EP 02 星の詠唱(アリア)04
「いや……違う……」
「?……ソフィ……?」
心配している少女の声が聞こえないほどソフィは集中していた。
「名前……あの子の……確か……思い出せ……」
頭を抱えているソフィが心配になり、少女は反応がなくてもソフィの名前を呼び続けた。
「……ソフィ……ソフィ……大丈夫です……か?」
思い出の本。記憶の中の少女。それが目の前の少女の姿へと変わる。
少女は口を動かして何かをソフィに伝えようとしている。
しかし、その少女の声をソフィは聞くことなどできなかった。
何故、自分は思い出せないのか……何度も母親から聞いた物語を、自分が大好きなはずのあの少女の名前をーー。
だが、少しずつ名前を思い出せない理由が自分自身にあるのではないかとソフィは思い始めていた。
何らかの理由で忘れようとした記憶。
だが、今はその記憶を思い出さなければならない。
思い出に鍵を閉め、封印をするように巻きつけた記憶の鎖。
それらをゆっくりとほどいていく。
そうして、断片的に思い出される記憶の中で物語は徐々にその姿を見せていく。
主人公の王子様である男の子が何度もその女の子の名を呼んでいる。
そのシーンは覚えているのに、重要なところが思い出せない……。
「ソフィ」
苦悶の表情を浮かべたままのソフィに少女はゆっくりと近づき、ソフィの手をそっと取り、その目を見つめた。
ソフィの手と少女の手が重なり、僅かな暖かな温もりが肌を通して感じられる。
「っはっ!?」
視界が虹色に弾け飛び、明滅する。
その不思議な感覚は一瞬のようでも永遠のようでもあった。
様々な出来事が走馬灯のように一気に脳内を駆け巡る。
その一つ一つの場面がまるで絵本を見ているように小さなページに幾つも映し出された。
子供の頃の父親と母親との記憶。
自警団に入り、訓練をし、フィリアと出会った記憶。
団で過ごし、たくさんの人と出会った記憶。
そして、今、この場所にいて、少女と出会った記憶。
その記憶たちの中に混じって、ソフィの知らない記憶が紛れ込む。
そして、それを映しだしていた小さな場面が次々に消えていく。
自分の意思以外の何かの力が動いているように思えた。
そして、ソフィは最後に残った場面に目を奪われた。
瞳に映った、2人の人物は、全体が影となっていて顔すら見えなかった。
そして、そこから小さく自分の名を呼ぶ声が聞こえてきた。
『さようなら……ソフィ』
『うん……さよなら……』
『コニス』
コニス姫……星が大好きであった隣国のお姫様の名前。
その国の言葉で星を意味する名前……コニス……。
『あんたにはこれから辛く苦しい運命が待ち受けている』
聞いたことのない声がソフィの頭に響いた。
その事象に対してソフィがどうにかできるものでなく。
一方的に彼に言い聞かせているように思えた。
『でも、大丈夫。あんたは一人じゃない。仲間もいる。だから、きっと乗り越えられる。あんたたちにこれから降りかかる災厄もきっと』
何もわからずソフィはただその声を聞くことしかできなかった。
『あんたにあたしの力の一端を貸してやる。なーに、あたしは悪魔だけど、別に何も取りはしないさ。……そして、あんたが望めばそれより強い力も手にすることもできる。まぁ、そのためには代償が必要になるけどね』
『あなたは……いった、いーー』
ようやく絞り出せた言葉でソフィはその人物に問いかけた。
『いっしっしっ。あんたとはいずれ出会うことになる……だからそれまではーー』
パラパラと本のページが風に吹かれてめくられていくようにして消えていく。
声が消えると同時に、絵本のように見えた何かも消え、ソフィの意識は再び現実へと戻ってきた。
「……コニス……」
「コニス……」
ソフィは目の前の少女の瞳を見つめてぽつりと小さく言葉を零した。
目の前の少女はコニスという言葉を噛みしめるように呟く。
そして、それをきっかけに次々に忘れていた記憶がソフィの中に甦る。
昔、自警団に入る日の前夜にあの本を見つけていたことを。
大好きだった物語の事を思い出し懐かしくなり、その本を探した。
しかし、いくら探しても見つけることができず、いつの間にか昔母親と寝ていた部屋を訪れていた。
宝物はその部屋にあった。
思い返してみれば、いつも物語を読み聞かせてくれていたのはこの部屋だった。
成長してからは、物置のようになっていたこの場所を訪れたのは本当に久しぶりのことで懐かしさが込み上げる。
宝物と書いてある箱の中から、大切にしまわれていたその本【星の約束】を取り出し、ページを捲る。
本を読み始めるとソフィが子供のころ母親が読んでくれた物語は実は途中で、続きがあることをその時、初めて知った。
そして、【星の約束】という物語を読み進めるなかで、幼いソフィが思っていた物語とは徐々に違う印象を持ち始めていた。
ソフィの覚えている物語では、主人公の王子様と隣国のお姫様であるコニス姫が幸せに暮らすまでで終わっていた。
きっと母親は幼い僕の事を考えて、そこまでの物語で終わらせるように読み聞かせてくれていたのだろう。
しかし、物語はそこでは終わらず、その後、世界を終わらせようとする邪悪な存在が現れ、世界を自分のものにしてしまう。
その結果たくさんの犠牲者と悲しみが生まれ、笑顔溢れる幸せだった2人の住んでいた国は大きく変わっていってしまう。
