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148 穏やかな放課後

 とある日の授業終わりの校舎裏。
 いつものこの場所でウェルジアが神妙な顔をしたままで文字をただひたすら書き綴っている。いや、聞き殴っていた。

 その様子を隣で見守るのは紫色の髪の少女、プルーナ。
 一通り書き終わったウェルジアは仏頂面のまま視線だけ彼女に向ける。

 プルーナは口の端を微かに上げ、小さく頷いて呟き、一言。
「汚い。もう一回全部やりなおし」

 ウェルジアもプルーナも表情をお互いに変えるのは得意でなかったが、代わりに雰囲気の機微を汲み取るのは二人とも長けている為、特にコミュニケーションには難はない。
 一見すると無表情に見えるウェルジアはかなり動揺していた。

「な、全部、だと」

 何度も繰り返し、書き綴るが、その度にプルーナにペシリと手を叩かれている。

「ちがう、こう。ウェルジア不器用」
「チッ。クソ、この字が難しすぎるんじゃないのか」
「ううん、簡単」
「お前にはそうだろうが、俺には難しいという可能性がある」
「ない」
「……」

 プルーナのお手製だという木り株の表面を均したようなテーブルの上。一度ペンを置いて、手のひらを握って開いて力を抜いて手をぶらぶらと振る。

「このペンってのは小さすぎて使いにくい。剣を持つより手が疲れる。そのせいだ」
「それは慣れ」
「慣れる気がしないな」
「頑張って」
「……分かっている」

 以前の約束の後からこうして時折、ウェルジアは紫色の髪の少女、プルーナの元へと文字の読み書きを教えてもらいにきていた。

 書く方はなぜかなかなか慣れないものの、読むことは少しずつ何とかなってきているようで、自分の持っている大切な本、テラフォール流の技術指南書を少しずつではあるが既に読めるようになっていた。

 その結果、これまで挿絵だけでどのような事が書いてあるかを自己判断して解釈し訓練をしていた箇所への理解が進み、もっと知りたいという知識欲が彼の中に芽生え始めていた。

「少し、休憩」
「ふぅ」

 空を仰ぐとそよそよとした風と鳥の鳴き声が聞こえてくる。静かな時間が流れている。

「ウェルジア」
「なんだ?」
「あなたは、人を斬りたいの? その剣で」

 唐突な質問にも慌てる様子もない。テーブルに立て掛けられている剣にプルーナが視線を送るとそれに合わせウェルジアも剣を見つめた。
  
 そう問われるも返答の難しい質問だった。憎悪に駆られここまで生きて来たのは確かだ。
 だから、斬りたいのかと問われれば斬りたいと答えはする。
 ただ、誰でも無差別に斬りたいと、今はもう思っているわけではない。

 リオルグ事変での出来事も大きく彼の中で影響を与えている。
 かつてはこの国を滅ぼしてやると思うほどに憎んでいた自分。
 だが、そんな自分がかつて想像したことと非常に近しい行動を起こし、無差別に生徒を蹂躙したリオルグの凶行。
 なんと醜悪な姿なのだろうと思ってしまった。
 盲目の妹リニアの目がいつか見えるようになった時に果たして見せられるだろうか。
 そんなことを考えるようになった。

 この学園に来て知り合った者達との時間がウェルジアに大きな影響を与え始めてもいた。
 いつも眉をひそめつつもそうした日々が悪いものではないと感じ始めている。

 現に今こうしてプルーナに文字を教えてもらうこの時間も彼にとっては大切な時間の1つとなっていた。

 とはいえ、自分がどうするべきなのかもまだ分からない。

 ただ一つハッキリしていることはここに来る前に遭遇したあのフードを被った人物に会わなければならないということだ。
 未だに見つけられていない。ウェルジアを学園へと誘った存在。

「今は、わからない。だが、それでも忘れてはいけない事は、ある」

 その言葉にプルーナはハッとして、コクリと首を縦に振る。

「そうね。忘れてはいけない事がある。そして、それは簡単には消えない、忘れられないものね」

 揺れる木々の合間を眺めるプルーナの横顔から目が離せなくなる。これまで自分の事ばかり考えて生きてきたウェルジアは最近になり、自分以外の者達の事を考えるようになっていた。
 他者への興味が生まれつつあったのだ。

