166 雪原の異常気象
遠征宿舎での交流数日の後、東西の学園の生徒達は分かれて出発した。それぞれが与えられている最後の任務へと向かっての別れとなる。
次に会う時は来年のイウェスト。
お互いに再び競い合う敵同士となる。
それが分かっていたとしても、想像していたとしてもこれまでの歴史と大きく何かが変えられるわけではない。
ただ、これまで騎士を目指す方法だった当たり前の事に違和感を生じる者達が増えたことは間違いなかった。その中には東部生徒会長エナリア・ミルキーノも含まれている。
数日という小さな交流は小さな渦の種を蒔くようにそれぞれの心の中でこれまでの自分達を巻き込み始めていくのだった。
宿舎を東部よりも早く出発したヒボンが率いる西部の生徒達はフォゴトン雪原の限界到達地点へのアタックが最後の任務ということだったが、途中のシーラ丘陵を越えた付近で目の前の光景を見て戸惑いの中に落とされる。
「吹雪が、吹いてない!? 事前に調べた限りだとこの地域は晴れる事がないはずでは」
広大なフェリオン領の最も北部にあって年中吹雪が吹き続けている雪原地域において、目の前に広がっている青空を見上げられる気象状況となる日は記録上ではない。
吹雪を越えるために用意してきた装備の数々が必要ないほどの好天候となっており、全員の顔に戸惑いの色が見える。
本来であれば完全な防寒対策をした上で安全に最大限配慮して調査すべき区域だ。専門の研究者たちでさえも念入りな準備をしてから調査に望むような場所の目の前の変化に対して、生徒達がこうなってしまうのも仕方がない。
現在彼らがシーラ丘陵から遥か先に目を凝らすと遠くには現在の到達限界点の目印となる旗が小さいながら見えるほどだ。
以前あの旗を立てたのは当時学園の生徒であったアレクサンドロだという記録が残されている。
ということはかなりの年数、あの到達地点は更新をされてきていないということになる。
「これは千載一遇のチャンスか?」
ヒボンは丘陵に構えたキャンプ地で一人、その判断を決めかねていた。このままアタックを開始すればもしかしたらこれまで到達限界とされていた地点を越える事はそこまで難しくはないかもしれない。
あの場所から更に先に何があるのかは誰にも分からないとされている。研究者も調査で深部まで向かうような命知らずなどいないからだ。
冒険心のある学園の生徒達だからこそ、こうした冒険、挑戦要素の強い任務を与えられている。それはある種、今後に騎士となる者達の国への忠誠心を試す機会であるとも捉えられる。
騎士を目指す者は誰もが何かしらの名声、自己承認を求めてしまうものだ。学園の歴史に自分の名を残す事が出来るなんてそうそうあることではない。
しかし、もしも途中で天候が急変したらどうするのか? ヒボンにはこの地域でのトラブル対処の知識が乏しい。
知識で以て最大限の成果を求めるヒボンにとって未知の状況下においての行動というのはどうしても苦手な節がある。
ましてや今回はこの地域への遠征を共にしているウェルジアやリリアをはじめとする他の全員の命を預かる立場でもある。代表者代行であるヒボンが判断を誤るという事はこの場にいる全員の死を意味する事になる。
直前に東部の生徒との交流戦で全敗という結果も全ては情報不足によるものだ。あれが模擬戦でなく突発的に起きた実際の戦闘であったならフェリシア、ヒボン、ウェルジアは命を落としていた。
だからこそ改めて彼は自身のその弱みを自覚している。
難しい顔をするその背中へとバシバシ強烈な平手が見舞われた。
「いったッ」
「おい、ヒボン、こりゃ行くっきゃねぇぞ」
隣で雪原を見つめていたフェリシアがそう意見した。
「僕もそうは思うんだけど、雪原の天候の変化が僕には読めないからなぁ」