やがて、その2人の国だけでなく世界中を悲しいものが溢れる世界へと邪悪な存在は変えていく。
世界の危機に瀕してコニス姫は、世界を救うために、2人の騎士と共にその邪悪な存在を自身と引き換えに不思議な力で倒すというようなお話であった。
騎士の1人はその代償に、愛する人に抱かれながら氷漬けになり。
もう1人は愛する人の目の前でその体を炎によって焼かれていた。
コニスという名のお姫様は不思議な力の代償として体が光となって消えていく。
物語はまだもう少し続くようだったが、ソフィはそこで読むのを止めてしまったのだった。
それはソフィにとってあまりにも衝撃的な展開であり、大きなショックを受けた。
そして、心にしまい込んでしまった。
今、読んだ物語は自分の中には存在してなどいない物語だと。
自分は決して読んでなどいないと。
【星の約束】は悲しい物語ではない、王子様とお姫様が幸せに暮らした素敵な物語だった。
そう、ソフィは自分に何度も何度も言い聞かせ、ショックを隠すように塗り潰したのだった。
今、自分が口にしたコニスという名前、それは意識的に忘れようとしていた名前。
「いや、そのーー」
握っていた手をゆっくりと離し、ソフィは少女から目を逸らした。
「ソフィ、コニス、とは何ですか?」
しかし、少女はソフィに近寄り、コニスについてソフィに尋ねた。
ソフィはもう星の約束の……コニスの話は……口にすらしたくはなかったのだが、目の前の少女の余りに純粋で、キラキラした瞳に重い口を開いた。
「コニスっていうのはね……昔、ボクが読んでいた大好きな本に出てきた、星が大好きな女の子の名前なんだ」
物語の続きさえ思い出さなければ、もしくはあの日続きを読んでさえいなければこれ以上ないほどに目の前の少女に相応しい名前だったのにとソフィは思った。
今は、そんな悲しいお話の女の子の名前をつけるのにはどうしても躊躇が生まれる。
「星……コニス……」
「あっ……あの……でもその名前はーー」
「コニス! とても気に入りました。ワタシ、コニスという名前がいいです」
目の前の少女はコニスに対して、初めて見る満面の笑みを浮かべた。
その笑顔は、星の約束の挿絵のお姫様に……いや、先ほどソフィの脳内に映ったあの想像とぴったりと重なった。
それは、ソフィの中で今まで見た何よりも輝いており、同時に自分の胸がキュッとなり、鼓動が早くなっていくのを感じた。
ただ、その悲しい運命を辿った人物の名前で少女を呼ぶという事には迷いが生じる。
可能であれば、もっと別の幸せな生き方をした人物の名前とかのほうがーー
「ダメですか?」
そう問われて、物語の彼女と目の前の彼女にはなんの関係もないということにハッとする。
自分が持つ印象など、目の前の少女にとってはまるで関係のない事だ。
コニスという名前は、悲しい結末を迎えた名前ではあるが、これ以上に目の前の少女にぴったりの名前がないとも思い始めていた。
目の前の彼女に出会えたこと、これは運命だったのかも知れない。
そんな運命の相手である少女がコニスという名前が気に入ったというのなら、それで構わないのではないだろうか。
これはあくまでも彼女が本当の名前を思い出すまでの仮の名前なのだから。
彼女はあの物語のお姫様ではない。まったくの別人である。
例え、名前が同じだとしても彼女が必ずしも悲しい運命になるわけではない。
そんなことは当たり前だ。
でも、もし、仮にそんな事になったとしたらーー。
その時は、自分がなんとかすればいい。
最後まで王子さまは必死だった。お姫様との別れの最後の瞬間まで。
邪悪な存在を消すために自らが光となって消え始めた彼女の手を王子さまは僅かに離してしまった。
もし、仮に、同じことになったとしても自分は目の前の少女の……コニスの手を決して離さない。
物語とは違う。現実。だから、大丈夫。
ソフィがあまりにも想像力が豊かで物語に没入しすぎるが故に起きているただの感傷。
こんなことは決して起こりはーー。
ふと、ソフィと優しく自分の名前を呼ぶフィリアの姿が頭をよぎった。
そうだ。あんなに、自分と一緒にいて強く優しかった憧れの人物であってもある日突然いなくなってしまうのだ。
それだけ現実というものは、いつ何が起きてもおかしくはないし、何が起こるかなんて誰にも分からない。
だから、何事も起こるつもりで、いなければならない。
ソフィは天蓋での出来事を通して、知ったのだ。
あの時、運よく助かっただけで瓦礫に飲まれた時、自分がこの場にはいない未来だってあったはずなのだから。
「ううん。ダメ、じゃないよ。コニスが気に言ったのなら、君が本当の名前を思い出すまで僕は君をそう呼ぶことにするよ」
「はい!」
そう言ったコニスはとても嬉しそうにソフィに笑いかけた。
その笑顔を見て、ソフィは改めてこの笑顔を守りたいと強く想い、今度こそ何があってもこの笑顔を見せると誓った。
それが守ることができなかったフィリアへの償いであると同時に空っぽだったソフィの中に新しく守りたい存在が生まれた瞬間でもあった。
「それじゃ、改めてよろしくね。コニス」
ソフィはそう言って、コニスへと右手を差し出した。
「はい。ソフィ」
そう言って、コニスはソフィの手を固く握り締めて微笑んだ。
つづく
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