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イタリア人の彼女はそもそも「我慢」というものを知らない


この文章は、ツムラ#OneMoreChoiceがnoteで開催する「 #我慢に代わる私の選択肢 」コンテスト参加用に書いたものです。

こんにちは!

"pazienza"(パツィエンツァ)

イタリア語で「我慢」を意味するのだがこの言葉は多分イタリア語として不必要な気がする。
というのもみんな "vabbè pazienza…"(「我慢、我慢」、「仕方ないよ」)なんてことを言うのだが、この言葉を発して自分のターンを渋々と終えるイタリア人を見たことがないからだ。いや、むしろターンの始まりだ。
もう「我慢」がどこからともなくダダ漏れしてしまっているので「我慢」ではないのだ。ワンチャン舌の回転が追い付いていないんじゃないかと疑ってしまうほど愚痴や頭に浮かんだ言葉がドボドボと溢れ出してくる。そして口だけでは足りず、身体を無駄なく使ったジェスチャーが飛び出す。稀に千手観音ではないかと目を疑ってしまうほど腕が何重にも見える速度で動かす強者もいる。

そしてこれらは同じイタリア人でも出身が南に行けば行くほど濃くなっていく。

ちょうどいい機会なので僕の彼女の出身地を書いておくが僕の彼女はシチリア島出身だ。

シチリアはイタリア最南端の州で地中海はイタリアとアフリカの間に浮かぶ島だ。

赤く塗り潰されたところがシチリア

そんな彼女の辞書には恐らく「我慢」という言葉は無い。
感じたまま、思ったままをダイレクトに「言葉」という名の槍に変えて容赦なくぶっ刺してくる。
そしてそんな彼女もきっと千手観音の血筋を引いているのだろう、ハンパない速度で様々なジェスチャーを繰り出すことが出来て僕は感心する。

そんな彼女と正面衝突なんてした時は間違いなく歴史に名を残す交通事故になるだろう。偉大な日本の先人達が生み出した「金継ぎ」(金を使って壊れた陶磁器、ガラス製品などを修復するための日本の伝統技法。)という技もあるがもはや破片など一欠片も残らないので「喧嘩して何かが欠けてしまっても金継ぎの要領で元よりも強く、美しく、そして価値のある関係を築けるんだよ。」なんて小洒落たことなど到底言えない。だから僕はそんな正面衝突など馬鹿な真似はしない。
かといって自分の中で溜め込むなんて事はせず彼女が言ってきた事に対して的確に局部を突いていく。
だが、どこかのタイミングで相手の話を聞いてあげなければいけないこともあるのだがその場合自分のエゴを押し殺す、いわゆる「我慢」して話を聞いてあげるのだがストレスが溜るということは特にない。

そこでこの記事の肝である  #我慢に代わる私の選択肢  とは何なのか?に繋がるのだが、僕の  #我慢に代わる私の選択肢  は、


「ジムでカラダを鍛える」だ。


もう、これに変えれるものなんて他には無い。
もはや中毒だ。

カラダを動かす。
カラダを鍛える。

これこそが我慢に変わる選択肢。いや、「我慢」しなければいけなかったものをマイナスまで持っていってくれる。次の「我慢」はマイナススタートだから寧ろカモン我慢状態なのだ。

そしてそんな僕は今日もジムに行く。

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