「山と違ってそうそう急には変わらねぇはずさ。雪さえなけりゃ本来ただの平原だ。この先の雪原に雲がかかってねぇ状況なんか今後あるとも限らねえ、あーしらが歴史を塗り替えるチャンスだ」
フェリシアの意見に対してヒボンもそれは思っていた事で確かにと頷いた。
「あーしが生まれてから学園にいくまで、この雪原からそう遠くない場所に住んでいたが、ここまで晴れている事なんて聞いたことがねぇんだ」
「もしかしてフェリシアさんはこの辺りの出身?」
「ああ。だからこそさっさと行くべきだとあーしは思うぜ」
土地勘のないヒボンに地元出身のフェリシアの意見はありがたい、この天候が崩れる前に到達地点を更新して無理せず戻ればいい。ヒボンはそう判断した。
「よし、なら異変があればすぐ引き返そう」
しかし、この判断が間違いだったとヒボンは後悔する事になる。
限界到達地点をあっさりと塗り替えた彼らは、そこに新たな西部の旗を立て歓喜に沸いた。これは歴史的快挙だ。
当時のアレクサンドロたちが打ち立てた歴史はこの年にあまりにもすんなりと更新される。まるでそれが必然であったかのように。
しかし、その歓喜に沸く到着も束の間、彼らは岐路に着こうとしたタイミングで突然急変した天候による猛烈な吹雪に見舞われ、方角を見失ってしまい近くに見つけた洞窟へとなだれ込んでいた。
今自分たちがいる到達地点は未踏の地。誰も知らない洞窟。
「僕のせいだ」
「おまえだけのせいじゃねぇ」
「みんな、ごめん」
「まだ何も終わっちゃいねぇ謝んな」
フェリシアは落ち込むヒボンの肩をバシバシ叩いて励ます。
このままでは到達地点の更新報告が出来ないまま、全滅というのもあり得るかもしれない。
偶然にも発見し逃げ込んだその洞窟の中は幸い広く、全員がその中へと避難できているのは幸いだった。
行きの工程がスムーズだったこともあり、今ならまだ物資も潤沢だ。ここまで順調だった事で、管理配分さえ間違えなければすぐに困るようなことはないだろう。
しかし、この地域の天候が全員の不安を駆り立てていた。行きと同じような天候に戻ってくれる事はおそらくないだろう。
「吹雪が止む気配はないね」
「むしろこの地域ならこれくらいは普通だ。まだ酷い時ほどじゃない」
「フェリシアさんが居てくれて助かってるよ。僕一人じゃパニックになってたはずさ」
「この状況を招いたのはあーしの意見の責任もある。気にすんな」
状況が膠着したまま数日が過ぎた辺りで、徐々に生徒達に疲労の色が見え始める。そんな中で自体は悪化の一途を辿る。
洞窟の中にリリアの声が響き渡る。
「ヒボン先輩っ!大変です!」
「リリアさん?」
「一部の生徒が食料物資を持って外に飛び出して行ってしまいました。その、止めたんですけど聞いてくれなくて」
「なんだって!?」
「結構、物資も持っていかれちゃったみたいです」
痺れを切らした生徒達の一部が勝手な行動を取り始めていた。求心力の乏しいヒボンがリーダーということもあり、この極限下で冷静な判断が出来ない者が現れ出した。
食料をなども過剰に持ち出してしまったようで生存のための計画が大きく狂い出す。
「くそ」
彼らを追いかけるように入り口に向かおうと駆け出すヒボンの腕をフェリシアが掴む。
「落ち着けヒボン。お前が外に行ってどうする!!」
「しかし、このままでは」
「出ていった奴の事は諦めろ。無計画にこの吹雪の中に飛び出した。死ぬのも覚悟の上だろ。運が良ければ雪原を抜けて戻り助けを呼んでくれる可能性だって僅かかもしれないがある」
慣れない遠征リーダーという立ち位置で冷静さを欠いていたヒボンはフェリシアの言葉に落ち着きを取り戻していく。
「すみません、フェリシアさん」
「この状況じゃ身勝手な奴から死ぬ。責任者代行であるお前の指示に従わないならそれも仕方ない事だ。自己責任に手を差し伸べる必要はねぇ」
