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169 対ホワイトグリベア

 越冬中のグリベアは外気温が一定以上になると目を覚まして過ごすようになる。フェリオン領内の最北に位置するこの地域ではその活動開始の気温が他の地域より著しく低い。
 そこまで気温の上昇を伴わなくても起きてしまう事がある。とはいえ起きた直後には長い眠りで瘦せ細っているはずだった。事実、先ほど撃退した二体のグリベアはさほど大きな個体ではない。

 しかし、目の前に佇んでいる一体はといえば常軌を逸しているサイズであることが一目で分かる。ウェルジア達が見上げるほどに大きい。いや、大きすぎるのだ。

 お互いに視線を外さないように睨み続けて膠着している。あちらも安易には踏み込んでくる気配はなく様子を見守っている。

「こいつ、本当にホワイトグリベアなのか?」

 視界が慣れ、その風貌をまじまじと眺めたフェリシアも困惑の表情だ。仮にこのサイズの個体が現に目の前にいる。そうであったとしてもまるまると肥えた状態である事に強烈に違和感を覚えるもそれを考える必要が今この時点ではないと思考は瞬時にどう戦うかに切り替わる。

「考えてもしょうがねぇか」

 睨み合いの続く中でウェルジアはシュレイドの言葉を思い出していた。

「お前は力が強いし、速度もある剣を使い実直に戦いつつも柔軟な判断力もある。だから相性が良さそうな地の閃の中の『対熊の章(ついゆうのしょう)』と『対狼の章(ついろうのしょう)』っていうこの二つを教えておくつまりだけど、いいか?」

「ああ、どのみち俺に選ぶ権利などない。頼む」

「両方とも状況的に何度か山に居た時の狩りで使っていたからどういう状況で使うかがわかるってのも理由だけど」

「ふむ」

「お前に教えるって事になってから考えていて気付いたんだが、おそらく地の閃ってのは普通は人間以外に使う剣術だったんじゃないかと思っているんだ」

「人間以外?」

「そう、思い返してみたらそれぞれ特定の動物を相手にしている時によく使っていたなぁって気がしてさ」

「動物、だと」

「ああ、対熊の章はグリベアに襲われた時、対狼の章はウルフェンとかに襲われた時によく使ってた。ま、それもこれまでは無意識だったんだけど、今回色々と教える事を考えてたら気付いてさ」

「山に住んでいたとはいえ、動物に襲われ過ぎじゃないのか?」

「そう? 普通の生活ってよくわかんねぇんだけど、そんなに動物と対峙することは普通ないってことか」

 普通の生活。その言葉に僅かな陰りを感じ、ウェルジアは頷くようにして頭を垂れた。

「普通の生活……か。すまん。お前のこれまでなど知らんというのに」

「ああ、いいよいいよ、確かにめちゃくちゃ襲われてたのは確かだし、最初は死にそうになってた事も思い出して懐かしい気持ちだったよ」

 最初にということは、ここ最近の事ではないのではないかとウェルジアは疑問を抱く。

「話ついでにいいか?」

「ああ」

「動物に剣を向けていたのは一体いつの頃の話だ?」

「ええと、記憶にある限りだと5つになるくらいだったかな?」

「なっ」

 さしものウェルジアも絶句した。教養の少なかったウェルジアでさえグリベアの存在は知っている。妹と暮らしていた村での山仕事をする際の注意でたびたび聞かされており、何度か遭遇したこともある。
 その時は一緒に仕事をしていた山の大人たち数十人と共になんとか撃退したことが記憶に蘇る。

 つまり、シュレイドは幼い年齢から既にグリベアとの単体での交戦経験があるという事だ。
 勿論、英雄であるグラノが近くにいたということも考えられるが、どうも助けてくれる人物が近くにいたような話しぶりでもない。

「まさか、それは一人で、か?」

「え、ああ、そうだけど」

 さも当然のように言い放つシュレイドを見て再度その強さが腑に落ちる。グリベアと言えば国の一般的な騎士達でさえも3、4人もしくはそれ以上で安全に狩るのが一般的な事を知っている。
 だからこそウェルジアは今の自分でも一人で狩るのは難しいのではと考えていた。

 試す機会さえあれば、と思っていた矢先にこの事態になっている事にウェルジアは喜びを覚えていた。しかもこれだけの大きな個体なら相手にとって不足はない。

 グルルルルッルルルルルル

 唾液をダラダラと口元からこぼれ落としながら距離を測っている。先ほどの生徒の時よりも慎重に様子を伺っている。ウェルジアとフェリシアの二人に警戒はしているのだろう。
 彼らが先ほど自分が食らった仲間を葬った相手だという事を理解しているのかもしれない。

