こだまのかけあいっこ

「こだまのかけあいっこ」は、さまざまな役割、立場、向き合い方などから「震災」というキー…

こだまのかけあいっこ

「こだまのかけあいっこ」は、さまざまな役割、立場、向き合い方などから「震災」というキーワードをたよりに集まった人たちが、それぞれの小さな声を書き残し、つないでいく連載企画です。

最近の記事

03|わたしのこだま

つっちー、誕生日おめでとう。 私は、”つっちー”こと、土田さんと会ったこともなければ、どんな活動をしているかも知らなかったけれど、このバトンが回ってきた時、誕生日に前回の文章を書いていたことを知りました。 悩みながら、言葉にしてくれて、ありがとう。 そして、誕生日おめでとう。 誕生日というものから、私の中の想いがこだまする。 あなたにとって、誕生日は、どんなものですか? おめでたい日、かけがえのない時間を思い出す人もいれば、甘酸っぱいものや、ほろ苦い思い出を感じる人

    • 02|内側のこだまが、にじみでるとき

      この連載の第1回目で詩歩さんが、自身も揺れながら、それでも、人や場所のあらゆる揺れについて書いていくことの難しさと現実について考えて書いてくれた。本当に玉稿だと思う。ぜひ読んでください。感想もお寄せください。 あと、こだまのかけあいっこを立ち上げる前に書いていた個人的なnoteも関連するのでよかったらぜひ この揺れやこだまにどうやってかけあいっこしようか。なんだか、小さな聞くことと書くことの運動のひとつなのに、詩歩さんとともに立ち上げたメンバーのひとりなのに/だからこそ、

      • 01|揺れと共に生きる

        "Living with Shaking" (揺れと共に生きる)と題して、修士論文のチャプターを書き進めている。地震の揺れは、人々の感情的な揺れを巻き起こす。そして、それを研究する「わたし」自身も深く動揺する。 研究者というのは、決して、客観的で中立でドライな人物だけを指すのではない。人間である以上、対象となるフィールドから影響を受けることは、人類学者マリノフスキー(1989)の残した『マリノフスキー日記』からも読み取ることができる。 フィールドに立ち、傍に佇んで、話を聞

        • 00|「こだまのかけあいっこ」の連載をはじめます

          「日本は揺れる筏のようなものである」という言葉を京都芸術大学の竹村真一氏から借り受ける。各地で起きる「災害」は、本当に自然だけが原因の災害なのだろうかというのが大きな問いとなる。これまで、先人の知恵を受け継ぎながら、揺れと共に生きてきたわたしたち。 一方で、社会が叫ぶ「一日でも早い復興を」という大きな物語の名のもとに、置き去りにされた、悩み、葛藤、小さな感動、トラブル、傷つき、脆弱な身体、捨てられないもの………。 震災という現象を通じて、物理的な揺れだけではなく、人々の感

        03|わたしのこだま