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63 漆黒の滴

「ん?」

 他の区域で監督をしていたマキシマムが遠く空を仰ぎ見る。

 暗雲の立ち込めるその空はこの時間帯には似つかわしくない程に明るさを徐々に失っていく。 胸に去来するザラリとした嫌な予感に一筋の汗が流れる。
 だが、今は自分のこの持ち場を離れるわけにはいかない、と目の前の生徒達の戦いを眺めてはいるが、このままでは何か良くない事が起こる確信があった。

 そうした直感はマキシマムがまだ現役の騎士だった頃、ことごとく当たっていた。だからこそ無視はできないほどに彼の思考を奪っていく。
 こうした言い知れぬ感覚をまだ衰えさせていないと自負もある。このまま戦いを切り上げるべきかギリギリのところで悩んでいた。

 そうしているうちに目の前の戦いが一つ終わる。

「参り、まし、た」
「さすがティルス様だわ」
「会長の班はとんでもなく強いな」
「だが集まっているメンバーはしらないやつばかりだぞ」
「ティルス様が指揮するなら当然だろう」

 周りで見守っている他の生徒達から感嘆の声が上がる。

 今目の前で行われていた戦いは銀髪赤眼の西部学園都市ディナカメオスの現生徒会長ティルス・ラティリアを中心に展開していた。終始、彼女の指示で他のメンバーが行動し、相手は成す術なく一手ずつ追い込まれ敗北の宣言となった。

 個々の力であればティルスの同班メンバー達と相手班の戦力差は大きいはずだった。当然彼らも生徒会長から金星を奪うチャンスだと最初は盛り上がっていたはずだが、どのような手を以てしてもその行動は全て封殺されてしまい、結果的には何もできずに完敗していた。


 この場所の地形が西部学園都市内の中でも特殊であるという事を差し引いてもティルスの采配は完璧であったと言える。

 このマキシマムが担当する区域は、他の区域よりも木々が生い茂っており西部学園内では数少ない視界に難のある場所である。西部では基本的に開けた視界の通る場所で力と力をぶつける戦い方で勝敗を決める事が主流である事が多く、あまりこうした場で戦う事に慣れていない生徒も多い。

 ここでの一番の注目株は今しがた模擬戦闘が終了した西部学園都市ディナカメオスの現会長のティルスの班であった。
 当然、他の班の者達もこの戦いには特に注目をしており、目の前で一瞬で詰んだ相手チームを見て他人ごとではないなといった険しい表情を浮かべていた。

「こんなところかしら」

 ティルスは地へ伏した相手の班の面々を一人ずつ確認していく。

「……」

 ティルスが臨戦態勢を解こうとした時、ビリリと一瞬身体が硬直する。

「なに!?」

 僅かな瞬間ではあるが自らの意識が身体に繋がっていないような感覚が走り抜けていく。
 とすぐさまマキシマムの大きな声が響き渡る。

「全員、一時、班戦闘訓練は中止だ! 状況を確認する」

 瞬間的に反応した姿にティルスは解こうとした気を引き締め直した。

「マキシマム先生」

「ティルスか、戦闘直後にすまんが他の生徒達の誘導を頼む。お前も気付いただろう? どうも妙な気配がある」

「先ほどの硬直、と何か関係が?」

「身体から一瞬力が抜けるような感覚があったな。反応を見るにおそらくこの場の全員に同じことが起きているはずだ……だが、それは上手く言えないがこの気配とは別のものだろう。とにかく異変が起きていることは確かだ」

