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00|「こだまのかけあいっこ」の連載をはじめます

「日本は揺れる筏のようなものである」という言葉を京都芸術大学の竹村真一氏から借り受ける。各地で起きる「災害」は、本当に自然だけが原因の災害なのだろうかというのが大きな問いとなる。これまで、先人の知恵を受け継ぎながら、揺れと共に生きてきたわたしたち。

一方で、社会が叫ぶ「一日でも早い復興を」という大きな物語の名のもとに、置き去りにされた、悩み、葛藤、小さな感動、トラブル、傷つき、脆弱な身体、捨てられないもの………。

震災という現象を通じて、物理的な揺れだけではなく、人々の感情の揺れ合いが起こる。見過ごしてしまうような言葉や視点を、ただ、みんなで聞き合おう。

ここでは、誰もが、聞き合い、書き合うことができる。みんなの声がちいさく、たしかに、こだまする。

東詩歩


これは、きっと郵便ではない。明確な相手や宛先などないし、知りようもないからだ。
これは、きっと贈り物ではない。形ある、価値のあるものを作るのって意外と難しい。

これは、きっとこだまだと思う。呼びかけたら、何かにぶつかって、耳をすませば跳ね返って聴こえてくるような。

わたしたちはすれちがう。他愛もなく、途方もなく、何度も、何度も。そんなこだまは、忘れてしまうのだろうか。

そのこだまは、きっといつか誰かの傷だと気づく。出会う前のそれを、そっと見せてくれたから。

思い返せば、おそらくそれを意図せずゆずりうけてしまったこともある。それに対して、反芻や葛藤をまわす自らの頭はずっと忙しく、でも心はずっと絶え間なく叫んでいる。この叫びや想いをゆずりわたそうとする。こんな気持ちや身体、言葉でもいいのかと。それでいいのだと肩を叩いて互いに笑い合う。何か許されたような、引き受けた覚悟や尊厳をつないでいくような時間のなかで、そうして、そっとかえす。

これが今のわたし(たち)なりのコール&レスポンス&コール…のリレーなのだと思う。いつ、どこの、誰かに向けたかもわからないちいさなこだまをのせて、その耳に、目に、背中に向けて声が泳ぐ。

おーい。


何だよ、そこにいるなら、かけあおうぜ。別に君に呼んだつもりはないけれども。

土田亮

こだまのかけあいっこについて
わたしたちがこの企画を立ち上げたのは、何か中心で大きな動きや声ばかりに耳目が集まり、その周辺に取り残されたり、手伝ったり、かき消されかけたり、疲れてしまったりしたことにあります。そして、小さな声とその声の主にただ向き合うこと、聞くこと、書くことの重要性を改めて共有しました。

この、「こだまのかけあいっこ」は、さまざまな役割、立場、向き合い方などから「震災」というキーワードをたよりに集まった人たちが、それぞれの小さな声を書き残し、つないでいく連載企画です。
みなさんがこの小さな声、こだま、人に応答し、そこにひたむきにかけあえる場になり、集まる人たちが安心して自らの存在や生をひらくことができたのなら、この上ない喜びです。


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