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いきいきとした世界


写真のセオリーから外れていても

先日の小学生に向けたオンライン写真講座(*)では、プロ写真家の講師も驚く秀逸な作品と出会った。

*詳しい内容はこちら        https://www.kodomotime.com/post/new-photographic-generation
テーマ:「楽しい場所と怖い場所」                  撮影カメラ機種:お母さんのスマートフォン                    撮影者:小学3年生の女の子

怖い場所③

この女の子は、「楽しい場所」としては叔母さんに家の近くにある回転寿司のお店でいろいろ撮影してくれた。お皿を回収するボックス(何枚か入れるとガチャが出てくる)、お寿司がレールに連なっている様子、ママが好きなネタをアップで撮るなどバリエーションを変えて撮影してくれた。

反対に、怖い場所は、バレエ教室の帰り道。街灯が少なく暗い道、前を歩く友達にストーリーをつけて何枚か撮影した。一人で帰っているイメージで友達が暗くて怖い、と感じていそうなシーンを想像してシャッターをきったそう。

講師は彼女が撮った何枚かの怖い場所の写真の中で上記の写真を絶賛した。

「下の闇、暗いところがより怖さを引き立ててる。余白、夜黒というか。女の子の大きさも小さくて、下の黒いところに何か潜んでいるんじゃないか、女の子が怖いものを感じながら早歩きになっているのかなとか、想像をかき立てる。偶然だと思うけど画面も曲がっているし。これはかなりいいですね。」

いわゆる写真のセオリーでは、ブレ・画面の曲がり・下に余白が空きすぎているのはよくないとされる。でも、今回みたいにネガティブなテーマで撮っている時には、逆にセオリーがから外れた撮り方がいい作品を生み出したりする。


自分だけの感性を追求して

撮影者の女の子は講師に褒められてもポカンとしていたし、今回の写真はたまたま撮影出来ちゃったのかもしれない。でも、彼女自身の視点として、被写体と被写体を取り巻く様々な情報を編集しながらシャッターを押したのだから、この写真は彼女にしか撮れない彼女だけの作品なんだと思う。

写真に答えはない。上記の作品も、別の第一線で活躍しているカメラマンに見せたら今回とは違ったコメントが返ってくるかもしれない。誰かがいいと思ったものも、他の誰かはそうは思わないかもしれない。そうした様々な人の視点から、多様性が生まれることがアートの良さであり、そうした多種多様な意見にさらされながら作品の中で変わらない本質こそが、作者・アーティストの本当に表現したいものなんだろう。

みんな、自分だけの見方や視点を探している。人のそれに直面して、何度も自分の見方や感性はこれでいいのか疑うし、様々な人の批評にさらされてグワングワン揺さぶられる。それでも、自分自身の欲求や思いを突き詰めて、本当に撮りたいもの、表現したいものを追求する。写真の世界は本当に、正解がない世界だ。

だからこそ難しいし、自由だし、何度でもやり直しがきく。

と、偉そうなことを言っているが、私自身も今自身の事業について、様々な意見にさらされ、揺れている。とある起業プログラムに参加しているが、1回目プレゼンをしたとき、「思いが先行して具体性に欠ける」と指摘されたから、2回目のプレゼンで修正したら「思いが欠けて理屈っぽくなってる」と1人のメンターから言われた。

その時々感じたことをこの人は言っていたらいいのかもしれないけど、私自身はつらい原体験もありつつ事業計画を何度も練り直し、起業して少しずつ実績をつくっている。まだいろんな問題はあるけど、プレゼンの1つ1つの言葉には起業家の大事な思いが詰まっているのにな、なんでそんな言い方するかなと思った。

でももう1人のメンターに、「きっとあなたには憤りを感じていることがあるんだよね。何かを変えたいって思っていることが。それを素直に書けば良いよ。」と言われてガツンときた。

私のここに至るまでの強い思い、起業を通じて実現したい世界感、私が実現できたらいいなと思っていることが実現できたら世界や社会はどう変わるのか。とにかく、自分の欲求や思いにとことん向き合い、私だけの見方を追求していく。誰の意見も関係ない。それを貫いて、その過程で、また揺さぶられて、また原点に戻っての繰り返し。そうして、自分だけのものの見方、感性を見つけ、磨いていく。

その部分を大切にして進んでいれば、後ろにきっと道は出来ているだろうし、仲間もできているかもしれない。写真も同じだなと思う。

撮って、プロに見てもらってこき落とされて、また撮って、また別の人に見てもらってボロかすに言われ、また撮って。そうして、本当に自分が表現したいことを追求していく。その過程で、自分だけの感性が養われていくし見えなかった自分の「らしさ」が見えてくる。それが、誰にも真似出来ない個性であり、その人だけの世界観・その人だけが見えている世界なんだろうな。それを他者も見てみたい、追体験したいと思われることが、共感を得るってことなんだろうな。


対概念から見えるもの

今回の課題は「楽しい場所と怖い場所」という対概念を撮影するものだった。この対概念っていう切り口、写真表現の世界ではとても有効で、子どもたちが写真の面白さを理解する手法としてはいいんじゃないかと思う。

自分の怖いと楽しいを見ると、好きと嫌いを見ると、人は自分自身の世界の見方を知る。ネガティブなテーマと向き合うのは怖いけど、それと向き合うと、より世界の輝きや美しさ、自分がいかに世界をいきいきと見ているのかを実感する。

好きだけを撮るのではなく、その裏側・対極にあるものも撮ってみる。すると、撮りたい・表現したい「好き」のことがよくわかったりする。自分が人に伝えたい「好き」ってどんなものだろう。自分は自分の「好き」をどんな風に発信したいんだろう。「好き」って感情は何色だろう。「好き」なものや人に触れるとどんな気持ちになるだろう。

自分を深掘りすることで見えてくる何か。そこで気づく何か。まだ気づかない何か。全てを見通せていなくても、見えていなくても、きっと本質・核心に近づければ、あなたにしか出来ない表現に近づくんじゃないだろうか。

子ども✖️写真

写真教育は、子どもたちの想像力を養い、情報編集を学び、自分だけの感性・ものの見方を磨ける。

素晴らしいなと私は核心しているので、続けて少しずつ広げていきたい。

今日はここまで。

つづく。


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