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あわいを歩く(お遍路・高野山編)

10年来の友人から、河内長野に新しく家を建てたので、新居の居間の襖に僕の作品を入れてほしいという依頼を受けたのが昨年の秋だった。
梅田から南海高野線に乗り、とりあえず現場を見ようと河内長野へ向かった。
僕は場所にまつわることを自身との関わりやフィールドワークを通じて作品にすることが多いので、できればその場所や土地に関係することで何かできないかなと考えていたら、その新居の前を走る道路は和歌山の高野山へ続く旧高野街道だということを友人から聞いた。
河内長野は大阪の南に位置し、峠を越えればすぐ和歌山という場所であり、高野街道も現在の旧道を含めていくつか道はあったようだ。リサーチを通じて作品をつくるアーティストにとってはいいネタになりそうな情報である。
お互いアートに携わる人間として、とりあえず高野山に行こうということで意見は一致し、和歌山方面へ車を走らせた。
曲がりくねる山道を車でひたすら登り、初めて訪れた高野山は何と言い表したらいいのかわからないが、煌々しく仰々しい雰囲気の中に俗っぽさも入り乱れているような雑多な印象を受けて、いろんな意味でおもしろかった。(弘法大師の霊廟近くの大企業の墓なんか笑うしかない)
この世の全てを包み込む(聖も俗も善も悪も生も死も)これが空海の開いた真言密教、曼荼羅の世界か~。なんて思いながら参道を歩いていたら、そういえば実家の淡路島の祖母は真言宗の寺の檀家だったなとか、そういえば四国のお遍路巡りした後のお礼参りは高野山なんだよなと思って、淡路島ー四国ー高野山という場所を往還するようなイメージが広がり、作品の構想や視線の先は西へ向き始めていた。

四国ー淡路島ー高野山から、伊勢神宮ー諏訪大社をつなぐように日本列島を縦断する中央構造線。
その線上付近に残る朱色にまつわる逸話。空海ゆかりの地に存在する空海がつくったと伝えられる池や弘法水の伝説などは数限りない。
空海は何を求めて旅をしていたのだろうか。
そんな地理や歴史ロマンを感じさせる大きな話に胸が弾むのを抑えつつ、何が見つかるのかはわからないが、とりあえず自分の足で歩いてみようと淡路島に帰省した折に四国へと向かった。

四国は、幼少期に徳島の阿南市に住んでいたことがあったり、数年前に高松市で開催された展覧会に参加したことがあったりと場所的には身近に感じていて、讃岐平野に多く見られる「おむすび山」や瀬戸内の島々の景色など、山の形や地形が面白いなあと前々から惹かれるものがあった。
剣山や石鎚山が連なる中央部を東西に走る四国山地の山道は道幅も狭く荒れていて、車で走っていて危険を感じるようなところも多い。
今回はあまり時間がなかったこともあって、香川・徳島を重点的に車で移動しながらお遍路の歩けるところは歩くという感じでリサーチを進めた。(巡礼する順番はとりあえず無視して)
お遍路では焼山寺や鶴林寺、雲辺寺など山の頂上に建っている寺がいくつかある。
途中で車を降りて、笠を被り白装束を着たお遍路さんたちに混じってカメラとスケッチブックだけ持ってそのいくつかの山の頂にある寺を目指して登った。
霧がかった山頂の寺は、なんとも異様な雰囲気で、よくこんなところに寺を建てたなと感心するしかない。
山道を歩いていると、白衣を身にまとって杖をつきながらゆっくりと歩くお遍路さんがなんともこの山間の風景によく合うなあと、まるで風景に溶け込んでいくような、チリンと鳴る鈴の音とともにどこかへ消え入ってしまうような印象を受けた。

道端の至るところには、可愛いニット帽を被って赤い前掛けをしたお地蔵さんが並んでいて、微笑んでいるようにも見える。
香川の丸亀あたりの「おむすび山」を歩いていると夕方になり、そのとき燃えるような夕陽を観た。
その夕陽は瀬戸内の静かな海に赤い線を引き、なんだかこの世とあの世の狭間にいるような不思議な気持ちになった。

歩くことでしか見つからない、気づかないことがある。
ゆっくりと歩いたり遠回りしたりするようなことは、速さや利便性ばかりが求められる現代において、ノロマで非生産的で価値のないものだと言われているような時代の空気がある。
だけど、僕はそこに何かあるような気がしていて、標高の高い雪山に登ったり、実際にその場を歩くということにこだわってこれまで作家活動を続けてきた。
それは自分の中での何かに抗う抵抗の旅のようでもあり、作品をつくることにおいて理屈ではないものがあると思っている。
時間も手間もかかってお金にはあまりならない。いつか報われると信じてやってはいるが、やればやるほど生活は苦しくなっていくというまさに負のスパイラルである。
しかし、河内長野の友人の家の前の道がたまたま旧高野街道であったということから始まった今回のリサーチは、場所と場所、思考の断片たちがパズルみたいにはまっていくような感覚があって面白かった。
それは、お遍路や高野山に限らず全ての道はつながっていて、偶然から必然へ、意識の外側から内側へと何か大事なものが移行した瞬間で、誰かに導かれているような、そんな気がして何となく腑に落ちた。
それは高野山で出会った山の神様だと勝手に崇めているカモシカの仕業だったのかもしれない。
そのとき、まさに「あわい」を歩いているのだと思った。

(高野山へは四国巡礼の後にもう一度、九度山の登山口から足で登った。カモシカとはそのときに出会ったのだった)

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