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世界一の幸せ

「わたしは、世界一幸せなひいおばあさんです。」って、細い目でゆっくりと孫嫁に語る、その笑顔を見て、何だか泣きそうになった。

 私のひいばあちゃんは、物心ついた時から変だった。
小学生の私から見ると、ちょっと怖かったんだ。奥の部屋で一人過ごし、時々ぬらっと現れては、一緒に住んでいたおばあちゃんの所に近寄っていく。おばあちゃんは、怖いくらい大きい声で「ごはんはもう食べた!」と言って自分の部屋にかえしていた。佇む私に、おばあちゃんは「耳がつんぼだから、聞こえんのだわ。」と教えてくれた。
 また、ある時はひいばあちゃんが、突然お茶碗に500円玉を入れて現れ、(ひ孫と認識されているのかあやしい)私に、その500円玉をくれようとする。何も言わずに、近くに寄ってくるので、正直怖かった。おばあちゃんから「もらってやれ。」といわれ、おずおずともらった記憶が残っている。
 今思えば、あれはおそらく認知症だったんだろう。ひいおばあちゃんとおばあちゃんとのやり取りが、独特だったからよく覚えている。

 おばあちゃんの家は、照明も暗くて、トイレはポットン便所。しかも、トイレに行くたびに、そのひいばあちゃんの部屋の前を通らないと行けなかった。だから、小学生の私は必死だった。暗いし、寒いし、怖いし。
「何で、一緒に住んでいるんだろう?」
その時、子ども心に疑問を抱いてしまった。

 私とおばあちゃんとの思い出は、そんなにないし、怖いイメージしかなかったから、結婚して新しいおばあちゃんと出会う時はドキドキした。でも、とっても上品な人で安心した。むしろ、うちとの違いに驚いた。このおばあさん、親族の孫たちみんなに毎年誕生日メールを送っている。すごく温かい。こんなにも雰囲気が違うものなのか。
 自分が結婚すると、やっと親族というものや家族のあれこれが見えてくるようになった。
 ある時、母に「どうしてひいばあちゃんとばあちゃんは一緒に住んでいるの?」と聞いたことがあった。すると、母は教えてくれた。
「あぁ、ひいばあちゃんは戦争で夫を亡くしているからお金が入るんだよ」と。そこで初めて戦争を身近に感じたんだ。平和だと思っていたけど、何かが、まだ続いている。世の中には、<戦傷病者及び戦没者遺族への援護>という給付金があった。こうして、身近な人の話を聞くまで、そんな存在知らなかった。そこから、みんなの歩んできた道に興味がわく。怖かったひいおばあちゃんにも、面倒を見ていたおばあちゃんにも、それぞれ人生のストーリーがあったんだ。今はもう亡くなってしまったけれど。

 この前、旦那さんのおばあちゃんからも戦争中の話を聞いた。
「昔ね満州で洋裁の仕事をしていたの。その頃は、三菱とか大きい会社があっちに工場をもっていてね。若い女の人はそこに沢山いたの。足踏みミシンを使ってね。でも、戦争で負けてね、仕事がなくなって。日本に帰ってきたんだけど。その時は家に電気が通ってないからね、びっくりした。電気を通すのが高くてね~電線を引っ張るのにお金がかかる。結婚して、名古屋にきてからは、戦後の焼け野原で本当に何もなくて。何とか残っていた長屋に入った。あの頃はみんな勝手に家の中を持ってちゃう時だったからね、長屋に入っても床がなくて、水回りは共同でね、全部1からおじいさんとつくっていったんだよ。」
 おばあさんは、おじいさんが亡くなった今もその家に住んでいる。
 その家にはいろいろな思い出が詰まっているようで、伊勢湾台風の日のことも教えてくれた。
 「あの台風の時は、弥冨の方は90日間も川の水が引かなかったそうだよ。うちは、ちょうどおじいさんが仕事で出かけていてね、家には子どもたち3人と私とでね、夜に台風がきたんだよ。窓から水が入ってくると大変だからね、みんなで畳を上げて窓を抑えてね。でも、一番下の子がまだ小さいからね、怖い怖いって私にしがみついていたんだわ。」と。

 まず、満州!って驚いたし、時代的にいろいろ大変だったんだなって感じて、正直何を返していいのかわからず、言葉に詰まってしまった。伊勢湾台風も保育短大の時に、それを経験した先生の話を聞いたことはあったけど、まさか、じぶんの夫のおばあさんから話が聞けるとは思わず、何だか過去にタイムスリップしたような気がした。
 今の私は、家もあるし、育ってきた環境はそれなりに大変だったけど、さすがに戦後の焼け野原で、床がない家なんて見たこともない。死に物狂いで命を守るという経験はないだけに、おばあさんの言葉の重みがすごかった。
 無知な私が、子どもを産み、いろいろな人の人生の片鱗を知っていく中で、感受性が大きくなったのもあると思う。

 旦那さんの実家に、お義父さん、お義母さん、おばあさん、旦那さん、私、うちの子ども2人と計7人が集まり、食卓を囲む。
何気ない普通の食事中に、隣に座っていた90歳のおばあさんが言った。
「ひ孫に囲まれて、わたしは世界一幸せなおばあさんです。」とにっこり笑って発したその一言が、私には衝撃的で、いろいろな重みを含んでいて…
何だか泣きそうになった。
おばあさんのその言葉は、本心100%だったからこそ、伝わってきた。
うん、こういうセリフが言えるように、私も素敵なおばあさんになりたいなって、そう思わせてくれた。

 お金持ちになるとか、モノを沢山持っているとかじゃなくて、
こうして、平和に笑って暮らせる日常こそが幸せの源なんだなって、気づかせてくれた出来事。
 これを読んでくれたあなたに、今は響かなくても、何かのきっかけで、こういう深い重みのある言葉を、誰かからプレゼントされる日がくると思う。
 その時のあなたが、何だか泣きそうになったのなら、その感動を一緒に味わえる。誰かが本気で思っている幸せの感覚に触れると、こちらまで幸せになれる。そういう幸せの伝染力って本当にすごかった。うん、すごかった。

 きっとだから私は、今、我が子に「おかえり」って言ってあげられる生活に喜びを感じているのかもな。そう思った。何気ない日常を大事にしよう。





 
 



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