そうだ、公認会計士になろう②

そうだ、公認会計士になろう①の続きです。

◆講座が始まった

2012年の12月1日に第1回目の講座の授業が始まりました。
教室に入ってまずびっくりしたのが受講人数の多さ。50人ぐらいいたと思います(結局最後までやり抜いたのはそのうち10人にも満たなかったですが)。

この試験がなぜ難関国家試験と位置付けられているか、私は以下3点が要因だと思います。

① ボリュームがあること
② 複数の特性の異なる科目を同時並行で勉強しないといけないということ
③ 母集団のレベルが高いこと

①まず、この試験はボリュームがあります。試験自体も短答式試験と呼ばれるマークシート試験及び論文式試験と呼ばれる記述試験の2段構えで、短答式試験は4科目(企業法、監査論、管理会計論、財務会計論)・論文式試験は6科目(監査論、租税法、会計学Ⅰ、会計学Ⅱ、企業法、選択科目)の受験を強いられます。
特に財務会計論の分野に至っては、計算、理論の教科書だけで2,000ページぐらいあります(すべて覚えるわけではないですが)。
従って講義数もべらぼうに多く、講座が始まってからはこの財務会計論と管理会計論の授業ばかりです。ほぼ毎日ありますので、まず講義を消化しきれずに脱落していく人が多いです。

②論文式試験に合格するためには、6科目を1度である程度のレベル(偏差値52)まで引き上げないといけないです。学習する科目もどんどん増えていきます。偏差値52をすべての科目で超える必要はないですが、偏差値40未満の科目が1つでもあれば不合格です。従ってこの試験は6科目を一定程度のレベルに維持しながら忘却と戦わなければいけません。
一定程度のレベルを維持し続けるにはやはり継続して学習する必要があり、かつ苦手科目を作ってしまうと合格が難しくなりますので、そこの継続が難しい人は脱落していきます。
そもそも論文式試験の前の短答式試験もかなり難しい(私は3度受験し、3度目で合格しました)ので、6科目を学ぶ前に脱落していく人も多いです。

③Twitterでもよく見かけますが、この業界は基本的に頭がいい人が多いです。加えて継続して努力する人も多いので、母集団のレベルが非常に高いです。1年コースでさらっと合格する人もいますし。特に論文式試験では偏差値52以上の成績を取ることが重要なので、母集団のレベルが高いということはそれだけ難易度が上がるということです。私は1回の受験で何とか合格しましたが、不合格でも何らおかしくなかったと思います(たまに論文落ちた夢見ますもん)。

話が横道にそれましたが、12月からは月曜日~金曜日まで基本的に18:00~21:00までは授業で、終わるのが21:00頃でした。最初は確認テストや入門答練といった優しめの答練ばかりで、順調に学習が進んでいれば点数を取るのはそこまで難しくありませんでした。

◆苦しい

新しく学ぶことばかりで講義自体は楽しく、毎日勉強を続けていました。
最初は4時頃に起きて22時頃まで1人で勉強するスタイルをしばらく続けていました。が、それも長くは続きませんでした。
1日中机に向かっていたこと、仲の良い先輩が卒業し、話す人が少なくなったこと、仲の良い友人も辞めてしまったことで精神的に不安定になりました。
これは人それぞれ違うと思いますが、私は勉強をずっと続けることはできません。人と話して基準や論点について議論しあう時間がないと発狂してしまいます。
受験勉強は中学受験以来でしたし、こんなにボリュームが多い試験を受験するのは初めてで、友人を作らずに勉強することがこんなに辛いのかと身にしみて感じました。その時、自習室を掃除してくれていた掃除のおばちゃんに非常にお世話になっており、その方を通じて何とか話すことが出来る友人を作ることが出来ました。

また、この時期から理論科目(企業法と監査論)の授業も始まり、科目数が増えだすと同時にステップ答練(当時は応用論点ばかり出てきてめっちゃ難しかった)も始まったため、本当に苦しかったです。入門答練では高得点を取ってましたが、ステップ答練では30点・40点ぐらいしか取れませんでした。成績上位者に名前が載らない日々が続き、この時期は本当にきつく苦しかったです。

夏休みもほとんど毎日授業があり、時には丸一日講義という日もありました。「他の学生が遊んでる中、何やってるんやろ~」と思う日は何度もありましたが、絶対会計士になりたかったので辞めようという気には全くならなかったです。

こんな感じで日々は流れていき、2013年の12月に第Ⅰ回目の短答式試験を受験しました。

◆初受験


短答式試験を初めて受験しました。冬の寒い中、関西大学の千里山キャンパスまで行き、試験を受けました。1日中拘束されるので精神的・肉体的にどっと疲れました。
解答速報を見て丸つけをしましたが、確か65%ぐらいだったと思います(結局合格ラインは70%)。落ちたことが分かったので、かなりショックでしたが、まだ5月→8月合格の可能性があったので、それを目指していったん勉強することとしました。ひとまず論文式試験の学習に切り替えることにしました。

つづく


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