「お前は」

「ん?」

「いや」

「ききたいこと?」

「それはまぁ、そうなんだが」

「何が聞きたいの」

「お前も、誰かを斬りたいと、思ったことがあるのか」

「……ある」

 そう答える彼女の表情は暗く沈み込む。誰かのこんな表情を間近でみるのは初めてかもしれない。

「そうか」

 と複雑な表情を浮かべる。自分もいつもこんな表情をしていたのだろうかと思い返す。
 妹であるリニアの事を再び思い出す。昔の凄惨な出来事の後、妹の心からの笑顔をそういえば見れていない気がする。
 
 プルーナを見ていて、妹から笑顔を奪ったのは、もしかしたら自分のせいでもあるかもしれないとここにきて初めて気付く。

 眉間に皺を寄せたウェルジアの様子にプルーナはふっと表情を小さく緩ませる。

「でも、最近は少しだけ、そんなことをしても何も変わらないのかもしれないと、思っている自分もいる」

 ウェルジアが先ほど自分も心の片隅で思っていた事をプルーナは口にする。

 あの時、自分の両親の首を斬った騎士は既にこの世にはいない。
 自分が気付いた時にはもう血みどろで倒れて死んでいたからだ。

 そう、あの時の声を追ってここまで来た。やはり状況がどうあれ一度、あのフードの男を探し出して会わなくてはならない。
 
 国への恨みという意味では、全ての禍根が消えたわけではない。皮肉にも国からもらう金のおかげで遠く離れた妹の治療費が払えているという事実は存在している。
 そういう点では少なからずこの制度にも感謝がないわけでもない。

 ただ、怒りに身を任せる事でしか生きてこれなかった自分が、それ以外の生き方をまだ知らなかっただけなのかもしれないと。
 最近では多少はそのようにも考えられるようになってはいた。
 
 とはいえ、ならばどうするべきなのか、というところまで先を考えられるほどにウェルジアはまだ精神的に成長できてもいないことが、彼の今の歯がゆさを助長していく。

「だから……」

 プルーナは視線を木々の合間から落とし、ゆっくりウェルジアへと向き直る。

「今は、こんな時間がもっと増えたらいいなとは、思っている」

「そう、だな」

 ウェルジアは愛想なさげにそう自然に答えながら微かに柔らかく口元だけを緩ませる。
 そんな自分の僅かな変化にまだ彼自身、はっきりとは気付けていなかった。

「ちょっといい?」

 二人の居る場所へと足音もなく現れた女生徒の声が届く。

「誰だ?……なんだ、お前か」

「お前とは失礼ね。私にはネルという名前がある」

「ネル」

 プルーナは少し驚いたような表情でネルを見つめる。

「気付けなかった」

「気付けなかった? それは嘘よね」

 ネルが指差した先に握られている手斧が木々の隙間から差し込む陽光にキラリと反射する。

「ただの勘」

「だとしたら随分と鋭い感覚を持っているようだけど」

 似た空気を持つ両者はお互いに値踏みをするように見つめ合う。
 そんな二人を歯牙にもかけずウェルジアがネルに問う。
 
「俺に用なんじゃないのか?」
「ヒボン先輩が探していた。それを伝えに来ただけ」
「あの人が? 俺に何の用だ?」

 一瞬の緊張感の後、ウェルジアの介入により二人の空気は静かに弛緩する。

「明日、食堂で将来に向けての話をしたいそうだけど」
「将来? 訳が分からん」
「で、ヒボン先輩いわく、見つけた時に一緒に居た人も呼んで欲しいとのことだから貴女も来て欲しいのだけど」

 そう言ってネルはプルーナにも参加を促した。

「どうして私も?」
「それはヒボン先輩に聞いて」
「ん、わかった。ウェルジア。今日はここまでにしましょう」
「そうだな。手が痛くてかなわん」

 ネルが目線を落とすと沢山の文字が書かれている紙が大量に辺りに散らばっている。

 そのうちの一枚を拾い上げて目を通す。

「汚い字、これウェルジアの字?」
「おい、斬るぞ、貴様」
「ふふ、二人は仲良しなのね」

 プルーナが真顔でそう言い放つ。

「仲良くなどない」
「仲良くなんてないわ」

 二人の声は綺麗に揃い校舎裏の森に響いた。

「ふぅん、でもこれでやっぱりウェルジアの字は汚いという事が確定した」

 プルーナがあっけらかんと言い放つとウェルジアは思わず頭から切り株に突っ伏し、それを見下ろすネルの後ろ姿が珍しく肩を揺らし、何かを堪えているように小刻みに震え続けていた。



つづく


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