぎに起こすのは申し訳ない。明るくなるまで駅のホームで待機することにした。駅にはたくさんの人があたりまえのように地面に寝転んで仮眠をとっている。
そして8時過ぎまで待ち、オートリキシャにのって駅から10分そこそこで
予約していた古いアパートメントに着いた。
やはり、ドアをノックしても誰もでてこない。
荷物を降ろしに、アパートメントの入り口までついてきてくれたリキシャの運転手さんが
アパートメント敷地内にある駐車場に座っていたおじさんに何やら話しをしてくれている。
どうやらその人はアパートメントの管理人さんに電話をしてくれたようだ。
そして、管理人さんが眠そうに目をこすりながらも、起きたそうそうに部屋を準備してくれ、無事にチェックインすることができた。
優しく、臨機応変に対応してくれるインドの人びと。
ほとんど眠れていなかったので、部屋で少し仮眠をとる。
昨日のランチ以降、何も食べていなかったので
腹ごしらえにリキシャに乗って、地球の歩き方に掲載されていた、“ナチュロパシー研究所”にむかう。
移動でつかれた体をいたわるランチを食べた。
ここはとても興味深い、自然療法の施設なのだ。
ありとあらゆる施術も体験できる。
メニューの中には、わたしが提唱している泥(クレイ)の自然療法もあるようだった。
OSHOリゾート7日間の滞在予定が終わった後に帰路に着くまでの2日間、予備日がある。その時にに体験できればいいなと思い、下見をかねての食事となった。
そして、またアパートメントに戻り原稿の修正作業に没頭していく。
原稿を見直して、前から気になりながらも、書き足すことができていなかった内容とは
“プライベートパーツ”という項目について
“プライベートパーツ”とは
他人に見せても触らせてもいけない、“自分だけの体の部分“という意味。
水着を着て隠れる場所が"プライベートパーツ"といえる。
この項目を書き足したいと思い、参考文献を検索してみる。
いくつかの文献にたどり着いたころ、衝撃的な情報を目にした。
それは以前にも開けたことのある、パンドラの箱。
記憶のパズルのピースがところどころうまっていく。
“性的虐待”体験のある、女性は「記憶をなくす」ことが多いといわれている。
解離性障害とか解離性同一性障害。これらも多い症状らしい。
もうひとりの自分がいて斜め上から見ている感覚があるということ、多重人格になって「自分には十数人の人格がある」という。
そこにはわたしの幼少期や思春期に共通する情報がたくさん載っていた。
おそらく、再びこのパンドラの箱をあけることに“恐怖”があったのだろう。
もう、そんなことはどうだっていいと思えるほど今現在は幸せなのだ。
それは、“月経“のお話し会から、こどもに“性と生イノチの話し“を伝えはじめたその後に
カタチをかえ、自分のために開催してきた
「けやき小屋」という場が今のわたしを導いてくれた。
keyakigoya
月経小屋
明治の初期ごろまで残っていたといわれる風習。
集落の片隅にひっそりとたたずむ
小さな小屋。ときには産屋ともなる。
月経という
命のいとなみを儀式として受け入れ
このときばかりは女性が家事や育児や農作業から
解放される場所として存在していたと想像できる。
集う女性たちにより語りつがれていた真実。
体のしくみ。誰にもいえない性について
愛とパートナーシップについて
語らいましょう。
イノチの営みをともに喜びましょう。
女性から男性へ子供たちへと
生きるこころの知恵を伝えましょう。
ひとりひとりが言葉にして帰る場所
昔の女性がそうしていたように
女性が月のように本来の輝きを取り戻す場所。
自分のためにこの場をつくり、女性として生まれてきた喜びを
分かち合うことで癒されてきたワタシの子宮。
罪悪感や憎しみや嘆きや闘うために産み出すのではなく、愛と喜びと感謝から
創造し作品を生みだすには、次の目的地OSHOリゾートに行くことは必然だった
#healing journey
#みんなの文藝春秋
#私らしい働き方
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