 マキシマムはティルスにそう声を掛けた。何がとも言わずに彼女は自分の意図を汲み取るであろうと考えて目配せする。

「分かりました。この場はお任せください」

 ティルスはそう答え、すぐさま生徒達をまとめ始める。

「先生の指示で一旦この場を離れます。この区域の全生徒は私についてきなさい」

 マキシマムは険しい顔をしながらある方角に視線を向け、この場を離れようとした。

「マキシマム先生」
「なんだ、ティルス」
「あちらの方角の区域の担当の教師は?」
「おそらくはプーラートンか、もしくは隣のリオルグの担当区域の付近じゃろうな」

 ティルスにそう答えて初めてマキシマムの脳裏に開始前のリオルグの様子やプーラートンとのやり取りが浮かぶ。

「もしや、いやまさか、しかし」
「どうされました?」
「十分に気を付けろ」
「はい、わかりました」

 ティルスが返事をした直後、身体に大きく重さがかかるような空気が肌にまとわりついていく。
 周囲を見渡すと他の生徒達も突然の出来事にパニックになりかけていた。

「先生!? あれを!!」

 ティルスが叫び視線を向けた先にマキシマムも振り向く。この場のあらゆる場所に小さな黒いシミのようなものが浮き出ており、それは次第に数と大きさを増していく。

「何じゃあれは!!??」

 マキシマムが大きく叫ぶとその穴から何かの金属が擦れるような、悲鳴のような不快な音がギィイイイ、アアアアと鳴り響き、ボトリと何かを吐き出すようにして産み落とした。

 吐き出されたその塊はボコボコと徐々に変容し、動物を模したような形を成していく。その光景のおぞましさに周りの生徒達に瞬く間に混乱は拡がっていく。

「ウルフェンにドッヌ!?」

 ティルスはその塊が形を成した姿に見覚えがあり、動物の名前を挙げる。

「いや、通常どちらもこれほどのサイズの個体はおらんはず。異常な大きさじゃぞ」

 マキシマムとティルスが起きた状況を呑み込めずにいる間もそれはこの場所だけでなく周囲の生徒の付近にもそれら動物の姿を模した異形が次々に漆黒の穴から滴のように産み落とされ姿を現していく。
 人と同サイズほどのそれらは言い知れぬ恐怖感を生徒達へと与えていく。

 ほとんどの個体は通常いる動物達よりも一回りから二回りほど大きなサイズでその迫力は誰もが初めて感じるものだ。
 本来ウルフェンもドッヌも比較的愛玩動物として身近な存在で恐怖を感じる事はほとんどない。
 思いもよらない事態に戸惑っていると周囲の生徒達の悲鳴が上がり始める。

 しかもその数は10や20では最早きかず今もなお増え続けている。

 そこでようやくマキシマムはこの感覚に覚えがあることを思い出す。

「これは、あの日、グラノ殿と共に感じた気配に近い、、、まさか、、、これは」

 木々の生い茂る中では視界も悪い。突然の襲来に対処が取れず生徒達は混乱していく。ボトリと落ちた塊はよろよろと生まれたての動物たちのように徐々に起き上がり、地に足を付けて起き上がると近くの生徒を襲い始める。

「うわああああああ」
「きゃああああああ」
「たすけてぇええええ」

 周囲が途端に緊張状態へと変わる。その瞬間ティルスが大きな声を上げて自らの剣を籠手にキィンキィンと打ち鳴らして、走り出した。

「全員!!! 私の鳴らすこの音に向かって走ってついてきなさい!!」

 ティルスが張り上げた声に向けてこの場の全員が走り出す。

「マキシマム先生! ここはお任せください!! 先生は情報収集へ!!」

「いや、この状況下では流石にお前達から離れるわけにはいかん。この場を収めるのが先だ!!」

「では、このまま逃避ルートを私が先導します」

「よし、しんがりは任せておけ」

 こうしている間にも周囲の黒いシミは拡がっていき、ある程度の大きさになると雫のような、涙のような塊を吐き出し続けていた。

 ティルスは声を張り上げながら走り続けて周りの生徒達を集めていく。

 襲い来る怪物たちを捌きながら走り続けていく。その間にも生徒達は徐々に負傷し、速度を落とす者もいた。
 そして、その仲間を助けようとした者も襲い来る怪物の物量に飲まれていく。
 だが、今は残っている者達で走り抜けるしかない。ティルスは歯を食いしばりながら進む。
 丁度、この区域の茂みを少し抜けるかという小さく開けた場所に差し掛かった途中で走るティルスの身体に衝撃が走った。

「くっ、なに!?」

「ティルス様~!! 大丈夫ですか??」

 すぐさま近づいてきたのは生徒会のメンバーであるサブリナ。彼女も同じ区域での戦闘がある為この場にいた。あまり走るのは得意でない彼女は大きく息を乱しながらもティルスの元へと駆け寄る。

「私は大丈夫よ! 皆止まって!!」

 多くの生徒達の集団はティルスの後ろで止まっていく。その後方の集団からは絶えず悲鳴が上がる続けていた。

「くそっ、化け物!!」
「ち、武器がきかないぞ!?」
「いや、こないで、こないでぇええ」
「うわああああああ」

 混乱は既に決して小さくない規模になっている。ティルスも普段の冷静さを維持しようと必死に頭を動かす。こうした事態を誰が予想できただろうか。

「ぬうううううううんんん」

 後方で大きな声が聞こえたかと思うと爆発音のような音が鳴り響き土煙が空へと巻きあがる。おそらくマキシマムが後方の生徒達を助けているのだろう。
 その音でティルスは大きく息を吸い込んで吐き出す。

「すぅー、はぁー、、、サブリナ!!」
「ほいさー!!! 何ですか会長!!!」
「私のこの目の前の空間を全力で攻撃して!!」
「わっかりましたーーーーー!!!!! うんにゃろーーーーーーい!!!!!」