「まさか、これほどすぐに試せる機会がくるとはな」

「あ? どういうことだ?」

「ここは一人でやらせてもらう」

「バッ、お前何言ってんだ。自殺願望でもあんのか?」

「そんなものはない」

「なら」

「試したいことがある」

「は?」

 ウェルジアはこの状況下で高揚していた。シュレイドから教わった事がこれほどすぐに実践で試せるなど思っても居なかったチャンスが転がり込んできているのだ。
 
「勝算はあるんだろうな。一緒に人生終了はごめんだぞ」

「ある」

「そうかよ」

 即答に対してフェリシアは剣をしまい込んで腕を組んだ。

「フェリシアさん!?」

 リリアが驚いた声を上げた。その声に反応するように白いグリベアが地を蹴り出して飛び掛かった。フェリシアがリリアを抱きかかえて距離を取るように飛び下がる。

 視線を相手の動きに補足してウェルジアは剣を構えた。セシリーから最初に買い、今日この日までに使い慣れた愛用になった剣、今では大分手に馴染んでいるように見える。

「テラフォール流、地の閃、対熊の章(ついゆうのしょう)……」

 白いグリベアが左腕を振り上げ、鋭い爪で引き裂くようにウェルジアへと振り下ろしてくる。

「弧熊斬(こゆうざん)」

 太い腕に向けて右手に持った剣を切り上げるように迎え撃った。刃先が腕に食い込んだ瞬間、左腕を身体ごと剣に体当たりするように巻き込んで勢いよく叩きつける。
 振り切った剣の勢いがグリベアの筋肉に止められる前に二段階の衝撃が与えられた剣はそのまま弧を描く。全力で振り切った剣の勢いでウェルジアは空中で身体を捻りながら振り切る。

 グリベアに丁度背を向けるような状態になる程の勢いで振り切った剣を捻り返して追撃を試みる、が残った相手の右腕の手の甲が目の前に迫っていた。

「チッ」

 身体を逸らして剣を構えると重い衝撃が走る。止めきれないとウェルジアはシュレイドの動きを思い出しその腕の攻撃を受け流した。
 直後、先ほど切り飛ばされた腕が地面へと落下する音が聞こえ腕だけでも相当な重さがあるようだ。

「丸太みてぇなあの腕をたった一撃で切り飛ばしやがった」

 自分には出来ない芸当を目の前にフェリシアも歓喜に打ち震えていた。

「シュレイド。俺はお前を必ず越える!」

 ウェルジアは受け流され体勢の崩れたホワイトグリベアの背後へと回って飛び掛かり首元を狙う。

「断熊剣」

 首元へと触れた剣は直後にその硬い筋肉に阻まれる。想像以上の硬さではあるが今のウェルジアには問題はなかった。

 首元に食い込んだ剣を持つ腕を真っすぐに伸ばすように突き出し摩擦を起こす。腕が伸び切った所で瞬時に剣を全力で引き絞り前後の動きを加え引き降ろした。剣を引き抜き構え直して全く同じ箇所へ同様の動作で切り込んだのだ。

「対熊の章の技は、ほとんどが二撃セットを一つの動作で行っていて、そのまま技になってる。一撃で肉を断ち、二撃で骨を断つみたいなイメージの技が多いんだ。慣れると一撃目で大体終わってるけど」

 あのような言い方をするシュレイドはおそらく一撃で切断が出来ていたはず。まだまだだと奥歯を噛みしめつつウェルジアはひとまず成功したことに安堵する。

 自信はあったがかといって全く緊張をしないわけではない。ウェルジアにとっては初めて自分が手を下して命を奪う動物だ。目の前でごとりと落ちる首に両親の最後の記憶がフラッシュバックしてしまう。

「ウッ」
 
 突然その場にしゃがみ込み、胃液をぶちまけてしまう。

「ウェルジア君!!」

 リリアが即座に駆け寄りその背中をさする。その身体が小刻みに震えているのが分かる。

「大丈夫? どうしたの?」

「く、う」

 突然の出来事にフェリシアも戸惑っているが、ウェルジアの事はリリアに任せ、ホワイトグリベアの状態を確かめに近づいた。

「綺麗にやりやがったな。この狩り方なら損傷もほとんどない。これほどの大きさなら全員の食料にも出来そうだ」

 フェリシアの言葉に安堵するリリア。しかし、2人の耳へ突如誰かの足音が響き聞こえてくるのだった。


つづく


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