「しかし、このままでは洞窟内にいるみんなの食料が先に底をついてしまいます」
「だから落ち着けって、こうして体力があるうちならまだ何とか手はある」
フェリシアはニカっと笑いながらヒボンの背をまたバシバシと叩く。
「本当ですか? 何か方法が?」
「ああ、洞窟の奥を調査しに行く」
「え?」
フェリシアの言う何とかなるは何とかならないのではとヒボンは唖然とする。これまでの限界到達地点よりも先にある未知の洞窟でマッピングもされていない。
つまり情報はゼロ。どのような危険があるかも分からない。
「それは流石にかなりの危険では?」
「だからあーしと同じでこの場でジッとしてられないって血の気の多いやつらだけでいけばいい。人数も最小限でいいだろう」
「でも、調査と言っても」
「そうだな、水源でも見つかれば最高だが。時間が経てば経つほど探索に費やすやつらの体力もなくなる、食料がまだある今のうちにやるしかない」
フェリシアの意見は最もだ。勝手な行動をした生徒達が食料を必要以上に持ち出したのであれば残りの量も確認しなければならないが、あとどのくらいの日にち持つのか分からない。場合によってはかなり急を要する可能性もある。
「先生達が吹雪が再開した事で異変に気付き、何か対策をしてくれているならこのまま待つ方がいい可能性も、ないですかね」
「本当に動いてくれてればな。基本的に遠征のアレコレに先生達は手を出せない事になっている。それがトラブルであってもだ。お前も知っているだろう」
「それはそうですが、とはいえ流石に緊急時には動くでしょう?」
「そもそも雪原じゃ吹雪は緊急ではなく、あくまでも本来あるべき状態に戻ったというだけだ。その線に期待するのはやめておいたほうがいい」
フェリシアの言う事は最もだった。運よく自分達が行きだけ楽が出来ただけであって、本来であればこの吹雪の中を進んでいくはずだった。片道とはいえ体力も温存できているこの状況は寧ろ喜ぶべきことかもしれないとヒボンは考えた。
「だとすれば、他に出来る事は助けが来た際に見つけられる確率を上げてお
くことだけですね」
ヒボンも冷静に自分が出来そうな事はないか思考を巡らせた。時間との戦いになる事は明白だった。長引けば長引くほどに生存の可能性は消えていく。
「そうだな、入り口付近でヒボン、お前を含めて動くのが苦手なやつらは助けが近くに来た時にすぐに見つけられるような準備をしながら待機、あーしら退屈が嫌いな奴らや動ける生徒で洞窟内の調査」
フェリシアのニカっとした笑顔に励まされる。しかし、これほどの危機的状況でありながらなぜ彼女はこうも余裕でいられるのだろうか。北方の出身だとしてもそれだけでは説明がつかない気もしている。
「そこまで言うからには何か探索に勝算があるんですか?」
「ああ、流石に安全に暮らせる地域の洞窟とは勝手が違うかもしれないが、大体この地域の洞窟には地下に水源があるもんなんだ。それを一番見つけたい所だね。運が良ければ食料のアテもある」
「食料? こんな所に?」
「あるんだよ、普通は選択肢にいれねぇだろうがあーしも学園に入る前の生活では世話になった食料だ」
若干気になる物言いではあったが、今は少しでも時間が惜しい。すぐさま行動に移す必要があるとヒボンは納得する。
「分かりました。どのみちこのままでは埒があきませんから、お任せしても?」
「ああ、任せておけ。ただある程度身軽で体力あって動ける奴らが必要だ」「分かった。その人たちには僕から話すよ」
こうして、これまでの限界到達地点から先の未知なる地にて遭難してしまったヒボン達は洞窟の中で生存するために次の行動を選択する事になった。
つづく
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