 サブリナは大きな雄たけびを上げて両手に持っている大きな金属の鎚を振りかぶりながら飛び掛かり全力で振り下ろした。
 先ほど走るティルスが弾かれた場所に鎚が触れると空間が波打つように揺れサブリナの鎚を弾き飛ばしその身体は宙へと吹き飛ばされた。

「お願い!! サブリナを受け止めて!!!!」

 ティルスが大きく声を張るとサブリナの落下点近くの生徒達が5、6人かかりでサブリナを受け止める。
衝撃で助けに入った生徒達ともども吹き飛ばされたが衝撃だけは散らせたようだ。

「……ふぅ、少しサブリナにはダイエットが必要ですわね、、、」

 ティルスは安堵しながら息を吸い直した。

「さて、冗談を言ってる場合ではないわ。サブリナの力でも崩せないなんて、これは見えない壁?」

 手で触れてみると異物感があり、そこから先へと行けないように行く手を阻んでいた。軽く手を添えながら移動したが、ずっとこの壁は続いているのだろうと予測する。

 そうしている間にも後方では徐々に激しい戦闘音と声が響いてくる。戦闘の規模はますます大きくなっている。
 これでは最早、学園内を二つに分けて行われる大規模な集団模擬戦闘(ギブング)の時と変わらない。そんな空気を纏い始めていた。

「ここから先にはいけない。かといってあの中を戻るのも悪手だわ。いったいこれは何?? あの怪物は何なの? 何が起きているの?」

 ティルスは周りの生徒に伝播しないように努めて冷静さを保とうとしたが、彼女も今の状況に対して判断するには情報が少なすぎている。

 自分がこんなにも予想外の事態に弱いのかと歯噛みする。これじゃ、昔と何も変わってない。どのような事が起きても対処ができる自分でいる為に、ここまで必死にやって来たというのに。

「落ち着いて」

 肩を叩き声を掛けられたティルスが真っすぐ振り向くと大きな紺色のリボンが目に入る。

「どこみてるのよ。下よ」

 視線を落とすとそこに居たのはショコリーだった。

「ショコリー・スウニャ?」
「もう一度言うわ。落ち着いて」
「私は落ち着いてるわ」
「呼吸が乱れているのは隠しても無駄、深呼吸してから話を聞きなさい」
「……すーっ、ふーっ」

 ティルスは深い呼吸をして自身を落ち着かせる。

「それでいいわ、ティルス。貴女、出来るだけ時間を稼ぎなさい。他の生徒達と力を合わせて」

「いきなり何を言うの貴女、今の状況が分かっているの? 一刻も早くこの場を離れるのが先決よ。情報のない相手と戦うなんてリスクは冒せない」

「死にたくなければ指示に従いなさい」

 ショコリーは瞬きもせず視線も逸らさずもう一度そう言った。

「……何か考えがあるのね?」

 ティルスはそう答えるとショコリーはそう答える事は分かっていたかのように指示を出した。

「時間がないから端的に言う。私の所にあいつらを近づけさせないで」

 まだ聞きたいことはあるがショコリーの表情がそれを許さなかった。自分だけが助かろうというような考えではない事は見て取れる。
 何をするのかは分からないが、今、この状況で自分が出来る事も今はほとんど思い浮かんでいない。
 時間を稼げばいいという事であるなら自らの力を考えれば不可能ではないとも言い切れる自信はあった。

 活路があるというなら、今はそうするしかない。

「……時間を稼げば、皆、助かるのね」

「全員は間に合わないかもしれないけど、どうにかしてみせるわ」

「わかったわ」

 そういうとティルスは後方へと駆け出して、再び声を掛ける。

「皆、私に力を貸してちょうだい!!」

「その一声で周りの生徒は雄たけびを上げる」

 それほどまでにティルスの存在は西部の歴代生徒会長の中でも飛びぬけていた。双爵家の令嬢という肩書もあるからだろうが、彼女ならどうにかしてくれる。何とか出来る。という生徒達からの信頼が歴代の誰よりも厚かった。

 遠く後方へと走っていくティルスの揺れる銀色の髪を見送った後、ショコリーは目を瞑った。

 手が僅かに震えている。その事実を自ら振り払うように手に持っている物体に力を込める

「……予想よりも早いわ。でも、どうして……く、まだ、私は……一度も、使えたことがないのに……でも、やるしかない。……ベルさま、お願い。あたしに力を貸して」


 一度瞑って祈るように呟いたあと、キッと目を見開いて杖の柄を引き抜いた。スラリと伸びる刃が杖から抜き放たれる。

 ショコリーは杖剣と呼ばれるその刃を真っすぐに地面へと突き立てた。


 続く

作 新野創
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